〔沖縄からの通信〕

  あとは基地NOの知事を作るだけだ
         基地容認県政12年間の沖縄県民の苦闘は、そこに到達した

 十一月二八日投票の沖縄県知事選挙は、このかん取り沙汰されていた民主党・喜納昌吉氏の出馬が消え、一騎討ちの構図が決まった。
 沖縄人の九割近い辺野古新基地建設NO!の意思に押されて、前宜野湾市長・伊波(イハ)洋一氏が立つ。他方、現職・仲井真弘多が防衛省・外務省の期待を背にして、辺野古移設の推進派として立つ。沖縄対ヤマトである。大田県政が一九九八年に倒されて以降、沖縄対ヤマトの構図が普天間返還問題の根底にあったわけだが、沖縄が目覚め、ヤマトがゆっくりゆっくり十二年にわたって追いつめられ、今回知事選が、この構図の昇りつめた局面になるといえる。
 仲井真知事は、九月二八日から「県外移設」と言い始めた。それで、「推進派として立つ」と書くと客観報道として間違いだという人もいるだろう。しかし言葉のみ判断すれば、本質的に間違いを起こすことになる。現実には仲井真は、前名護市長島袋を支持し、前原外相や元米領事メアと密談を繰り返している。政治的にも利権的にも、日米の推進派と一体である。
また、仲井真が真に「県外」を求めるならば、現在進行中の辺野古アセスメントを中止するはずである。彼は「県外」表明後も、「アセスでは隠されていたMV22オスプレイが辺野古配備となれば、アセスはやり直しか」と記者会見で問われて、「やり直しではない。追記することになる」と平然と答えている。仲井真は、選挙用に口先だけでも「県外」を言わざるをえない。彼は「県内移設反対」とは依然言わないが、逆に「辺野古YES」と言ったら即、落選である。
政治的に追いつめられてのウソ、というだけの問題ではない。5・28日米合意を維持する民主党や元々辺野古移設の自民党から、真意を隠しつつ新人が「県外」を掲げて立候補してくるなら、まだ理解できる。しかし仲井真が今さら「県外」を掲げるのは、まったく意味が違ってくる。稲嶺知事の八年間、仲井真の四年間、日本政府の権力と金力を使って、辺野古に新基地を建設するのが彼らの仕事だった。その仕事によって、村落は引き裂かれ、人々はいがみ合わされ、悩み苦しんできた。仲井真が「県外」を言うなら、辺野古の人々と沖縄の九割の人々に謝罪しなければならない。また、防衛・外務官僚や名護の利権屋などとの、これまでの関係を破棄することを声明しなければならない。「県外」を掲げても知事四年間の清算ができないのなら、立候補をやめるのが政治家のあり方ではないのか。
十二年前、利権屋たちは辺野古プロジェクトにむらがり、官房機密費さえも使って、大田知事を倒し稲嶺を知事にすえた。名護でも選挙のたびに巨額のカネが踊り、ついには新基地の請負談合ための、名護市政も含む法人会コンチェルンという非合法な存在さえ生み出していくまでに腐敗がすすんだ。失われた十二年であった。沖縄県や名護市に、基地とリンクして交付された予算も、選挙に使われたカネも、沖縄社会を豊かにはしなかった。県も市も、財政はひどい状態になっている。
そのかん沖縄民衆は、「何がなんでも辺野古基地だけは作らせてはいけない」、つまり、いままでの米軍基地は米軍が一方的に作ったものだが、沖縄人自身が容認して米軍基地を作らせることだけはあってはならないとして、基地建設を阻止してきた。県議会の野党過半数を実現し、沖縄の衆院議員を辺野古NOで占め、今年一月に名護市長も取り、4・25県民大会を成功させ、先の十月名護市議選で与党過半数をかちとった。ありとあらゆることを沖縄はやった。
だが仲井真は、「普天間の危険性を除去するための辺野古移設」を降ろさなかった。今年五月以前の段階、鳩山首相がまだ「県外」を掲げている時期に、それを支持して仲井真が「県外」を表明していたら、5・28の日米合意はありえなかった。「米国も沖縄も納得がいく」という鳩山の前提からすると、後に残るのは「米国に呑ませる」ことだけになるからである。徳之島は三町長が島民側に立ち、そうした構図を作って成功した。5・28までに何回も決定的なチャンスがあったが、仲井真はそうしなかった。知事一人が辺野古推進派の孤塁を守りとおした。沖縄の総意がNOであるのに、知事一人のYESが日米の合意形成に根拠を与えた。知事と会えば沖縄と話し合ったことになるとする日米の両政府に対し、沖縄人の憤まんが広がっていた。
九万人以上が参加した四月県民大会以来、「県内NO」が県民総意であることを何人も否定できなくなってからは、仲井真は「辺野古移設」を口にできなくなった。仲井真は鳩山首相、菅首相に対し「県内は困難になった」と状況を説明し、県民に向ってはその同じ言葉で味方であるかのようにキャンペーンを張った。「困難になった」を何百回も繰り返し、あげく県知事選挙の崖っぷちに立って、いきなり「県外」と言ってのけた。動機も、政策変更の理由も示しえない、誰がこんなものを信じることができようか。「県外と言ったが、県外ではどこを探しても無い。普天間の危険性除去のためには、苦渋の選択をせざるを得ない」というセリフが、いつでも取り出せる代物でしかないのである。

