税制改正大綱

 財界の要求に押されて法人税の5%引き
 茶番劇か、それとも無知蒙昧か

 菅政権は、十二月十六日、来年度の税制改正大綱を閣議決定した。最大の特徴は、法人税の5%引下げである。
 この5%引下げに必要な財源は、一兆五千億円であるが、経産省が確保したのは、六千五百億円に止まった。その具体的中身は、@企業が赤字を翌年度以降の黒字と相殺できる「繰越欠損金制度」の利用を制限し、現行では大企業が相殺できる範囲100%を80%とする(ただし、繰越期間は7年から9年に延長)。A企業に設備投資を促がす減価償却制度を縮小する―などというものである。
 しかし、この程度では法人税5%引下げの財源としては、八千五百億円程度が足りない。したがって、財務省はこの間、企業の優遇措置をさらに縮小・廃止などして財源を増やすか、あるいは法人税の引下げ幅自身を縮小すべき、と経産省と渡り合ってきた。
この動きに対して、経団連は、実質的な企業減税にならないのであれば、法人税の引下げなど無くてもよい、と居直り的発言で猛抗議した。
菅政権はこのどう喝に簡単に屈して、残り財源を企業課税分野以外に求めることとして、法人税5%引下げを決定した。
この決定がほぼ決まった十四日の夕方、米倉経団連会長は、官邸を訪れて「財源が厳しい折、よくリーダーシップをとっていただいた」と、満面の笑みを浮かべた。菅首相はこれに応じて、「国内投資や雇用拡大、デフレを脱却する方向へ積極的に使っていただきたい」と要請した。だが、米倉会長の返事は、「約束とは言うわけにはいかない」と、つれないものであった。
今回の税制改正大綱について、少なからずのマスコミは企業減税に対して個人増税という構図で論評しているが、これは大きな間違いである。焦点は、この間、新自由主義によって優遇され、格差拡大の元凶となった企業や金持ちに対して、どのような態度をとるかにあった。
この観点からすれば、法人税5%引下げがもちろん企業優遇の継続拡大であるだけでなく、高額所得者への増税といっても、所得控除の縮小程度ではまだまだ優遇措置以前の状態への復帰には遠く及ばないのである(所得税の累進性が大幅に緩和され、高額所得者が優遇されてきた一九九〇年代の状況については、理論誌『プロレタリア』9号の三枝知徳論文を参照)。
また、マスコミなどは、法人税が諸外国と比較して高率なので、企業の国際競争力を高めるために、法人税の減税が必要だとキャンペーンしてきた。しかし、企業が負担すべき社会保障(雇用保険、健康保険、年金保険など)は、一九九〇年代半ば頃から正規労働者を大量に派遣労働者など非正規労働者に置き換えたため、大幅に減少してきている。この社会保障も含めた企業負担全体でみると、かえって日本企業のほうが有利になっているといわれる(『朝日新聞』十月二十日付け)。
菅政権は、そもそも、今日の日本資本主義の置かれた位置を全く解っていない。ソ連圏崩壊後の一九九〇年代からグローバリゼーションが世界的に広がり、日系多国籍企業(あるいはグローバル企業)も、利益を求めてアジアなど新興国への海外投資を積極化してきた。それが、バブル崩壊以後の資産デフレ、九〇年代半ば以降の人口減少などもあいまって、日本の国内経済はデフレが深刻化し、日本の大企業などは国内投資をますます減少させ、なお一層海外投資に傾斜しているのが現状である。
日本政策投資銀行が今年八月に発表した設備投資計画調査(資本金10億円以上の大企業3365社を対象)によると、二〇一〇年度の全産業の海外設備投資額は前年度比35・1%増(2・8兆円)であるが、国内への投資額はわずか6・8%増(17・3兆円)でしかない。
そのような状況下で、法人税が引き下がったからと言って、ただちに大資本が国内投資を増加させ、雇用を増大させるのはほとんどありえない。国内投資が少ないのは、資金がないからではない。投資して儲かるような対象が国内に極めて少ないからである。
ましてや、大企業はこの間国内への投資ができないために銀行などへの返済をつぎつぎと推し進め、いまや企業が手元に抱える現金預金は二百兆円を超えるといわれる(『東京新聞』十二月十五日付け)。したがって、菅首相のように「国内投資や雇用」を大資本に要請すること自身が全くの茶番劇である。もしそうでないとすれば、菅首相は日本資本主義のこの現状に無知蒙昧といわざるを得ない。実際のところは、おそらく両方とも渾然一体として絡まりあっているのであろう。
いまやグローバル資本主義体制の下で、日本社会の階級利害は真っ向から対立している。かつてのように第三世界を始めとする他国の市場を犠牲にし、あるいは自然を犠牲にして、経済成長を追求することが資本の利益であるとともに、労働者にもそのおこぼれが行き渡るような時代状況にはない。つまり、経済成長することと、「国民全体の生活水準維持向上」とが同義的な関係にはなっていないのである。
このことは、戦後最長の景気といわれた「実感なき景気」(〇二年二月から〇七年十月の69か月)がその時期にほぼ重なり(〇一年三月から〇六年六月)、デフレ状態であったと公式に認定されているように、ほとんどの労働者人民にとって生活が楽になったとは実感できない状況一つとっても明らかである。
儲かっているのは、日系多国籍業あるいはグローバル企業など一部のものであり、それも中国など新興国の労働者を使って得た製品を逆輸入させ、日本国内のデフレを促進する要因となっているのである。
「景気回復」とか「経済成長」なるものへの幻想を断ち切り、自然界を破壊しつづける資本主義社会・資本活動に振り回される非人間的な資本主義社会を廃止し、定常社会の実現こそが必要な時代になっているのである。(T)