子どもへの虐待を早期につかみ
       尊い子どもの命を守ろう


                            教育労働者  本田道夫


(1) 困った時の相談先は、一位「友達」二位「家族」・・・

「両親に両ほほを平手でたたかれ・頭を殴られて意識を失った児童が、翌日つまった
嘔吐物により肺炎を引き起こして死亡」
 悲惨な出来事がブルジョアマスコミ紙上を駆け巡った。今年1月23日・24日に
起こった子どもへの虐待による死亡事件である。その後も虐待によって死にいたる事
件は後を絶たない。
10月3日、1月に起きた小1虐待死を受けて、虐待防止キャンペーンを続ける江
戸川区のグループが、およそ千人の子どもを対象にアンケート調査を行ない、その結
果を報告会で発表した。それによると、具体的な数は明らかにされなかったが、困っ
た時の相談先として友達・家族が上位2つに挙げられ、教師や児童相談所等への相談
は、少ないという結果が報告されている。この調査は、18歳以下を対象に今年5月
から実施され、栃木・茨城・東京・千葉・埼玉・神奈川等13都道府県から千二十三
通の回答を得て行われているが、この傾向は全国でも同じ結果になると思われる。教
師への相談が少ないという事実を、私達教育労働者は、深刻に受け止める必要がある
のではないだろうか。
2009年度、児童相談所が対応した虐待の相談件数は、44,000件を超え、過
去最多を更新している。2000年度17,725件、2001年度23,274件、
2002年度23,721件、2003年度26,569件、2004年度33,40
8件、2005年度34,472件、2006年度37,323件と児童相談所が対応
した虐待の相談件数は年ごとに増加し、昨年度は4万件を超えるほどに増加してい
る。かつて子ども達は、児童労働で酷使されたり、躾と称してお灸をすえられ笞や棒
で打たれたり、性的虐待を受けていた事実がある。また、取り組みが進んだため「子
どもの虐待の報告件数が最近急増している」というのも事実である。しかし、子ども
の虐待件数が増加し、悲惨な事件が起こっているのは事実である。
 しかも、この件数は子どもの虐待の相談件数であり、実際の数値ではない。虐待は
家庭のみならず、学校・保育所・幼稚園・塾・スポーツクラブ等でも起こっている。
子どもの虐待の件数は示された数字以上に多いものと思われる。
 このような現実にあって、私達教育労働者は、かけがえのない子ども達の命と人権
を守るために、一層実践を深めなければならないと思っている。

(2) 子どもの虐待はどの家庭でも起こる

子ども達の人権が侵され、命までも奪われていること、それはあってはならない重大
な人権侵害である。
 子どもの虐待は(1)生命の危険を伴う暴行、外傷をもたらす暴行、繰り返される
体罰等生命・健康に危害をもたらす身体的暴行。(2)性的暴行、性的搾取等子ども
に対して行われる性的行為の全て。(3)子捨て・遺棄。子どもの健康・安全を守る
ことの放棄、健康維持に最低限必要な衣・食・住を提供することのネグレクト・無関
心等、養育の拒否または怠ること。(4)子どもに対する著しい暴言、または著しく
拒絶的な対応・同居する家庭でのつれ合い等に対する暴力によって、本人自身・その
他の子どもに著しい心理的外傷を与える言動を行うこと、と言われている。
 子どもと二人きりで過ごす孤立した育児、子育ての悩みを相談する相手がいない。
貧困、定職に就けない、低賃金等経済的な問題。子ども時代に大人から愛情を受けら
れなかった等、親自身が抱える問題。子どもが病気からよく泣く、「手のかかる子で
ある」等日々の様々なストレスが重なりあうことで虐待へとつながっていく。子ども
の虐待はどの家庭でも起こりうることである。

