東北被災地現地からの現況報告

 復興の仕事を被災者・失業者へ
                             被災地ボランティア・S

 東北関東大震災から三週間、東北の被災地現地から現況を報告します。
 三月三十一日現在での死者数(不明者数)は以下の通りです。宮城県7012名(7117名)、岩手県3349名(4544名)、福島県1047名(4815名)、全国で11532名(16441名)です。
 死者数は毎日増え続けていて、その分、不明者数が減っていますが、阪神淡路大震災と比べると、三週間経過しているにもかかわらず、不明者数が死者数を大きく上回っているのが今回の震災の特徴です。これは、津波による被害がいかに大きいかを物語っています。
この中で福島県だけは、死者数と不明者数の比率が他県と違っています。
これは、福島第一原発の大災害が原因です。放射能汚染で、海も含めて被災地での捜索が大きく制限されているためです。三月二七日の大熊町では、二次被曝をおそれて遺体収容を断念し、現場に放置するという事態も起きています。
また、福島県では復興への取り組みも、他県に比べて遅れている様子です。
これは、ありもしない「安全神話」で住民をだまし、事故後も原発推進政策を進めるために情報を操作し、初期対応を誤り、場当たり的対応に終始することによって、今なお放射性物質を拡散させ続けている東電−政府に責任があります。
あまりのデタラメさに国民の間で怒りの声が高まるや、やっと菅首相はやっと原発増設の白紙化、2030年までにあと14基増設するとした「基本計画」の見直しに言及しました。
この福島県を除き、現地での救援、復興はおおむね着実に進んでいます。
大津波直後は、電気も水道もガスもすべて止まり、電話・携帯も不通になる中、三日間も何の救援物資も入らなかった集落にも救援物資が入るようになり、各避難所にも救援物資が入るようになりました。
 こうした中で、わたしの活動は、仙台市内の拠点から各避難所へ物資を届ける仕事をやっています。
地震の被害が少なかった仙台中心部を過ぎ、仙台東部道路の海側に出ると風景は激変します。
あるべき町並みがなくなり、一面のガレキの原野。田んぼもヘドロでおおわれ、所々、流された車がポツリポツリ。東道路の土手の下には車が二段三段ににも押し付けられたように重なり、そのフロントガラスにはガムテープで×の印しが。
さらに三陸道路を北上し、石巻より45号線を下る。ここも同じ様に、国道もヘドロと流された舟や車で通ることもできない。
女川、南三陸ではさらに激変する。峠を越え、町へ入る道を下ると、さえぎる建物がまったくなく、海が直接眼に入ってくる。動いているのは、自衛隊員と肉親を探す人々だけ。町のメインストリートもガレキの原野と化して、町のどこからも海が臨めるのです。
この風景と対照に、三陸の海はおだやかで、カモメも舞っていました。まるで三月十一日の津波を忘れたように。
このような被災地の光景の中、私たちボランティアは元気にやっています。行政の「平等主義」とタテ割りの硬直した組織体制のゆえ、せっかくの大量の物資が最も必要とされる所へ緊急に届かない中、NPOやNGO、各種民間団体が連携を取り合い、現地のニーズを聞き取り対応することで、被災した人たちにとても喜んでもらっています。
私たちが届けた「オニギリの米の一つぶ一つぶが輝いていて、まるで宝石のようだ」という言葉に、逆に励まされている毎日です。
昨日は、自衛隊の部隊から、「行政に聞いてもよく分からない、あなたたちの方が情報をもっている様なので、ぜひ教えてください」と直接電話がありました。
全体的には当面の物資は足りた状態ですが、指定避難所ではない「個人避難所」や、車が入れない集落、また医療施設ではまだまだ必要な物が足りません。そういった所に重点的に物資を届けています。
また、ニーズも、冷蔵庫・洗濯機、子どものオモチャ、食事のオカズになる物といったものに変わってきており、そういったものの物資カンパも必要としています。
こうして、「震災から生きながらえた生命をつなぐ」救援活動から、肉親・家・仕事・友人などなどを失った「心のケア」へ、避難所から当面は仮設住宅へ、将来展望をもてる住居と仕事へ、など支援活動の内容も変化していくでしょう。
仮設住宅は宮城・岩手・福島三県で6万2千戸、宮城県だけで3万戸必要とされています。しかし、その宮城県では第一次分として1207戸の建設工事が着手され、二次分として1195戸、合計して2402戸しか予定されていません。早急に全被災者の仮設住宅を建設せよ。
また今回の震災では、推定2670万トンのガレキの除去が必要とされています。主要幹線道路や生活道路の一部での除去は進みましたが、船が道をふさいだままの状況や、車が家屋の中に突き刺さっているような所は、いまだ手付かずのままです。
阪神淡路大震災の2倍といわれるこのガレキの除去、さらには南三陸町や女川町などのように町ごと津波で消失した地域、石巻市、塩釜市、仙台市のように海岸部が壊滅した地域などなど、町と産業を復興する作業はこれから本番であり、阪神淡路大震災の復興に三年以上かかったことを考えると、十年間の計画が求められています。
こうした仕事に、被災した人びとを雇用せよ。そして全国で失業に苦しむ仲間の仕事としても復興の仕事を回してもらう、そうした「しくみ」を、この救援運動の中でつくり出していこう。