8・28普天間基地即時閉鎖!辺野古新基地阻止!
沖縄切捨てを許さない東京集会

 
民主党本部の知事選介入糾弾

 八月二八日、東京・文京区民センターにて、「5・28日米共同声明撤回!普天間基地即時閉鎖!辺野古への新基地建設をとめよう!沖縄切り捨てを許さない8・28東京集会」が開催され、辺野古への基地建設を許さない実行委員会の主催のもと二百数十名の大結集であった。
この集会は「5・28日米合意」に徹底的に反対するとともに、時宜的には、八月三十一日に日米両政府が発表した、「V字案」「I字案」併記の辺野古「移設」検討結果なるものを許さず、首都圏で普天間撤去・新基地阻止の闘いをあらためて強化していく意思一致の場となった。
 集会では、辺野古実の開会挨拶に続いて、沖縄からの訴えとして高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)が、要旨以下のように報告した。
 五月二八日の日米共同声明で、「代替施設の位置・工法の検討を、いかなる場合でも八月末日までに完了させる」と確認したが、スケジュール通りには進んでいない。頭ごなしに決定しても沖縄現地では、県民は全く認めていない。
 このかん日本政府の与党民主党は、参院選挙において、民主党比例区候補(喜納昌吉)が辺野古新基地反対の選挙区候補(山城博治)を支援することを認めず、反基地の一本化を妨害してきた。
また、前原沖縄担当相は、島袋前名護市長、大城辺野古区長、城間豊原区長ら地元容認派と直接会い、九月の名護市議選、十一月の知事選への介入を行なっている。八月六日には、北沢防衛相が「仲井真さんに当選してほしい」と述べ、露骨に辺野古容認を押しつけている。八月十三日には、民主党本部が民主党沖縄県連に、知事選で辺野古反対候補に組しないようにと指示している。本部選対委員長の安住淳衆院議員は、知事選において、「県内移設」反対の伊波洋一氏(八月二十日に社民・社大・共産の出馬要請を受諾)を推薦しないように、玉城、瑞慶覧氏ら県連幹部に指示し、両氏は同調していると報道されている。
一方で、辺野古海岸にコンクリートの境界壁が構築されるという話も出ており、強行策の準備かと危惧されている。
これらに対して、県民は、稲嶺名護市長を孤立化させない活動、普天間爆音訴訟、高江のヘリパッド阻止の闘い、知事選に向けた闘いを行なっている。県議会では七月九日、5・28日米共同声明の見直しを求める意見書・抗議書を全会一致で可決している。
子どもや女性が安心して暮らせる沖縄を実現するために、すべての基地・軍隊の撤退を求めていく。沖縄切り捨てではなく、基地撤去を沖縄、「本土」で共に闘うことが重要だ。
こうした高里さんの訴えに、集会参加者は万雷の拍手で応えた。
集会発言では、WWFジャパン、ゆんたく高江、沖縄を踏みにじるな!緊急アクション、ワールドピースナウなどから決意表明を受けた。最後に、沖縄一坪反戦地主会関東ブロックから発言をうけ、当面の行動を全力で闘うことを確認して終了した。九月十日には、このかん辺野古実が「普天間基地の無条件返還と辺野古・徳之島への移設断念を求める署名」運動を進めてきたが、その第一次署名提出行動が首相官邸前で行なわれる。
筆者はこの集会で、沖縄県民・人民の自己解放の強く熱い闘いの息吹を深く感じるとともに、日本「本土」での反基地闘争、艦載機移転・米軍住宅建設強行の岩国や、米空軍核戦力の三沢、そして首都圏の横須賀・座間・相模原などでの闘いの形成・強化が必要であることを痛感した。                                       (東京Y通信員)


