首相発言から後退した「新エネルギー政策」中間案
  「減原発」ではなく脱原発へ


 七月二九日、菅政権は、昨年六月のエネルギー基本計画に代わる新政策の決定にむけて、「革新的エネルギー・環境戦略」中間整理案を公表した。
 この中間整理案は、前計画の原発依存度53%をめざすとした超原発推進路線を撤回したものの、「原発への依存度を下げていく」とする、言わば「減原発」の方針を明確にしている。これは、七月十三日の脱原発を意味する首相発言からの、大幅な後退である。我々は、原発依存の続行を意味する「減原発」ではなく、首相自らが表明した「脱原発」に向けて、民主党政権が政策を明確にし、直ちに取り組むよう要求する。
 中間整理案は、「原発の安全性」、「原子力発電単価」、「大規模集中の地域独占電力システムの有効性」などの徹底的検証を行ない、「原発の安全性」を高め、活用しながら、その依存度を下げていくとし、2050年ごろまでの工程表を策定するとしている。そして、集中型から分散型への新エネルギーシステムへの転換、再生可能エネルギーの導入可能量等をデータにもとづいて検証し、普及させるとする。また、「発送電分離」の検討も掲げている。
 この中間整理案に対して、「原発の新増設が事実上困難となる中で、電力確保に向けて新たな方向を打ち出すことは、喫緊の課題だった」とし、「(首相発言を)より具体的で現実的な内閣方針へと発展させる意義は大きい」として評価する傾向がある。しかし、この中間整理案が、「原発がなくてもやっていける社会の実現」という首相発言とは、完全に矛盾するものであることは誤魔化せない。
 三月十一日、地震によって福島第一原発の配管が破損し、さらに津波によって電源が喪失し、冷却機能を奪われた原子炉が暴走した。そして地震発生から16時間内に、燃料棒が溶融してメルトダウンした。さらにメルトスルーを起こして、核燃料が原子炉を突き抜け、地下の配管などあちこちにに漏れ出ていることが最近明らかとなっている。溶けた核燃料が炉内に止まったとされるスリーマイル原発事故との大きな違いであり、事故の重大性を示している。
 外部への放射能撒布では、大量の放射能を出し続け、大気や地下水を、土地と海を汚染し、住民の命を危険にさらしている。子どもや若者への影響は一層深刻である。にもかかわらず、地震から五ヶ月が経った今でも放射能を封じ込めることができずにいる。
 原子力と人間との共存は、科学的に困難である。「減原発」は、この事実を無視し、原発を容認する政策である。避難所で生活し、仕事を失い、生活不安に脅かされる住民の現実、自殺者の増加さえ懸念される現実を無視して、中間案は提案されたと言わねばならない。
 そればかりではない。ほとんどの原発が、活断層の真上かその付近に建設されている。日本列島が地震の活動期に入った今、一度大地震が起これば、福島のような大惨事が引き起こされるのは火を見るより明らかである。まして、2050年ごろまでなどと悠長に構えてはいられない可能性もある。
 その上、19基もの原発が、建造されてから三十年以上の老朽化した、寿命を過ぎた原発である。大事故を起こす可能性は高く、速やかな全ての原発の停止・廃炉が求められている。
  菅首相は、浜岡停止要請など評価できる施策も行なった。しかし、財界や経済産業省の攻撃の前に、自らの考えを以て政権を拘束する手立て(閣議決定など)を構ずることなく、原発容認へ舞い戻っている。
 財界は、「減原発」に対してさえ、「経済状況を無視した安易な発言」と批判し、閣内からも「どうエネルギーを調達するのか」との異論が相次いでいる。電力業界も独占企業としての利益を守るために、地域独占の見直しや発送電分離に強く抵抗し、原発の維持を追求している。
 これら原発擁護論は、利権のみで原発にしがみついている者は論外としても、かってのように産業を発展させ、物質的豊かさを実現して、市場原理主義を推進しようとする立場に拠っている。しかし我々は、人間の豊かさを目標とする新たな社会の創造、人権尊重・共同共生の社会建設の視点からエネルギー政策をとらえ、大量生産・大量消費の電力供給のあり方をとらえ返すべきである。まして、核武装のための原発など論外である。
 人々の原発についての意識は劇的に変化した。今は、世論調査で77%が脱原発を支持している。
今こそ闘争を強め、菅政権の「減原発」中間整理案を許さず、脱原発のために立ち上がろう。各地域で闘いを発展させ、9・19五万人集会に結集しよう。(0)