全国で脱原発のうねり始まる
  

  東京4・24「つくろう!脱原発社会」に4500名

 福島県を中心に空前の原発大災害にみまわれる中、福島第一原発からおよそ200〜250km範囲の首都圏でも、このかん放射能汚染の脅威が身近に感じられた。当初の建屋爆発などで放射性物質の降下が首都圏にも及んできた時期においては、子連れで一時疎開する人もかなり出ていたし(このレベルでの原発避難民は統計不明)、また混乱だけをもたらした「計画停電」が押し付けられ、生活物資も店頭から消えていき、余震も絶間なく続くなどして、いつもは華やかな東京も非常時の雰囲気であった。
今はこの当初に比べ、東京都民の危機感は薄らいでいるようだが、すでに福島県をはじめとして土地と海が広く汚染されてしまい、さらに放射能が垂れ流される状態が続き、原発の安定的冷却の目途もいぜん立っていないのである。溶融した炉心と使用済み燃料棒が爆発的に飛散する危険性はなくなっておらず、すなわち現地近辺の諸都市はもちろん首都圏三千万人が、短時間で健康に危害を及ぼすレベルで被曝させられる危険性は続いているのである。
首都圏が被曝の現実的脅威にさらされた事実はきわめて重く、これによって大都市の普通の人々が、「原発」の是非に初めて向き合うことを余儀なくされたとも言える。
この経験を、日本の原発推進政策を脱原発政策に変えることに活かせるかどうか、それは我々の運動にかかっている。原発をめぐる半世紀の闘いにおいて、まさに決定的となる情勢がしばらく続くだろう。
もちろん多くの人が、それを自覚して闘っている。東京ではこのかん、東京電力本社に抗議し、政府に諸対策や原発・エネルギー政策の根本的転換を求め、世論に働きかける大衆行動が取り組まれてきた。
 従来から反原発・脱原発運動を進めてきた諸団体を中心とするものとしては、都内では3・27に1200名、4・10に2500名、4・24には4500名と次第に拡大する諸行動が取り組まれた。またこれとは別に、ネットを通じて不特定多数の若者が参加した反原発行動としては、4・10高円寺に1万5千人という画期的事態も生まれた。また環境保護団体などへの脱原発の広がりとしては、4・24渋谷で5千人パレードが行われた。
 4・24の「チェルノブイリ原発事故から25年くり返すな!原発震災 つくろう!脱原発社会」の集会・デモは、原発とめよう!東京ネットワーク(原子力資料情報室、たんぽぽ舎、日本消費者連盟など)の主催で行なわれ、都内・芝公園23号地を約4500人が埋め尽くした。
 この集会が、毎年のチェルノブイリ事故周年集会とは比較にならない深刻さと規模で行なわれたことは言うまでもない。チェルノプイリ事故を原発の終わりとすることができず、その核惨事をこの日本で再現させてしまった悔しさがにじんだ集会であった。
 集会ではロシアからのゲスト、パーベル・ヴドヴィチェンコさん(NGOラジーミチ)が、チェルノブイリ事故の汚染地帯の現況とフクシマの共通性を静かに語った。
 福島現地からは大熊町住民の大賀あや子さんが、「3・11以前から1号機の廃炉を求める運動をやっていたが、廃炉の実現の前にこの事態となってしまった。当初は逃げるしかなかったが、今は廃炉アクションで声明を出したり、避難者の支援をしている」と感極まりながら報告した。
また福島市の市民運動・福島復興会議の中手聖一さんは、「文科省が四月十九日に出した、年間20ミリシーベルトの被曝を容認する通知は絶対に許されない。子どもと大人の違いを無視している。ただちに撤回させよう。福島の子どもを守ろう!」と切実なアピールが行なわれた。
 つづいて主催側からは、超党派国会議員主催による四月二七日の緊急院内集会、メーデーでの東電申し入れ行動、5・27集会(午後6時、予定・日比谷野音)など当面の行動が示され、また中部電力・浜岡原発の即時停止などが訴えられた。
 参加者は、「世論を動かし、今度こそ脱原発社会を実現」とする決議文を上げたあと、東電に抗議しつつ日比谷公園までデモ行進を行なった。
なお、この日4・24には、静岡市で若者や「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」などによって、浜岡停止を求める800名のパレードが展開され、また広島市でも、中国電力・上関原発建設の撤回を求める400名の行動が行なわれた。
また、震災三ヶ月目の6・11に「脱原発100万人アクション」を各地で展開することも呼びかけられている。運動と世論は動き始めた。大きなうねりを実現しよう。(東京W通信員)


