原子力ムラを解体し、今こそ地方自治・住民自治へ
       中央・都市への隷従から脱却を      
                                   三枝 知徳

はじめに

今年の6月下旬、九州電力(九電)の玄海原発(佐賀県)の運転再開問題を県民に説明するために、国が主催したテレビ番組で、九電による情報操作が行なわれた事件が発覚した。いわゆる「やらせメール事件」である。
しかも、九電は情報操作のみならず、佐賀県知事には歴代九電幹部の政治献金(実際は個人献金ではなく、企業献金といわれる)を以前から行ない、玄海町長には、その親族の建設会社に50億円を超す工事を発注してきたといわれる(七月十四日付け『朝日新聞』の「天声人語」)。
このような情報操作や大金での買収工作は、九電だけではなく他の電力会社でやっているのは疑いなく、また、今に始まったことでもない。それは、政官業の鉄のトライアングルによる人民支配の一つの典型である(ここでの業は電力会社)。
このトライアングルの場合、政官業にとどまらず、マスコミや科学者をも組み込んだ原子力ムラという広がりを持ち、さらにこの支配体制の基底に、原発城下町が位置している。都市と農村、中央と地方の矛盾を利用した伝統的な支配秩序を解体し、福島第一の原発事故を教訓にして、自立した地方自治・住民自治を打ち立てることが、今こそ求められている。

〈電源三法による利益誘導型政治〉

一九六〇年代半ば、高度成長の一つの帰結として、公害問題が全国各地で深刻となる。一九六六年七月、東海原発が運転を開始する。日本初の商業用原発である。しかし、他方では、三重県の芦浜原発反対運動、宮城県の女川原発反対運動、原子力船「むつ」反対運動のように、反原発運動が各地に拡がるようになる。一九五〇年代に、過疎地や経済的に苦しむ地方で、原発誘致運動が展開されたのだが、一九七〇年代に入ると、原発立地計画は例外なく、反対運動にみまわれた。
 だが、国会では、一九五四年四月に初めて原子力予算が成立した後、一九六八年度予算で、初の「広報啓発費」約一千万円が計上され、原発推進のための宣伝費が税金から支出された。
それでも、原発反対運動は弱まるどころか、逆に強まる。その中で、一九七四年六月、あの田中角栄政権の下で、電源三法が成立する。原発に賛成するならば、原発立地に多額の交付金を投入するという利益誘導で、原発を推進させる道具立てである。
電源三法とは、「発電用施設周辺地域整備法」、「電源開発促進税法」、「電源開発促進対策特別会計法」の三つの法律を指す。これらは、一九七三年の第一次石油ショックを契機に、「電気の安定供給の確保」を名目とするが、実際は、“発電所ができても地元にはほとんど利益がなく残るのは環境破壊だけだ”と、発電所建設を敬遠するケースが増え、経済成長のネックとなるのを防止するためのものである。
それらの主な内容は、発電用施設が設置される地点が属する市町村の区域について、都道府県知事が「道路、港湾、漁港、都市公園、水道その他政令で定める公共用の施設の整備に関する計画を作成し」、発電用施設の設置者はこれに協力して経費の一部を負担し、さらに国もまた交付金などを助成するものである(周辺地域整備法)。このため、国は電気事業者を納税義務者として販売電気1000キロワット時につき85円(当時)を課税し(促進税法)、この税収を「電源開発促進対策特別会計」に繰り入れ、立地市町村の「公共用施設」に対する交付金に充てる「電源立地交付金制度」を発足させた。
立地地域に対する交付金制度は、一九八一年度には、電力移出県等交付金、原子力発電施設等周辺地域交付金、一九九七年度には、原子力発電施設等地域長期発展対策交付金などが創設され、ますます電源立地促進対策は、「充実強化」されている。
京都大学原子炉実験所の今中哲二助教の調査によると、日本の原子力予算の推移は、左図(『週刊東洋経済』6月11日号 P.57)に見られる通りである。原子力予算は、一九七〇年代後半から急速に増大し、九〇年代半ばから年間4500〜5000億円弱の規模を維持している。財政危機が叫ばれる近年においても、4500億円前後である。
ちなみに、二〇一〇年度の原子力関係予算で見ると、一般会計で1161億円、特別会計で3162億円、計4323億円である。これを各省別にみると、一般会計の場合は、文部科学省1067億円、内閣府18億円、外務省76億円、国土交通省0.3億円、総務省0.1億円であり、文部科学省がほとんどを占めている。特別会計では、経済産業省1750億円、文部科学省1412億円であり、この二つの省で二分している。
このうち、電源立地にかかわる交付金は、特別会計を通じて交付されるのであるが、どんなに少なく見積もっても、1000数百億円以上の規模となっている。
「経済産業省資源エネルギー庁のモデルケースによれば、現在、原発が新設された場合、その地域には運転開始までの10年間で、およそ449億円の交付金が支払われる。事実、原発所在地の青森県東通村では今年度予算の45%、また六ヶ所村でも18%を電源三法交付金で賄っている。全炉が停止した中部電力浜岡原発のある静岡県御前崎市も原子力関連歳入が予算の4割を占める。中国電力が原発建設を計画する山口県上野関町では、本格着工前からすでに、町財政の2割を交付金に依存している。」(前掲『週刊東洋経済』 P.56)のである。

