〔沖縄からの通信〕

今秋知事選挙の前哨戦−沖縄・参院選挙の結果と教訓

  仲井真知事への幻想を一掃しよう



  日共分裂で一本化ならず

 沖縄の参院選挙では、共産党による分裂によって、我われは目前の勝利を逃した。統一候補が成っていれば、沖縄選出の国会議員を自公ゼロに追い込むことができていた。参院選の結果でも辺野古新基地建設はやっぱり無理、これを菅政権と日本国民に見せつけること、これが候補一本化ならずで、できないまま参院選は終わった。
それよりも何よりも、当面の最重要課題たる知事選の勝利への攻勢をにぶらせてしまった。知事選勝利は沖縄民衆自身の仕事である。その前哨戦とも言える参院沖縄選挙区で、反基地の一本化ならずによって民衆を憤慨させ、投票率を過去最低に下げてしまったことが最悪である。

沖縄選挙区の結果
山城博治(社民、社大)
    215690
伊集唯行(共産)
     58262
 二者計273952
島尻安伊子(自民、公明)
    258946
投票率52・44%

知事選のように投票率が65%まで上がるとする試算では、十万票以上の差で統一候補が勝つことになる。
共産党がなぜ、沖縄の敗北を招く、低次元の自己中心主義を平気でやれるようになったのか。名護の闘いの初期(95年当時)、ヘリ基地反対協の成立の頃、共産党の独善性とは付き合いかねるのでかれらを除いて…という考え方もあった。しかし住民投票時代は、一緒に打ち解けあって闘った。時が経つにつれて共産党は、系列組織を加え、組織いじりを重ね、多数派となった会議で運動を操り、沈滞化へ導いていく。社民党、社大党、民主党の組織的劣勢につけこむことには長けているが、各政党の背後にいる民衆が団結して日本政府と対峙することを圧倒的に求めていることには、少しも気にかけない。今回も、「山城より伊集が(出馬表明が)先だ」などと強弁した。
このかん共産党は、今、どうすれば日本政府と闘ううえで最善かと自分を問わず、民衆的な感性を失っている。鳩山首相の公約を力に「県外・国外」を叫ぶ民衆に冷水を浴びせるように、「それには同意できない、無条件撤去でなければ同意できない」と言って県議会・市議会から退場を策したり、「沖縄をいじめ、辺野古をいじめるのは沖縄差別だ」という女性集会に対し、「沖縄差別と言うのは正しくない」と説教したり、である。
鳩山民主党が「政権交代」と「県外」の二つの旗を立てた時、沖縄民衆は湧き立った。社民党はその民衆の感情を感じ取って、自らも「政権交代」「県外」の旗を立てた。しかし共産党の独善家たちは、民衆の熱い願望に見向きもせず、「党の独自性がなくなる、民主党の背後にはファシズムが隠れている」などと言い、政権交代を求める民衆に共鳴しなかった。
「5・28合意」後のテレビ会談。民主党衆院の川内博史氏が、「辺野古は認めない。グアム論は合意後も生きており、我われはグアム移転をめざす」と言った。それに対し、共産党の小池晃氏が「合意が決まったのに、まだそんなことを言ってるのか」と反応し、防衛族の笑いを誘っている。川内氏は「共産党がそんなことを言っていいのか」と反論したが、小池氏は黙殺した。筆者はこれを観て、沖縄を知る人なら、小池には入れないなと思った。東京選挙区で彼は落選したらしい。
 「一本化」なしには低投票率、棄権を招き、敗れる。民衆は、またかと怒り、次はあきらめ、逃げとなる。「一本化」して戦い勝利した今年一月の名護市長選と、今回の二本立てを比較せよ。今回のほうが楽勝できる条件がそろっていた。しかし多くの民衆が棄権したため、自公の組織票と分解しつつあった企業・法人関連がつながって、これが比較多数となった。80%の力が20%の力に敗れている。