   沖縄民主党は崩壊へ

さて今回の知事選では、早い時期から、「第三極」の知事候補を主張する人々がいた。代表格が儀間光男・浦添市長で、自民党から離れた部分、「そうぞう」、民主党の一部、これらから成っている動きであった。沖縄政界でいう「第三極」とは、下地幹郎衆院議員(今は国民新党の幹部、出身母体は「そうぞう」)による造語であり、自民・公明とも社共とも関係なく「沖縄のため」を売り言葉にするもので、この「第三極」に社大党は含まれないとする。ここには、思想も政策も煮詰まったものは見られない。
この「第三極」グループは、翁長雄志・那覇市長を本命としたが蹴られ、次善として下地氏を挙げた。下地氏が今のヤマトでの地位を捨てて受けるはずがないのだが、「与党内で議論する」として、民主党の喜納昌吉氏をかつぎ出す画策につながっていった。
参院比例で落選して無冠となり、陰り行くしかない喜納氏はそれに飛び乗って、今まで単純明快であった彼の言辞を百八十度変え、「5・28合意を尊重しつつレビューをはかる」という訳の分からないことを口走りだした。こうして彼は、辺野古NOから遠ざかっていった。
民主党でのこれと対照的な動きとしては、民主党県議の山内末子氏が、「県民を裏切れない。旗幟鮮明な伊波を支持する」として、離党を公表した。また民主党糸満支部が、公然と県連を批判している。
 喜納氏はミュージシャン出身で、沖縄下層を主に広くファンを持っている。政権交代を実現するために小沢一郎はこの喜納氏を通じて、沖縄の文化と大衆の気分を民主党の沖縄での票田として回収した。喜納氏と民主党の間、喜納ファンと民主党の間には、いつ表面化してもいい矛盾があった。政権を取った民主党、小沢主導でない民主党になって、今この矛盾が隠せなくなっただけである。「県外」を掲げることによって、沖縄でゼロから四人中二人の衆院議員を得た民主党が、今回「自主投票」にするというのでは約束破棄である。伊波を支援決定できないようでは、沖縄民主党は早晩議席ゼロに戻るだろう。
「仲井真知事が、辺野古NOの実現にとって最大の障害になっている」、このかん平和市民連絡会の当山栄事務局長は口癖のようにこう言ってきた。しかし、仲井真の偽装によって、それは必ずしも常識とはなっていなかった。参院選の無惨な敗北後は、知事選への危機感は活動家らに共有されていた。
 「知事をどうするか」、「伊波しかないだろう」、これは自然に形成されていった。一部に宮城宏岩氏を推す声もあったが、前回知事選で糸数慶子と山内徳信で競うというような問題にはならなかった。
 伊波氏と市民運動との交流は、山内、照屋寛徳、山城博治ら各氏のようには無い。しかし、彼の市長としての政策的成功は広く知られているし、五月の普天間包囲行動での稲嶺名護市長との共同記者会見、基地周辺中部6市町村長の共同記者会見で見せた、彼の基地撤去への情熱も印象的であった。彼は「普天間基地はグアムに行くことになっている」を骨子とする「グアム論」による、するどい政府批判を展開してきた。
 鳩山政権崩壊による「グアム論」の一旦の挫折は、彼の情熱にさらに拍車をかけたに違いない。伊波市長(当時)の「グアム論」の実現にとって、「県外・国外」を掲げる鳩山政権の出現は最大のチャンスであったに違いない。彼は、5・28以前には鳩山民主党に、米国の「グアム統合軍事開発計画」「沖縄海兵隊グアム移転アセス報告」などの分析を講義している。国交省副大臣であった辻元清美氏に、「意中の移設先はどこだったの」と聞かれた辞任後の鳩山は、「グアムだった」と答えている。鳩山政権時代については、多くの疑問点が明らかになっていないわけであるが、5・28以後も、「グアム移設」論者は民主党内にたくさんいる。
 伊波氏は早い段階で、沖縄ではなく東京において、質問に答えて「乞われれば知事選に出る」と表明している。普天間基地を抱える市長として、当然の帰結であろう。

