3・11東北関東大震災−問われる日本の転換
  東北復興の闘いから自治・共生の日本へ

 三月十一日に発生した巨大津波を伴う東北関東大震災と、それによって引き起こされた人災としての福島原子力発電大災害から一ヵ月がたった。
津波・地震被害によって東北太平洋岸は壊滅し、死者・安否不明者はついに三万人余に達してしまった。また放射性物質を広範囲に撒き散らし、推定二十万人の原発避難民を生んでいる福島原発災害は今なおいぜん進行中であり、天災・人災三重苦の未曾有の大災害となった。
 すべての犠牲者を中心より哀悼し、すべての被災者の皆様へ心よりお見舞いの意を表します。しかし弔意とともに、そのこうべを上げた闘いが今問われている。その闘いは、当面すぐに実施されるべき諸対策のみならず、日本の政治・社会の全般的な転換のための闘いである。
 「3・11」以前と以後で、日本が何も変わらないということは最早ありえない。あってはならない。もし何も変わらないなら、さらなる命の喪失と社会の全面的崩壊が待っているだけである。
 第一に求められている最も分かりやすい変化は、「原発推進」から「脱原発」への転換である。
 福島原発災害は明白に人災である。日本経団連会長・米倉は「千年に一度の大地震でも原発は止まった。自信をもて」などと叫んだが、どこまで揺れたら制御棒が入らなくなるか、今後も実験しようということか。炉心溶融・放射能汚染を引き起こしてのこの暴言、万死に値する。
事態は想定されていた。東京電力・政府に過失責任がある。〇八年にはIAEAですら、新潟中越沖地震での柏崎刈羽原発の重大事故を受けて、日本の原発の耐震基準を疑問視する報告を出していた。福島第一原発では、最大津波想定がたった5・7m(襲った津波は14m以上)で、海岸側に非常用発電機を無防備に並べていた。
福島原発災害をもってしても依然原発推進にしがみつく東京電力など電力独占資本は、3・11以降、あわてて電源車を各原発に配置するなどして対策は立てたとしている。しかし原発推進派のこれまでの態度は、「非常用電源喪失は想定していない。そのような想定をしたら原発は造れない。だから割り切らなければ設計なんてできない」(07年浜岡差し止め訴訟での内閣府原子力安全委・班目委員長の証言)、「全交流電源喪失は考慮する必要はない」(安全審査指針)というものであった。長時間電源喪失の想定はメルトダウンを容認することを意味し、原発は不可能となるからだ。
ところが今は、電源車で備えれば、全電源喪失しても原発はやれるとしている。これは、福島第一の事態をくり返してかまわないと言っているに等しい。「対策強化」なる原発延命策を絶対に許してはならない。
3・11以降、世界的に脱原発の気運が高まっている。地震・津波大国の日本ではとくに、原発が不可能になったことは明らかである。最も危険な浜岡原発をただちに停止せよ。埋め立て工事を強行しつつあった上関原発を始め、すべての新規建設計画を撤回せよ。プルトニウム・ウラン混合燃料の原子炉をすべて停止せよ。
 第二に問われる日本の転換は、新自由主義による地方・地域切り捨て政策から、住民自治強化・地域経済再建政策への転換である。
 巨大津波は、このかんの新自由主義によって切り捨てられていた東北の諸地域を襲った。その復興のためには、このかんの大都市中心主義・大企業中心主義を許さず、人・仕事・資金を地域に回復させ、その主体として住民自治を強化する政策が必要だ。大資本は、ゼネコン的復興事業に一時的には飛びついても、地域経済に見切りをつけ、国際的儲け仕事に舞い戻っていこうとする。東北復興は、資本の論理か、地域社会の労働者人民の生活か、を問う大きな階級闘争の舞台となるだろう。
 そこで第三に問われる転換は、「国際競争主義」から、いわば「内需共生主義」への転換である。
 この課題は、かって自動車産業などでの「非正規切り」の時にも、外需依存ではなく内需振興をとして叫ばれたことがある。しかし新自由主義勢力の巻き返しにより、米国と組んだ国際競争主義が復活してしまった。
現在、この転換の課題は、東北復興資金の財源問題と重なる。菅政権による復興資金試算額の最大25兆円(原発関係を除く)は、日本の政府・企業・個人の対外債権残高の一割程度に相当する。大資本は国際競争のために海外工場など対外資産を優先させ、金融資本と政府は対米協調のために米国債を買い続け、巨額のドル外貨準備を保持しているが、今こそそのカネを復興内需に回すべきだ。
政府案によると復興国債を、日銀引受け(お札の増刷)とはデタラメ極まりない。大資本に無配当で引き受けさせろ。国民一人ひとりも、まともな復興計画なら復興債に協力する用意がある。しかし、被災者も苦しめる消費税増税などは絶対に認められない。
3・11、悲しみとともに闘いは始まったのである。