〈ますます依存する原発城下町の実態〉

今回、歴史上まれにみる大惨事にみまわれた福島県と同県当該市町村においても、極めて大きな危険(リスク)と引き換えに、巨額の交付金や固定資産税などの税収が入っていることは事実である。
東京電力の『原子力発電の現状 二〇一〇年版』によると、「福島第一原発と第二原発で雇用する地元の人たちは社員・関連企業・協力企業(下請け)合わせて約九三〇〇人。福島県・双葉町・大熊町・富岡町・樽葉町に東電が払った税金は、二〇〇七年度実績で固定資産税約58億円と法人事業税82億円だった。ほかに核燃料を買うたびに一キログラムあたり8000円を県に払う核燃料税と、電源三法交付金がある」(志村嘉一郎著『東電帝国 その失敗の本質』文春新書 P.29)という。
右図(佐藤栄佐久著『福島原発の真実』平凡社新書 P.126)は、やや古いが双葉郡立地五町の2000年度歳入構造(決算)を示したものである。財政構造は、発電所が立地している自治体はともに固定資産税比率が高く、福島県全体の町村平均が一四%であるのに対して、福島第一原発1〜4号機が立地する大熊町四七・五%、5、6号機が立地する双葉町二五・九%、福島第二原発1、2号機が立地する樽葉町三五・八%、3、4号機が立地する富岡町三六・一%、広野火力発電所1〜4号機が立地する広野町四九・二%であった。双葉郡全体の平均は三八・八%である。これに対して、佐藤栄佐久・前福島県知事は、「税収の構造をみると、『原発立地地域とは企業城下町に似ている』ことがわかった。」(前掲書)と述べている。
その他にも、電源三法による交付金がある。「電源立地促進交付金は、一九七四年から八四年までの一〇年間に大熊町に二六億円、双葉町に三三億円。電源施設など周辺地域交付金は、一九八一年から一九九四年までで大熊町一〇億円、双葉町に八億円が交付された。一九七五年度の大熊町の税収は九〇・七%が原発関連、東京電力丸抱えの町財政」(前掲志村書 P.29)となっているのである。
しかし、地域振興を大義名分とした「電源立地交付金制度」による巨額の交付金や、固定資産税などの税収は、立地市町村の発展をもたらすものではなかった。逆に、それこそ地方自治や住民自治を大きく歪める元凶となったのである。
それは、当事者の一員とも言える前福島県知事・佐藤栄佐久氏の次の言葉がなによりも雄弁に語っている。「91年9月、福島第一原発の地元である双葉町議会は原発増設要望を決議しました。原発の地元は財政的には恵まれているはずで、私は不思議でした。原子炉が増えれば、地元には雇用が増え、国から交付金が出る。しかし、30〜40年単位で考えると、新しい原発をつくり続けないとやっていけなくなる。案の定、双葉町の財政は悪化し、町長が税金や保険料以外無報酬になるまで追い込まれました。原発に依存すれば新たな産業が育たず、地域の自立した新興とはほど遠いことになります。」(『AERA』臨時増刊号22、2011.5.15 P.22)と。
原発城下町は、何故に、あたかも「麻薬中毒」のように次々と原発依存を深めるのであろうか。それは、先ず第一に、「電源立地交付金制度」は、使途対象を公共施設に限っているので、道路や建物は建てられても、肝心の第一次産業や第二次産業のような再生産を可能とする部面への投資ができないからである。いわゆるハコモノ行政の範囲に閉じ込められているのである。これでは、当然のこととして、当該地域の自立的な発展や自立的な地方自治などは、実現できないのである。
第二に、莫大な税収をもたらす固定資産税ではあるが、普通の土地家屋に対するそれとは違い、発電所の場合は償却資産であり、税法上の原子力発電所の法定減価償却期間は十六年と決められており、この期間を過ぎると評価額が約一割に落ちてしまうのである。
だが、電力会社は償却期間十六年が経過すると、減価償却する必要がないので、その原発を30年も40年も継続使用すると、ますます儲(もう)かるわけである。したがって、佐藤栄佐久氏がいうように、原発依存の市町村は、「30〜40年単位で考えると、新しい原発をつくり続けなければ、やっていけなくなる」のである。
悲劇の基は、資本主義がもたらす都市と農村の矛盾、過疎過密の矛盾を逆手にとって、巨大なリスクの代わりに、地方自治体の税収を国家や企業が補助し、「世間並みの豊かさ」にする構造である。たしかに、このような矛盾を中央政府のひも付き補助金で「解決」し、地方自治体を中央政府へ隷従させる構造は、一部を除いて日本において一般的にある。しかし、原発城下町の場合は、計り知れない犠牲を押し付けるリスクと引換えになっているところに二重の悲劇がある。まさに、構造的な差別・抑圧の上に成り立つものが原発城下町である。