(3) 子ども達が口を開かないのは、
   訴えに耳を傾けともに考えようとする大人が少ないから


しかし、現実には、「なぜもっと早く対処できなかったのか」と嘆く事件が、しばし
ば起こっている。それは、虐待の事実をつかむことが大変難しいからである。多くの
虐待児童は、自分から「虐待されている」と伝えることはしない。むしろ暴力の存在
を聞いても否定することの方が多く、認めた後でも、その事実を取り消す子どもさえ
いる。また、虐待を受けていると思っていない子も少なくない。さらに子どもは、加
害者を守ろうとさえしている。それは加害者を恐れたり、困らせたくないと思ってい
たりするからである。そして、虐待を受けていても多くの子どもは、親を慕い、親を
愛し、親を守りたいとさえ思っている。彼らは、自分が悪かったから虐待を受けたと
信じ、自分が良い子になればと感じている。
しかし、彼らの多くが口を開かない最大の理由は、アンケートにも示されたように、
子どもの訴えに耳を傾け、真剣に受けとめ、ともに考えようとする大人や教育労働者
が少ないからではないだろうか。むしろ「あの優しそうな父親から性的虐待を受けて
いたなんて信じられない。子どもの思い違いでしょう。」とか「虐待されているかも
しれないけれど、子どもの言葉だけでは動けない。今度起きたら・・・」等と弁明し
て、助けを求めるかすかな声を無視してしまうことさえある。勇気を持って、事実を
打ち明けたAさんの話に、「それは作り話です。注目して欲しいんですよ。男性教師
に色目を使う子で、親御さんも困っているんですよ。」と子どもを嘘つき呼ばわり
し、初めから信じない教育労働者の存在も報告されている。

(4)子ども一人ひとりの思いや生活、生き方に出会う実践が求められている

教育現場に新自由主義教育が、持ち込まれてから久しい。文部科学省は、国際的な大
競争時代に対応できる「たくましい日本人」の育成を掲げ、想像力・技術力・判断
力・統治能力等世界を相手に競争できるエリートの育成を狙って、新自由主義教育を
押し進めてきた。そのために、幼いうちから互いに競わせ、子ども達を振り分けて、
差別選別教育を推進してきたのである。そして、一方では、軍国主義・愛国主義教育
を職場に強要し、闘う教育労働者を排除してきた。このような文部科学省が強要する
新自由主義教育は、教育現場に様々な矛盾をもたらし、子ども一人ひとりの心を蝕ん
できた。
教育現場に新自由主義教育が推し進められ、学力テストが実施されて、日々の競争が
激化している今日、子ども同士・教育労働者と子どもとの距離が乖離する傾向にあ
る。いわゆる学力論に押されて、日々の授業が学力テストのための授業に変化しつつ
ある今こそ、子ども一人ひとりの思いや生活・生き方に出会う実践が求められてい
る。
一人ひとりの子どもに寄り添い、子どもの思いや生活の様子を知って、子どもから学
んで教師自身が変わっていく実践を進め、子どもの思いを共感しつつ、耳を傾ける教
育が求められている。一人ひとりの子ども達は、様々な悩みや悲しみを抱えながら、
何事もなかったかのように、学園で生活している。しかし、子ども達は、私達教育労
働者が経験したことのないような、悲しみや苦悩を抱えて生きていることがある。
「子どもの様子が今までと大きく違う。『あれ、どうしたんだろう』と思った時」
「子どもが虐待かなと思うようなことを言った。『まさか、でも』と思った時」しっ
かりと子どもの思いを受け止め、子どもとの心を通わせることが必要である。虐待を
受けた子どもの、人生の岐路となるのは、なるべく早くに、しっかり耳を傾け、共に
考え合える仲間や教育労働者に出会えたか否かである。多くは、そのような人に出会
うことがないまま、深い心の傷を抱えて生きている。
シンドイことを語り合い、クラスの一人ひとりの心をつないで、「一人ひとりが大切
な存在であること、一人ひとり皆違っていていい」そのことの学びは、子どもの叫び
の早期発見に繋がったり、自己の素晴らしさに気づいて相談したりする勇気をもたら
すに違いない。そしてそれは困難を解決する手立てに繋がっていくであろう。
また一方ではケースによって、家庭訪問を行い保護者と話し合って解決の道を探るこ
とも必要である。子育ての悩み、経済的な問題等、様々な事柄が横たわっているであ
ろう。必要があれば地域や関係諸機関とも連携してより良い方向を目差して取り組ん
でいく必要がある。
子育ての悩みは、乳幼児健診・戸別訪問する「こんにちは赤ちゃん事業」等の機会に
相談したり、保育所で相談することも可能である。地域に子育て仲間を見つけたり、
民間団体などの電話相談を利用する方法もある。様々な機会を利用して、保護者との
心を通わせた真の解決に向けて、取り組んでいく必要がある。

