東日本大震災・現地支援報告

  支えよう!復興の力は自治
                                被災地ボランティアS

第三報(発信6月1日)
    仮設移行で問われる課題

 連休を過ぎ、被災していない田んぼでは、田植えの真っ盛りです。
 被災した各現地へ向うわたしの車からは、のどかな田園風景が広がっていますが、所々には集められたガレキの山ができ、ガレキを分類するための重機や搬入するダンプが行き交っています。
 仮設住宅への入居が本格化し、自治体によっては第一次の義援金の配布も始まりました。
 これまで道路のガレキ撤去や、遺体の収容、不明者の捜索をもっぱら行なっていた自衛隊も、道路以外でのガレキ撤去にのり出し、撤去作業は急ピッチで進んでいます。
 しかし、最終的な処分方法が決まらない中、とりあえず空き地に積み上げている状態です。
 石巻では、まるでガレキの防波堤ができている様相です。それでも、震災から三ヶ月になろうとしているのに、未だ15%程度しか片付けられていません。まったく手をつけていない所も、まだ多く残っています。
 先日、仙台市内の仮設住宅に、布団を搬入する作業を行いました。
 行政は、クーラー付きの仮設住宅を作るだけです。6点セットといわれるテレビ、冷蔵庫、洗濯機、電気炊飯器、電気ポット、電子レンジは日本赤十字が用意し、あとは自治体ごとに布団は○○から、鍋・釜などは△△からと(多くは民間企業)、それぞれ準備されているものがバラバラというのが現状で、この結果、「布団はあるのか?」「食器は自分で用意しなければならないのか?」と不安の声が上がっています。
 そして一番問題なのは、仮設住宅への入居を期に、それまでの避難所を通した支援が、行政のしくみ上は一切打ち切られることです。
 入居や夜の食事の件で避難所の責任者に相談しても、それなりの手当をしてくれる所は多いのですが、避難所によっては、「仮設に移った時点で避難所の管轄ではない。別の行政窓口に相談しろ」といった対応をする所もあります。
 今後は、仮設を軸とした新たな自治組織の建設へと、支援の軸が移っていくでしょう。五月二七日には、「あすと長町仮設住宅」で“隣人祭り”が行なわれました。
 他の仮設でも、「地域コミュニティの絆をとりもどそう!」と同じ様な試みが進められています。
 仮設に移った人、いまだ避難所に残っている人、また仕事が見つかった人、見つからない人、それぞれのニーズに合った支援を強めていかなければならないと考えています。
 また、政府や知事レベルで言われる「経済特区」についてですが、地元の人の間では、「企業はもうからなくなれば撤退する! 自分たちの力で農業・漁業を再建したい!」との当然の想いが強く、「皆で舟を所有する」といった試みも始まっています。こうした、資本の論理とは別の「集団化」の動きは、今後ますます重要になります。
 こうした試みに対する、支援の布陣をさらに強化しよう!
  五月三十一日現在の東日本大震災の死者は15281人、不明者は8492人です。(S)

第二報(発信5月4日)
  被災者の臨時雇用始まったが

 仙台では桜も散り始め、気仙沼では満開です。この桜の開花に合わせるように、宮城県、岩手県では復旧・復興も確実に前進しています。
 まだまだ水も電気もガスも復旧していない地域と避難所が多くありますが、各地に私たちが物資を届けると、「昨日から水が出るようになった」、「水、電気、ガスがすべてOKになった」との喜びにあふれた声が聞けるようになりました。
 また、私たちがとりわけ重点的に物資を届けている病院や福祉施設でも、「やっと契約している業者から物資が届くようになった」との報告もありました。
 また、その必要とされる支援の内容は、確実に変化してきています。
 今の連休前後から、仮設住宅への入居も開始されようとしています。入居者への布団も必要となります(仮設住宅入居時には布団についていない様です)。また季節の変化で、「春物の衣類がほしい」とのニーズも上がっています。
 そして何よりも、生活を再建するための仕事、雇用や営業の再建がより重要となるでしょう。
 先日行った南三陸のとある集落では、避難所になっているジーパン工場からミシンの音が聞こえました。話しを聞くと、避難所にいるオバちゃんたちから「ミシンの音をひびかせたい」との声が上がり、発電機を使って工場を再開させたとのことでした。
また、顔見知りになった気仙沼のジャズ喫茶のオヤジさんは、「一日も早く、地元の人や全国から支援に来ている人に、おいしいコーヒーを飲んでもらいたい」と、店の片付けをガンバっています。
 この人は震災直後、まわりの飲食店の仲間に声をかけ、残った材料を持ち寄って、一週間にわたって炊き出しを行なったそうです。また、避難所にも「無料キッサ店」のテントを立てています。
 このように被災地では、できる所から、生活再建に向けた取り組みが力強く開始されています。
 大船渡市は、緊急雇用対策基金を使って、ガレキの撤去に500人の被災者を一日7200円で雇用しています。
 さらに多くの自治体でも、避難所での仕事などで臨時職員として、被災者を雇用する動きが広がっています。
 こうした動きをさらに加速させるとともに、復興に向け、緊急・臨時的ではない仕事づくりが必要となっています。
 都市への一極集中とその対極での地方の疲弊化、大量生産−大量消費といった構造、こうした社会の仕組みをそのままにして、「国家主導」で復興を行なえば未来は展望できるというものでは決してありません。
 現在、政府から出てくる復興構想は、東北を「食料供給基地」と位置づけ、小規模農地や小規模漁港の集約をやろうとするものであり、東北の東京への「食料供給基地」化をより一層おしすすめるものでしかなく、また大資本の参入を促すものでしかなく、地元住民のためのものというより、資本家の利益のためのものでしかありません。これでは、福島原発(東電資本)の奴隷として生きる以外の道を断たれた原発周辺住民のあり様と何ら変わらないものです。
 「地産地消型社会」への転換に向け、一極集中から地域の自立への転換に向け、また大企業の利益のためでない地域の再生に向けて、復興事業を進めていかなければならないでしょう。
 震災直後からの支援の中で、この転換の萌芽は形成され始めています。共に支援活動を担った人々の中からも、復興に向けて現地への「移住」を決意した仲間による、現地定住も始まっています。
 こうした視点、復興に実践的に関わろうという視点は、左翼の間ではほとんど出されていません。「カンパを集める」、「物資を集める」、「炊き出しをやる」といったボランティアのレベルにとどまっているのが現実です。というより現地では、左翼のカゲすらほとんど見えません。
 こうした議論を活性化していこう。菅政権の「復興構想」に代れる未来、それを展望できる「復興構想」をつくり出していこう。
 わたしはメーデーに参加するため、一旦出身地に戻った後、再度現地に入りました。現地の人々との関係を深め、継続する中で、現実の支援活動を強め、復興に向けた一助になるようにガンバリたいと思います。
 当面は、「雇用政策」と復興事業とを結びつけろ!「全国の失業者を復興事業に使え!」という活動を本格化させたいと考えています。(S)


