「領土問題」は存在する――「尖閣」は日本領ではない
侵略未清算・対米従属の菅外交

 九月十四日の民主党代表選で、首相・菅直人が前幹事長・小沢一郎に対し総合的には小差で勝利し、九月十七日に菅改造内閣が発足、十月一日に開会した臨時国会で菅首相が所信表明演説を行なった。その所信表明は、「先送り課題の実行」、野党との合意を願う「熟議の国会」という、ねじれ国会を背景とした精彩を欠いたものでしかなかった。
しかし、その外交政策の部分では、一つは、日米同盟基軸を政権交代以降かってないほど強調し、九月の名護市議選で再確認された辺野古新基地絶対反対の地元の民意などはまったく無視し、「本年五月の日米合意を踏まえて取り組む」として居直りを強めている。もう一つには、九月に発生した「尖閣諸島」沖での中国漁船拿捕事件について、「尖閣諸島は、歴史的にも国際法的にも我が国固有の領土であり、領土問題は存在しません」などと強硬な態度を明らかにしている。
これら外交政策で菅が強気の発言を行なえるのは、アメリカの求めに従って辺野古に普天間「代替」基地を作ること、また「尖閣」領有を固守し日米同盟で中国に対抗すること、この二つでは、最大野党の自民党と彼の間になんの違いもないからである。
「尖閣」の事件で緊張した日中関係は、現在、表面的には沈静化しつつある。しかし、菅所信表明や外相となった前原誠司の「東シナ海に領土問題は存在しない」という、外交以前のデタラメな態度では何も解決しない。ふたたび問題が起き、そのたびに排外主義的なナショナリズムが掻きたてられ、日中両国人民の共通の利益に敵対する勢力が喜ぶだけである。
今回の「尖閣諸島」(中国呼称・釣魚諸島)領有権紛争を背景とする拿捕事件では、一九七一年の紛争再燃以降これまでには無かった事態として、日本側に、逮捕・送検・決定の刑事手続に踏み込むという一線を越えた行為があった。中国あるいは台湾当局が、「尖閣」で日本側漁民を逮捕し国内法で処罰したことはない。国内法により処罰されるということは、領域を争う相手国が認めたくないことの第一である。小泉政権時の「尖閣」に上陸した中国人活動家への拘束事件でも、政治配慮から直ちに身柄を送還した。あの靖国参拝に凶奔した小泉でさえ、そうしたのである。
政権交代後、初の今年の8・15では、菅政権の閣僚・政務官らすべての政府メンバーが靖国神社に参拝しなかった。これは史上初めてのことであり、「政権交代」の明確な成果であった。これは、対米一辺倒から東アジア重視への外交転換という民主党公約に立ち戻ることにもつながるものであったが、「尖閣」対応で菅政権はこれを台無しにしてしまった。
その対応をみると、九月七日に「尖閣」沖で、拿捕から逃れようとする中国漁船と海上保安庁艦船の接触事故が起き、「領海」の外まで追いかけ回し、その日の夜に政府サイドが逮捕を指示、翌日漁船乗組員を公務執行妨害で逮捕、中国側の抗議が高まる中、ようやく二五日になって那覇地検が中国人船長を「処分保留」と決定して釈放した。
この釈放について、「弱腰外交」であるとか、政府が地検に政治介入したとか、逆に地検に政府が政治判断を丸投げしたとかの非難が、社民党や日共も含めて行なわれているが、二次的な論議である。日本側が国内法処理の既成事実を作ったことを、当然視した上での議論である。今後、中国・台湾当局が国内法でやり返してきたらどうするのか。
当面問われているのは、領域紛争の事実を認め、当事国の漁民などが安心して生活できる環境を政治が作ることである。そうした当面措置としての政治合意が、当事者諸政府に求められる。
「尖閣」問題での新しい事態のもう一つは、外務省の発表によると、米国クリントン国務長官が九月二四日、「日米安保条約第五条が尖閣諸島に適用される」と明言したことである。同時に他の米政府高官は、「尖閣」を含めた沖縄の施政権は七二年に日本に返還したが、「尖閣」の領有権については明言しないと繰り返しており、七一年時の「中立」表明を維持している。ここには沖縄米軍基地を対中国「抑止力」として日本に高く買わせ、しかし米中関係も壊したくないという米政府の狡猾な意図が示されている。
こうして「尖閣」問題が、普天間基地の沖縄「県内移設」の押し付け、南西諸島での自衛隊の増強と日米軍事一体化、これらのための口実として使われている。領域紛争は解決しないほうがよい、という訳である。
「尖閣」問題の抜本的解決は、日本政府が、ポツダム宣言を受諾した戦後日本の出発点に帰り、日清日露戦争以降の帝国主義的な領域拡大のすべての放棄を再確認し、「尖閣諸島」もその放棄に含まれることを決定することである。
そして、「尖閣」領有権の放棄によって生ずる沖縄県の漁業などでの経済的損失については、日本政府が責任を持って補償しなければならない。
「尖閣」の一八九五年の沖縄県編入が、日清戦争の終盤における清国からの強盗行為であることは否定できない。「尖閣」が琉球王国の域内であったことはなく、逆に釣魚台は中国側の歴史的領域であった。日共のように、「先占」論によって釣魚略奪を国際法的に正当化せんとすることは、植民地主義を清算しないという意味でも重大な誤りである。
排外主義、民族主義の大合唱に抗し、日本・沖縄・中国人民の連帯を高くかかげよう。