震災下メーデー果敢に


釜メーデー

    新しい社会の仕組を

 第42回「釜ヶ崎メーデー」は今年も、五月一日の午前七時、センター下にて約200名の結集で開催された。
 釜メーデー集会はまず、去る三月末より宮城県方面に被災者救援ボランティアとして赴き、奮闘してきた釜ヶ崎日雇労組・佐々木書記長の現地報告で始まった。
 佐々木さんは、「明日への生をつなぐ支援から、今は住居=仮設住宅の獲得へと課題は進展・移行している。今後は、働いて生きていく、つまり失業をいかに跳ね返しながら生活権を確立させていくのかが、重要となる。いくら“がんばれ東日本”と大量の募金をつぎ込もうと、根本の解決にはならん。財界やゼネコンに頼れば事が足りる事態ではないことが、今日、誰の目にも明らかになっているじゃないか。農業や漁業であれ、社会の仕組みを変革していく自らの運動が必要になってきた。」と報告した。
 続いて『聞け万国の労働者』等が演奏され、戦闘的雰囲気が高まる中、労働者一人ひとりにゼッケン、赤ハチマキが手渡される。「原発推進派は責任をとれ」、「ウソで塗り固められた原発を即時停止せよ!」のスローガンが目を引く。
 今年の「釜ヶ崎メーデー宣言」は、こう主張する。
 「釜ヶ崎労働者は高度経済成長の時代を、設備投資の最先頭の兵士として、産業構造の転換と雇用の調整役として、時代の主役をになってきた。ビル、ダム、道路、原発と汗水流しながら、万博景気とオイルショック、バブル景気とその崩壊、好景気とアブレ地獄、失業、野宿、そうした時代を生き抜いてきた。世界金融恐慌は、数百万の労働者から労働を奪い、労働者派遣法によって景気の調整役からも下ろされた釜ヶ崎では、『寄せ場』=労働市場としての機能を奪われ、仕事をも奪われてしまった。」
 「今、日本では3月11日の東北関東大震災と福島原発事故で大打撃を受け、多くの労働者、農民、漁民、個人事業主らが失業者となっている。ゼネコンを筆頭に大企業・大資本は復興事業までをも金儲けに利用しようとし、一方の被災者は阪神大震災の時のように若い労働力が必要とされる中で、高齢化した労働者などが取り残され、生活が困難な層として貧困層を形成することになるだろう。」
「であるならば、我々労働者は、自身が生き残るための『新しい社会の仕組み』を自ら作り出さなければならない。新たな社会情勢に合わなくなった古い制度に縛られ、右往左往する行政に不平不満をぶつけるだけでは何も変えることはできない。失業と野宿の時代は労働者自らが切り開いていこう。」
そして、釜日労の山中委員長は、「かかる情勢ならばこそ、特別清掃の週3回就労、また55歳未満の仲間たちの仕事の確保、これを中心とした緊急雇用対策と新たな就労制度の確立は絶対に譲れない」と強く訴えた。
続いて、反失業連絡会、キリスト教協友会、また支援の仲間(釜講座、釜連帯委)のあいさつを受けて集会を終え、三角公園まで釜地域をデモ行進した。
その後仲間たちは約150名の部隊で、午前十時開催の「中之島メーデー」に参加した。また例年通り、釜ヶ崎特掃労働者の手によって、大阪城公園の「連合メーデー」開催後の清掃も行なわれた。(関西I通信員)


中之島メーデー
      被災地支援報告も

 大阪では、第82回「中之島メーデー」が五月一日、中之島公園剣先ひろばで開催された。あいにくの曇りから小雨の天候であったが、全港湾大阪支部、全日建連帯労組をはじめ全労協各労組、各ユニオン、釜ヶ崎日雇労組、市民団体など2000名近くが結集した。
 今年のメインスローガンは、「命が大事!放射能を垂れ流す危険な原発を廃棄しよう!」「反貧困!誰もが人間らしく生活できる社会を実現しよう!」「均等待遇実現!派遣法撤廃、細切れ雇用をなくし安定雇用をかちとろう!」「憲法改悪を阻止し9条を世界に広めよう!労働組合・市民団体に対する権力弾圧を粉砕!」である。
 まず主催あいさつが全日建近畿地本の垣沼委員長、連帯あいさつが大阪労働者弁護団、各自治体議員から行なわれ、辻恵民主党衆院議員、服部良一社民党衆院議員からのメッセージも読み上げられた。なお連帯メッセージは、第21回京都地域メーデー実行委、第82回ヒロシマ闘うメーデー実行委、第82回日比谷メーデー実行委から寄せられた。
 特別報告として、JAL不当解雇撤回の争議アピールが当事者から行なわれ、また釜日労の佐々木書記長より、東日本大震災被災者支援報告が行なわれた。ここ一ヵ月以上、仙台を拠点に支援物資を届ける活動に参加した佐々木さんは、現地状況を報告し、また復旧・復興の仕事に被災した人びとを雇用し、さらに全国の失業者にも復興の仕事を回す、そのような雇用政策の仕組みを作り出そうと訴えた。
 各組合の争議アピール、趙博さんの歌、メーデーアピール採択、インターナショナル斉唱のあと、中西梅田公園までデモ行進を行なった。
 このかんの統一地方選挙では、民主、自民など既成政党への民衆の大きな不信を背景に、「大阪維新の会」など地域右翼政党、新自由主義的でかつ差別・排外主義の地域政党が大きく躍進する結果となった。我われは中之島メーデーに結集した力で、民衆の「第三極」的な政治勢力の実現に向け奮闘しつつ、これら右翼政党と対決できる結集軸を作る必要がある。(関西N通信員)


