三里塚・東峰共有地裁判が9・13に和解
   東峰一坪共有地裁判について
                 2011年10月2日    東峰団結小屋維持会

 9月13日、千葉地裁民事部において、東峰一坪共有地(東峰1−7)にかけられた「全面的価格賠償方式」による共有地強奪裁判において、「和解」が成立して裁判が終結した。
「和解」内容は、@東峰1―7の土地について、空港会社が18分の17、石井恒司さんが18分の1の共有持分権を認める。A空港会社は「解決金」を支払う。B土地を公園として石井さんが使用管理する。C空港会社は訴訟を取り下げる。D裁判費用は各自の負担とするものである。
この「和解」を成立させる為、3月に「覚書」が交わされた。覚書は、@石井さんの責任で、8月末限りで、共有地に立つ建物内の居住者を退去させ、建物などを収去(撤去)する。A空港会社は「退去費用」「持分分の撤去費用」を支払うというものであった。
東峰団結小屋維持会は、東峰反対同盟からの、「小屋撤去」についての提案について、「共有地」を残し、空港反対の運動を継続する為に、「小屋撤去」について同意を行なった。裁判の和解解決についての評価については、別掲「東峰一坪共有地訴訟 被告・弁護団コメント」に賛成するものである。
今回の東峰一坪共有地裁判は、09年9月に6ケ所の共有地に対して、「全面的価格賠償方式」により、実質的に金銭で強奪する裁判としてかけられたものの一つである。東峰共有地は、隣接地が東峰の島村さん名義の共有地であり、前の隣接地は島村さんの畑であり、また小泉さんが、公団から大木よねさんの強制収用の裁判の結果、期限なしで提供され「営農」されている畑に囲まれた土地である。裁判は金銭強奪に対する対抗としての裁判闘争のなかで、現在も営農された土地に囲まれた共有地として継続することを確保する方向としてもすすめられたものである。
「東峰団結小屋」は1977年に、「現闘小屋」として、東峰反対同盟の了解のもとに、「遊撃派」により建てられた。小屋はほかの「団結小屋」と同様、反対同盟所有としてある。87年には2期工事に対抗するため櫓も建てられた。今回退去した者は、82年より居住していた、元現闘である。
「東峰団結小屋維持会」は、現闘活動を支援し、小屋の維持を支援するものとして当初より活動してきた。「たくあん1000本運動」など、現地と支援を結ぶ運動も行なってきたものである。2000年ごろより「東峰団結小屋」が「現闘小屋」としての位置を失ってからも、居住者の支援と小屋の維持の援助を「維持会」として担い、三里塚空港反対闘争の一翼を微力ながら継続してきた。今回の裁判に対して、共有地存続のための方策としての「小屋撤去」の求めに対し、共有地を存続させる闘いの為に「撤去」に応じたものである。
われわれは、他の共有地4件に出された不当判決に断固抗議すると同時に、公園の形で継続される「東峰共有地」の存続を支持し、三里塚空港反対の運動を継続していく。(以上)


 東峰一坪共有地訴訟
       被告・弁護団コメント

                         2011年9月13日


 本日、別紙内容の和解で訴訟の終結を迎えたが、実質的には被告側の勝訴と私たちは考えている。理由は、
1.原告が提訴した全面的価格賠償法式による被告の共有地取り上げをしりぞけ、被告の共有権が従来どおり維持されたこと。
2.18分の1しか所有権を持たない被告が、低花木等を植栽し、今後も本件土地を管理することが双方で合意されたこと。被告側は、この秋にもその費用・労力で本件土地を「小公園」とし、東峰地域の憩いの場として開放する予定でいる。被告側からすれば、かって団結小屋として使用・管理していた共有地を、地域の憩いの場として今後は使用・管理することにしたということである。
3.原告が、建物等収去費用の18分の17を負担するほか、居住者の退去費用、和解解決金を被告側に支払って、本件訴訟を取り下げたこと。これは、原告が、今後は本件土地を含む東峰地区において、一方的な土地取り上げではなく、あくまでも話し合いで解決していく意思を表したものとして評価できると考えたこと。

以上の和解内容を前提として、被告だけでなく居住者・建物の所有者らが合意して、3月16日に覚書をかわし、8月末までに、居住者の退去・建物の収去等を被告側が先履行した。もしも、原告が最高裁判決に基づいて全面的価格賠償法式で被告の共有権を取り上げたとすれば、次には居住者の強制退去・構造物破壊の法的・暴力的処分へと突き進み、さらなる犠牲と不信・怨嗟を成田空港問題に記すことになるのは、自明のことであったはず。政府・空港公団と熱田派反対同盟・地域代表らが共同して行なった「成田空港問題シンポジウム」「同円卓会議」の合意眼目は、「平行滑走路のための用地取得のために、あらゆる意味で強制的手段が用いられてはならず、あくまで話し合いにより解決されなければならない」(1994年10月11日、第12回同円卓会議。隅谷調査団所見)である。本日の和解を契機として、原告がこの基本的立場に立ち返ることを、切に要望するものである。