  「4・16原発はいらん!関西行動」に3500名
          新しい運動の息吹が

 四月十六日、大阪市・中之島公園において、ストップ・ザ・モンジュ、原発を知る滋賀連絡会、奈良脱原発ネットワークなど反原発8団体の呼びかけによる全関西行動、「4・16原発いらん!関西行動・御堂筋デモ」が行なわれ、約3500名が参加した。
 関西においても3・11震災後の三月十六日以降には、学生・市民・労働者が続々と反原発を掲げて立ち上がっている。数人で関西電力に原発停止を求めて学生さんが座り込み、また主要な駅頭では連日様々なグループが思い思いの情宣を行ない、市民に問題提起を行なっている。こうした流れを合流させようと企画されたのが、この4・16中之島集会である。
 ともかく3時30分集合! そして大阪の主要道路である御堂筋を反原発で埋め尽くそう!
 この声が、ネットやその他あらゆる方法で広がっていった。そのため当日は、開場前から個々人や数人のグループで、また組合でと実に多彩な人々がプラカードや手書きのゼッケンで続々と集まり、旧来の集会とは違う新しい運動の息吹を感じさせた。
 集会参加は初めてという人の気持ちや、「原発を何とかしなければ」との参加者の思いは、集会後のデモ行進でもいかんなく発揮されている。沿道では、配布されるビラを次々と手にして立ち止まって読む人、しっかりと持ち帰る人など関心の高さを物語る光景が多く見られた。
 震災から一ヵ月過ぎて福島第一原発の事故は、東京電力・政府・御用学者・マスコミの収束キャンペーンとは裏腹に、深刻の度合いを深めている。当初かれらは、事故の原因は「想定外の地震・津波」にあると強弁し、あたかも不可抗力であるかのように言い募っていた。しかし諸事実からは、この事故が明らかな人災(東電の手抜き)であることが明瞭となっている。また、「事態は収束に向っている」と何度も繰り返されたが、その説明とは逆に「収束」の目途さえ立っていないことが明らかになった。
 こうして政府は四月十二日、事故の深刻な真相を隠し切れなくなり、ついに事故の国際評価尺度を「レベル5」から「レベル7」に引き上げると発表した。当初はスリーマイル原発事故以下などと言っていたが、1986年チェルノブイリ原発事故と同程度の事故であると認めざるをえなくなったのである。
 それでも政府は、放出された放射性物質の量はチェルノブイリよりずっと少ないと言い訳をしている。しかし、ぼう大な核燃料を抱える原発4基がそろって未だに冷却できず、今も放射能を垂れ流し続け、大気・大地・海洋に汚染を拡大し続けている。核燃料の爆発的飛散がなくても、このままでは放射能汚染はチェルノブイリを上回ってしまうだろう。
 原発の取水口付近の立て抗からは、国基準の一億三千倍という驚くべき高濃度汚染が検出され、しかもそれは流失したとされている。また政府が避難地域に指定した半径20キロの圏外でも、福島県飯舘村の土壌からは、チェルノブイリ事故での「強制移住地域」の5〜6倍ものセシウム137が検出されている。そのため政府は新たにこの地域一帯を「計画的避難地域」とし、住民に半ば強制避難を強いている。
 このように今回の原発事故は、1956年の鳩山政権に始まる日本の原子力施策が、いかに虚構に満ちたものであったかを明らかにしている。「原子力の平和利用」の掛け声の下、原子力発電の危険性は押し隠され、この事業に莫大な税金が投入されて、それに群った歴代自民党、御用学者、地元政治家、天下り先を求めた通産省官僚、CMが欲しいマスコミ等々が「安全神話」を作ってきた。
 それが崩壊した今は、情報統制に躍起になっている。海外メディアはこのかん、日本政府の事故報道を懐疑の目で見ている。原発大国フランスの報道でさえ、「日本政府と東京電力は真相を隠している」と言い切っている。
 当然ながら今、全国で原発への抗議の声が高まっている。私たちはこの声をいっそう街頭の抗議行動などへ拡大して、脱原発への政策転換をかちとらねばならない。また、さらに事故責任をしっかりと東電・政府に追及し、刑事責任と賠償責任を果たさせていかねばならない。
 同時に日本の原子力行政が、戦後の高度経済成長政策と共に進められた歴史も忘れてはならない。その意味では今回の原発事故は、「公共工事での利益誘導と官僚主導の55年体制の最終的解体」とも言えるのではなかろうか。
 大震災からの復旧・復興・再生も福島原発事故も一くくりにしてしまって、「がんばれ日本」、「日本は一つ」では欺瞞となる。連帯の掛け声に隠れて、責任逃れする者たちを許すな。人災の責任者たちは処罰されなければならない。
こうした闘いなくして、古い社会の仕組みを作り変えていくことはできない。真の復興と再生は、労働者民衆の闘いなくしてありえないのである。(関西M通信員)