  「市民ネット」の闘い

 九月二六日、平和市民連絡会が中心となり、県内の様ざまな人々が呼びかけ人になって「沖縄の未来を拓く市民ネット」が結成され、以降、伊波支持の活動が独自に展開されている。その結成大会では、新崎盛暉氏の知事選の歴史的意義についての講演、伊波洋一氏の立候補表明と政策概要の講演があり、討論・提案が行なわれた。
 この「市民ネット」は、社民・社大・共産の伊波選対とは別に、独自の運動が必要であることを前提とするものである。第一に、これまでの知事選では争点が経済問題にすりかえられてきたが、あくまで辺野古を争点の中心として独自に闘うこと、また第二に、伊波知事実現が結論であるが、当山栄氏の言が示すように仲井真の打倒が主題であること、この主題を追求すれば仲井真の化けの皮をはがす活動を重視すべきこと、これらが踏まえられていると筆者は考えたい。
 市民連絡会の主戦場は、辺野古現地支援と県当局との団交であった。この十二年間、知事団交は三十回を下らないだろう。市民連絡会は今現在、仲井真知事との間では主として、オスプレイ配備など必要要件をひた隠しにする辺野古アセス方法書の成否をめぐって、法廷闘争の渦中にある。であれば、仲井真の辺野古誘致派としての本性を検証し、明らかにする最適の位置にいるといえるだろう。

  注目できる伊波県政方針

 十月二八日、伊波氏は選挙公約を発表した。それは、普天間の県内移設を断念させ、2013年内にグアム移転など国外移転を実現する。国による振興計画を見直し、県主体の計画を作る。跡地利用、基地従業員の雇用のために軍転特措法を拡充する。国は戦後補償の責任がある、全閣僚と知事で構成する沖縄政策協議会に参加し、沖縄の主体的な振興のための立法措置を実現する。アジア市場への販路拡大。亜熱帯産業の育成。航空運賃の引き下げ。鉄軌道の導入。県立病院の独立法人化反対。現行の県行財政改革の撤回。学童入院無料化。学童保育の公設化、等々16項目を重点としている。
 記者会見で伊波氏は、「辺野古移設問題はわたしが当選すれば解決する。辺野古に重点をおいて四年間県政を運営しようとは思っていない」と述べた。この言をとらえて琉球新報は、「反基地が先行している自らのイメージを変え、生活密着型の公約を印象づける意図がうかがえる」と解説しているが、この見方は浅はかだ。この発言には二つの意味があると見るべきだ。一つは、辺野古移設は今の知事の容認という薄皮一枚で維持されているが、新知事が拒否すれば、日米合意と政府の足ががりは消滅するということ。もう一つは、これまでの十二年の県政は辺野古移設に全力をあげてきたがそれもできず、移設策優先によって、県民の経済や暮らしのための政策は失われてきたということである。
 また伊波氏はこうも言った。「基地は公務の15%ぐらい。医療や福祉など県民の県政を実現するため、阻害要因の基地を取り除きたいだけだ」。
 これは、仲井真に対する先制パンチだ。彼は、「基地か経済か」の立て方は通用しないと言っているのである。いままでの選挙では、反基地をやれば経済が不況になるという脅しがかけられ、日本政府への服従と経済振興キャンペーンが張られてきた。
しかし今日、この宣伝が通用する社会状況は弱まっている。普天間爆音訴訟では、三億円の賠償金を呑まず、逆に全市民が米軍に一万円ずつあげるから、基地を持って帰ってくれとして上訴した。また、宮里政玄氏や我部政明氏らの「常識をくつがえす」連続講座は、米軍基地の維持管理のために、政策的に県の経済発展と生活向上が抑えられていることを、基地交付金の流れを追って実証的に明らかにしている。さらには、日本政府の財政難によって、ヤマトからのカネの威力が信用されなくなってきたことも上げられる。
 選挙戦は、伊波選対本部と市民ネットが、仲井真を挟み撃ちし、打倒する闘いとなるだろう。仲井真の「県外」偽装をあばき、知事選勝利・基地撤去をかちとろう。(T)