釜ヶ崎講座5・28つどい
   来年期限の野宿者自立支援法
    広義「ホームレス」の支援施策へ

 五月二八日に大阪市内で、「釜ヶ崎講座」第15回講演の集いが開かれ、約45名の市民・学生・労働者が参加した。釜の現場より釜ヶ崎日雇労組や反失業連絡会の仲間も仕事の後かけつけ、文字どおり釜と市民が一体となった学習・討論の場となった。
 さて、02年制定の「ホームレス自立支援法」は十年の時限立法とされ、来年12年で期限を迎える。現在、その後の法制度の策定を検討すべき時期となっている。
 今回の釜講座の「つどい」では、この2012年の「ホームレス自立支援法」延長問題を視野に入れつつ、いかにして同法の積極・前進面を動的に運用しながら、さらに野宿者支援から共生・自立の道へ進んでいくのか、これらについて講師の水内俊雄さん(大阪市立大大学院教授)から豊富な資料による提起が行なわれた。
 水内さんは、釜ヶ崎に根をおろしている「市大・都市研究プラザ」、「大阪就労福祉居住問題調査研究会」の主催者であり、とりわけ06年「もうひとつのホームレス実態調査」活動の先頭に立って真の包摂政策とは何かを問いかけ、10年暮れからは厚労省委託「ホームレス可視化の調査」活動にて精力的に調査・集計をこなしてきた専門家である。
 近年、金融危機以降の「テント村」出現への対応で生活保護の枠が緩和されるなどして野宿者が激減したが、しかし「住居喪失者」と呼称される様々の困苦・障害を抱える広い意味での「ホームレス」層が可視化されるようになり、国や出先機関もその現実を黙視できない現況にある。そして我々運動を担う側から言えば、こうした広義の「ホームレス」層など広範な下層民衆の生活ニーズに応え得る支援の仕組みを、いかにして作っていけるのかが問われている。
 水内さんは、自ら全国を歩いて得た資料を解説しながら、近年、国の「ホームレス予算」は増えても住生活(ハウジング)の問題が未整備であること、就労自立での本人ケアが無い問題(労働市場まかせでは進まない)、直接相談の機会を重視すべきことなどを挙げ、自立センターなどネットワーク機能の強化をさらに進めることの必要性を訴えた。
 その後の質疑応答では、釜ヶ崎の労働者より、「反失業の闘いとしての社会的就労づくりの、当面の中心課題はどこらにあるのか」という質問が出され、また反失連の山田実さんは、「自立支援法を活かすという観点をそれぞれが持ちながら、これまで積み上げてきた要求の前進をかちとること、この地道な運動の継続の先に新たな法を含めた仕組みの骨格が生れてくるだろう」と、今までの釜ヶ崎での雇用創出等の闘いを披瀝しつつ発言した。
 また釜日労の山中委員長は、釜にも「福島原発」関連の仕事紹介が来ているが、危険極まりない仕事に半ばだまされながら就労しなくても済むように、私たちの取り組みを強めていきたいと述べた。
 最後に、「釜講座」代表の渡邉さんが、自ら医師として被災地宮城へのグループ医療活動に参加してきたこと、他の講座会員も被災地支援に赴いていることを紹介し、また、講座としても「ホームレス支援全国ネットワーク」を構成する一団体として、できることから被災地支援活動に加わっていく、被災地民衆の力強い復興活動に連帯しながら、「釜講座」も諸活動を強めていくと述べた。
 「釜ヶ崎講座」は昨年の第13回集いの以降、「労働」をキーワードにして、野宿者の「ホームレス」からの脱却・自立の課題に取り組みを強めている。講座は、来年のポスト支援法の課題に備えながら、さらに多くの市民と釜ヶ崎とを結ぶ、その役割を果たしていくだろう。(関西I通信員)