5)新自由主義教育に立ち向かう三つの闘争と格差拡大・貧困層の増大への闘いが
求められている

 
教育現場を荒廃させ、子どもと教師との関わり、子ども同士の関わりをますます希
薄にし、自立を妨げているのは、新自由主義教育である。それは、虐待の事実を知る
機会を失わせ、子どもが人に話す気力をもそいでいる。
 新自由主義教育に立ち向かうためにも、教育実践をめぐる闘い、教育現場での闘
い、そして地域での連携が不可欠である。
 それにはまず、自らのシンドイことや悩みを、クラスや学年の仲間と語りあって、
仲間との信頼関係を築き、子ども同士の心をつなぐ教育実践を押し進めることであ
る。そして、いじめや差別問題を教材に「一人ひとり、みんな違ってそれでいい」
「自分自身がかけがえのない存在であること」を学びあうことである。差別をしな
い・差別を許さない人間に教師と子どもが共に成長し合うことが求められている。差
別選別教育が強められる今日、差別の現実から学ぶ教育実践が、ますます重要な位置
を占めることになる。そしてそれは、前に述べたように虐待防止に大きな力となるで
あろう。
 また、教育実践をめぐる闘いとともに、教育現場での闘争も大切である。教育労働
者は、小さな声を運動に変え、小さな闘争を積み重ねて団結を強化する。執行部が、
闘争から逃亡するなど、日教組が闘えない組合に転落してから久しい。闘える組合を
目差して、自らの職場、地域から運動を起こす以外、再生の道はない。思想・信条を
超えて団結し、運動を発展させることが求められている。民主党のマニュフェストに
は教職員の増員・抽出による学力テストの実践等、日教組の方針が盛り込まれてい
る。地域、職場で足腰をきたえ、不十分ではあっても、マニュフェスト通りにまず実
現させることが必要である。民主党や日教組の動揺を許さず闘いを強め、2006年
教育基本法廃止にまで進めることが求められている。
 さらに、教育労働者は、日々教育問題や子育てで悩む父母とともに子どもの教育に
ついて真剣に語りあい、自らを変革することによって、よりよい教育を目差すことが
求められている。そして、地域と深く結び付き、市民運動とも連携して、教育問題を
含めた地域作りに参加することが必要である。
 子どもに寄り添った教育実践を押し進め、教育労働者の闘いを組織して運動を強
め、地域と硬く結び付いて新自由主義教育に立ち向かう実践。それは、子どもの虐待
から子どもの命と人権を守ることへと繋がっていくに違いない。
 格差拡大と貧困層の増大もまた、子どもへの虐待に大きく影響していることを、見
逃すことはできない。格差拡大・貧困層の増大・そして社会保障の抑制・圧縮・増税
によって、労働者大衆の生活が益々耐えがたいものになっている現状を打破するため
に、教育労働者は多くの労働者とともに立ちあがることが求められている。後期高齢
者医療制度の即時廃止・消費税引き上げ反対・雇用の確保・最低賃金引き上げ・時給
1000円等、まずマニュフェストに沿って政府が政策を実現するよう、働きかける
ことがまず必要である。労働者大衆と硬く団結し、困難な情勢の中で一歩一歩活動を
押し進め、成果を積み上げて、状況を改善していこう。ともに闘おう!