8・12〜15
第39回釜ヶ崎夏祭りに若者が全国から参加
                      稲垣一派はさらに転落

 八月十二日から十五日の三日間、大阪市西成区の三角公園において、「第39回釜ヶ崎夏祭り」が開催された。
 釜ヶ崎の夏祭りは一九七二年、当時三角公園をしきっていたヤクザや、西成警察の敵対・弾圧を実力で打ち破って開催され、以降、釜ヶ崎で責任を持って闘う団体・個人による実行委員会の主催する夏祭りとして、一度も途切れることなく続けられ、越冬闘争やメーデーとあわせて、釜ヶ崎労働者の団結を作り出してきた。
 39回目の今年の夏祭りも、準備段階から多くの仲間たちが参加し、十二日の前夜祭から始まり、十三日から十五日までおおいに盛り上がった。
 今年の夏祭りの特長は、大不況・大失業の時代が本格化し、社会の閉塞感が深まる中で、旧来の支援勢力だけではなく、多くの若者が全国から集まってきたことである。
 インターネット上で、「釜ヶ崎はおもしろい所だ」、「釜ヶ崎の夏祭りに行ってきました。おもしろかった」といった書き込みが多数寄せられ、それを見た若者がさらに集まるといった、我われ自身が想像していなかった構造が生み出されている。
 ユーチューブへの動画も、そうした部分によって載せられ、釜ヶ崎の夏祭りの映像が全世界に発信されている。
 映像関係者も今回から主体的に参加し、十三日から十五日にかけて、三角公園での催しと連動して「ふるさとの家」で映画上映会が行なわれた。
 こうした新たな運動の拡がりに向けた有利な情況をさらに活用し、「安心して働き生活できる釜ヶ崎」を実現していくために、闘う陣形を強固にしていかねばならない。
 闘いの前進は、また一方で、新たな反動部分をも生み出している。
 釜ヶ崎において過去四十年間、まったく闘争らしい闘争もぜず、自らの売名とカンパ集めだけを行ない、「テントは自由の証し」として野宿を固定化する「炊き出し運動」をしてきた釜合労・稲垣は、反失業闘争への敵対を公然化させた。
 このかん、釜NPOと「特掃」の破壊を目的として、ウソとデッチ上げで難クセをつけ、労働者の分断を狙ってきたかれらは、当然ながら釜ヶ崎労働者から完全に浮き上がってしまい、ついに「日雇健保の適用除外を求める裁判」なるものを始めたのである。
 釜ヶ崎労働者は、数度にわたる対府市野営闘争やセンター夜間開放闘争の中で、特別清掃事業を闘い取ってきたわけだが、そこにおいて賃金から健康保険料を引く旧来のシステムでは5700円の手取り金額が減るため、保険料の本人負担額は本来の事業主たる行政が負担することとさせたのである。
稲垣一派の言い分は第一に、この「闘いの成果として勝ち取ったもの」を自ら放棄し、「5700円から保険料を引いて下さい」とするもので、労働者の利益と闘いに反する主張である。
第二は、アブレ地獄の深まりの中で、釜ヶ崎においては「保険料がムダになる」として、日雇健康保険の「現状に合わせた受給資格の緩和」を求めるのではなく、「日雇健保はいらない」とする主張であり、釜ヶ崎の労働者だけではなく全国の日雇労働者の利益に反し、歴史的な日雇建保を求めた闘いに敵対するものであり、また財政難を口実にした行政の廃止策動に加担するものである。
そして第三は、仮に運動上の路線問題であるとしても、その判断を労働者にゆだねるのではなく、国家権力の一機関である裁判所にゆだねるという誤りである。
こうしたヤカラによる労働者分断をけっして許さず、反戦・反失業・反差別の闘いを発展させなければならない。夏祭りで打ち固めた釜ヶ崎労働者の団結をさらに打ち固め、反失業闘争のさらなる前進を闘い取っていかなければならない。(大阪S通信員)


釜ヶ崎講座が8・14〜15釜ツァー
  「特掃」見学ツァーも

 釜ヶ崎夏祭りに合わせて今年も、釜ヶ崎講座は恒例の「夏祭りツアー」を企画した。しかし例年と違ったのは、今年は第39回夏祭り実行委員会に参加し、釜講座の宣伝・強化に力点をおいた形で行動していったことである。
 具体的には、夏祭り期間の三角公園において、「釜ヶ崎講座10年の歩み」として「講座のつどい」十三回分の様子を伝えるパネル展示を行なった。また、釜ツアーの企画を二本立てで、つまり八月十四日には「高齢者特別清掃」見学として、翌十五日には水野阿修羅氏の名ガイドによる「釜ヶ崎町あるきツアー」として行なった。
 「特掃ツアー」の参加者は十名で、比較的に中年以上の人で占められ、終了後の意見交換の場では、定年退職後の再雇用のあり方や、今の社会が知識・経験の豊富な熟年ボランティアの価値を評価しえていない、あるいは受け入れていない現状等々についての意見・感想が出されていた。
 一方、「町あるきツアー」の参加者は総勢三十名で、関西一円の学生や、北陸、四国からの青年の方もあり、青年・学生を中心とした参加で、もう何年も参加の常連の人も含めて、多彩な顔ぶれであった。今回は、西成労働センター、特掃事務所、市更生相談所など、日雇労働現場と密接な関わりをもつ箇所を中心に廻り、釜ヶ崎労働者の日々の生活と切っても切れない縁のある場所を知ることができ、その歴史の長さを認識することができた。
 青テントが減り、路上に寝る労働者の数は確かに減ったものの、貧困と格差の現実の中で、たとえタタミに上がれても、再び野宿にいつ転落するか分からぬ今日の社会体制を、新たに認識しえたツアーであった。
 今回のツアーでの若い人の参加の多さは、釜ヶ崎が若者に「来やすい、面白い」印象をもたれ、夏祭りのもつ開かれた大衆性も手伝い、関心の高さを示したといえる。
 こうした人たちが、また釜ヶ崎へ足をはこび、共に学び合えるように、釜ヶ崎講座もその一助としての力をさらに発揮しようとしている。(関西I通信員)