日比谷メーデー
    東北の仲間とともに

 東京では五月一日、日比谷野外大音楽堂内外で「第82回日比谷メーデー」が全労協などによるメーデー実行委員会の主催で行なわれ、約1万2千名が参加した。
 今年の日比谷メーデーは、例年の「働く者の団結で生活と権利、平和と民主主義を守ろう」とのメインスローガンと並んで、「東日本大震災の被災者の救援・復興にともに連帯し全力をあげよう!」「すべての原発を即時停止し廃炉へ、原発依存のエネルギー政策の転換を!」が掲げられている。
 集会は、まず東日本大震災の犠牲者の方々への黙祷で開始され、主催者挨拶は石上浩一さん(国労東京地本委員長)。武藤弘道さん(都労連委員長)の連帯挨拶、福島みずほ参院議員、都労働行政からの来賓挨拶と続き、多民族・多文化メーデー合唱団の歌舞音曲で前半が終わった。
 後半は闘いの決意表明で始まり、東京メトロ売店の非正規首切りと闘う後呂良子さん(東京東部労組メトロコマース支部)、ジェシー・ダニエルさん(全統一労組)、大内忠雄さん(宮城全労協議長)、山口宏弥さん(JAL不当解雇撤回裁判原告団団長)がアピールした。
 被災地からの参加で東北全労協対策本部としても発言した大内さんは、「東北の惨害は、このかんの新自由主義政策とエネルギー政策の矛盾のすべてを明らかにした。平成の大合併での市町村公務員の削減、公共サービス労働の縮小によって、被害は大きくなり、また復旧・復興が妨げられている。いまこそメーデースローガンの闘いが問われている」と訴えた。
また全統一のダニエルさんは、外国人労働者の権利問題の他とくに福島原発災害について触れ、「日本政府の20`圏立ち入り禁止措置は、世界的には報道統制として批判されている。情報の閉鎖性が国際的に問題視されているのに国内では論議されていない、どうしてですか?」と問いかけた。
つづいてメーデーアピールを採択。その原発政策の部分では、「原子力優先のエネルギー政策の誤りと、原発の危険性が露わになりました。原発の即時停止と建設中止を求め、脱原発のエネルギー政策を確立するとともに、地元住民と原発で働く労働者の人命を第一にしなければなりません。」としている。
最後に、金澤壽全労協議長の音頭で団結がんばろうを行ない、二手に分かれてデモ行進を貫徹した。
なお連合は、その中央メーデー(四月二九日)が規模縮小・デモ行進無しの自粛メーデーとなり、また各電力会社や原発メーカーの御用労組を抱えて、原発政策でまともな発言が一切できない有様である。対照的に日比谷メーデーは、闘いの姿勢を明確にした。その参加労組の今後の奮起が問われている。(東京A通信員)


新宿メーデー
      屋根と仕事を

 第17回新宿メーデーは五月一日、東京・新宿柏木公園に約200名が参加、野宿労働者一色の集会として開かれた。主催は、新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める会。
 基調を新宿連絡会の笠井さんが報告。彼は東日本大震災の事態をふまえつつ、「自分たちの事は自分たちでやろう」とアピール、「屋根と仕事」の獲得について具体的な内容提起を行なった。
 つづいて、山谷地区での生活約五十年の高沢さん(日本堤伝道所)が、生活保護や就職の世話などの活動を報告。また、三鷹の日雇労働者運動の仲間からは、「震災・原発の問題で、失業はさらに深刻になるだろう。反失業闘争を全体で統一して闘う必要がある」との提起も行なわれた。
 団結ガンバロウを唱和した後、都庁包囲行動を貫徹した。
 このメーデー行動は、野宿当事者主体の闘いとして大きな意義をもっている。また同時に、四年前から日雇・野宿メーデーが二つに分かれた経過となっているが、情勢の重大化によって大きな団結の必要も提起されたとおもわれる。(東京Y通信員)