悪者は
 「がんばれ!日本」
   に隠れて・・・


   原発推進派の長年の責任を追及しよう!

 こめかみの血管が切れそうです。
原発タカ派の菅政府は大タワケであるにせよ、福島原発災害でも一義的に絶対の責任を負わなければならないのは、長年原発を推進してきた自民党のはずですが、今は執政党ではないことを好いことに第三者然として、言いたいことを言っているからです。
 こうした自民党政治家、官僚、御用学者など原発を推進してきた連中は、今後の責任追及に怯えて弁明に努めているか、遁走しようとしているか? 全然そうではないようです。かれらは免責はおろか、そもそも責任を問われることさえないと自信を持っているようです。
 環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也さんによると、「原子力関係者は、『原子力は継続するが、ほとぼりが冷めるまでは石炭火力と天然ガスでつなぐ』というシナリオを書いている」(四月十三日・朝日新聞)そうです。あんた、腹が立つだろう。わたしは怒り心頭です。
 巷では、「みんなでがんばろう」が氾濫しています。今は皆が力を合わせる時で悪者探しをしている場合ではない、の大合唱です。
 これは半分は、「直感」的な善意で、等閑視の中で原発に依存する生活を送ってきたと自省する真面目な人々が、自分と折り合いをつけていくための方便でしょう。しかしあと半分は、強力な媒体を通して意図的に流布される言い抜けです。
 だから、たとえ善意の人々の反感を買おうとも、精一杯悪者探しをするべきです。
 「原発ムラ」の共謀者たちの姿は、この国の隅々にまで張り巡らされた政財官、マスコミ、大労組の癒着、この上にアメリカの利権シンジケートが君臨するという怪奇な複合体の、その氷山の一角だと思います。
 この複合体は原発対応だけでなく、早々に「復興」利権を俎板に乗せています。この複合体に対して、私たちは今なお間違いなく非力で劣勢です。
 ただし、原発問題についてなら、こちらに断然の有利さがあります。と言うのは、反原発派は原発そのものを問題にしていますが、対する原発擁護派は、「電化生活」「産業活力」「温暖化対策」のための手段として原発を容認するというのが大多数でしょう。賛成派の大半は、受忍限度内で手段に代替があったなら、賛成の動機づけを失うのです。
 この点に確信を持つべきです。だから、わたしは先述した飯田さんの「エネルギーシフト」は必修中の必修だと思っています。(徒然亭埋草)