 終りに代えて―隷従から自立へ

 震災後の福島県の復興計画をまとめる福島県復興ビジョン検討委員会(座長・鈴木浩福島大名誉教授)は、七月末の提言を控え、精力的に活動している。その中では、「原子力に依存しない、安全・安心で持続的に発展可能な社会づくり」を掲げている。そして、原発については、福島第一のみならず、第二原発も廃炉にする意向である。さらに、原発に頼らない社会づくりを強力に進めていく必要があるとして、具体的には、太陽光や風力などを利用した再生可能エネルギーを拡大させ、地域単位で電気をまかなえる「地産地消モデルの構築」を提唱する模様である。
 福島県によると、県内にある東京電力や東北電力などの発電所でつくる電力量は、二〇〇九年度で1215億キロワット時であるのに対して、県内で消費するのはわずか150億キロワット時にすぎず、総量の12・3%でしかない。
 このような「いびつな構造」を解消し、さらには中央や大都市ならびに巨大企業に隷属する構造を解消するには、今回の悲惨な事故を教訓にすることが最も重要であろう。すなわち、大企業に依存せずに、「小規模・分散型」の再生エネルギーを広め、「地産地消」のエネルギー政策を基本とし、県内消費量を超えた部分は、大都市などに支援するという自立した姿勢がもっとも肝要であろう。
「地産地消」を基本とする姿勢は、もちろんエネルギーにとどまらない。「虚飾の繁栄」よりも、大地にしっかりと根ざした生産・生活が今こそ求められ、その基盤に立ってこそ、地方自治・住民自治も確かなものとなるであろう。  (了)