  沖縄の自己決定権行使へ

 今回、候補者選定の過程に変転があったが、今の沖縄にとって「中心的課題は何なのか、それからそれるな」という反省が語られるべきだろう。
 アメリカの占領統治、復帰運動の時代には、米軍に対峙する団結があり続けた。それを中心的に、目的意識的に担ってきたのが沖縄社会大衆党である。これが弱体化して、機能不全になっている。今回の参院選でも当初は、社大党委員長の喜納昌春氏が九割がた「統一候補」となっていた。しかし、民主党の保護下に計画を立てたため、その後の民主党の成り行きで立候補をやめた。これは社大党の存在理由、原点に反する。(この瞬間を突いて、共産党の伊集氏が名乗りをあげた。)
 社大党の党是にあるかないかはともかく、沖縄の人々は社大党について、諸党派を一つにまとめる要の党という共通認識を持っている。社大党は、マスコミが言う「ローカル政党」などではない。全国党派と同じような普遍性、国際性を持ちえるのに、ローカルを自認し自己卑下に陥っている。社大党は復帰運動以来、全国の県人会などに友人を持っているし、これからは全国の若い沖縄人を友人とするようにすればよい。
 しかし僭越な言い方であるが、米軍統治、米民政府とわたり合うための綱領のままでは始まらない。沖縄の党であり続けながら、あの時代とは異なる政治路線、沖縄人として闘う綱領、これを作ればよい。日本政府の沖縄に対する「構造的差別」をキーワードにしてもよいのではないか。
 社大党の弱体化と機能不全は、今回の統一候補擁立失敗の要因である。社大党の弱体化は、沖縄人的な団結を求める層が崩壊しているからと見る人もいる。しかし、社大党弱体化の原因は、その内部と綱領路線にあるとみるべきであって、沖縄民衆の団結を求める声は強まってこそあれ、弱くはなっていない。
 さて、五月の鳩山来沖時に県庁舎を取り巻いた民衆、豪雨の中で普天間基地包囲を成功させた人々、5・28に名護市庁舎に集まった市民、これらは鳩山政権に切り捨てられはしたが、団結によって勝利できる可能性を感じ、共有した人々の群れであった。
確かに今も可能性に満ちている。5・28日米合意という結果にはなったが、鳩山がもたらした天地をひっくり返す情況は今も残って続いている。「政権交代」は、一旦は奴隷を解放したのである。後戻りはできない新時代なのだ。沖縄の人々は、この新時代を今からは、鳩山頼みではなく、自らの手で前途を切り開いて進まねばならない。その気運は高まりつつある。「公約裏切り」を糾弾する怒りは、「自力で決めよう」の意思に昇華しつつある。「自己決定権」を唱える若い人々が増えている。
 福島みずほ社民党党首が鳩山から閣僚の首を切られたのは、我われが雨の中、日米合意糾弾の集会をやっているその同時刻であった。参院選比例区で社民党は沖縄から12万票を得て、比例一位に逆転勝ちした。共産党は3万6千。民主党・喜納昌吉は沖縄からは3万6千を得たが、全国では7万、前回の半分で落選した。
 喜納昌吉は、このかんの激動の中心に居ながら何もしなかった。民主党の川内氏らが党政調が禁じられている中でも、グアム移設の立場で防衛族とやりあっているのにである。政府与党の中枢に身を置いている者が、高見の見物である。本来貴重な人材を落選させたが、喜納氏には、民主党にではなく沖縄に立脚していただきたい。
 マスコミは沖縄選挙区を「三つどもえの争点なき戦い」と評したが、これは全面的な誤りだ。島尻の「県外」は擬態であり、伊集は比例票のための分裂である。山城の敗因は反基地「分裂」が第一の因であるが、「争点なき戦い」に乗せられているのも大きな敗因である。見方によってはそれが主因。〇六年の名護市長選(反基地「分裂」により敗北)の教訓としては、意識的に「分裂」を批判することが重要だった。
 山城氏は、島尻氏に対してはその「県内移設反対」は擬態にすぎないことを明らかにし、伊集氏に対しては分裂批判をすべきであった。「県外・国外」の本命・山城が勝つか、擬態の島尻が勝つかの、一対一の対決であることを県民に押し出すべきであった。
 島尻は昨日まで県内移設派であったし、四年間の参院議員としての彼女の仕事は「辺野古移設」であった。現に辺野古移設で今も働いている(防衛局の「現況調査」への許可など)仲井真知事が、選対責任者であった。仲井真は、五月の日米合意には「きわめて困難」と繰り返すが、辺野古「反対」とは絶対に言わない。県民総意の辺野古NOに背を向け、日米の県知事利用を受け入れている。
 伊集は、超党派の闘いになってこそ反基地の闘いは優勢になれることを無視し、統一候補不可能論を事実上主張した。こうして共産党が伊集票を取れば取るほど、島尻票の価値は増大し、山城のそれは価値が下がっていく構図となった。客観的には、島尻を助けるこれほどの策はない。
 昨年の政権交代後、名護市長選の勝利、4・25県民大会、普天間包囲の大成功などの流れの向う先は、新基地NO!の知事の確立である。参院選の結果は、この流れを中断させた。しかし、「県外・国外」の県民総意はもはや後戻りできない。鳩山を失脚させ、むりやり作った「日米合意」、死地から這い上がった辺野古を再び自決させるこの新案は、脆弱である。この日米合意は沖縄が合意しない以上、実行できない。

  浸透する仲井真延命工作

 県民がこれからどうするかは明白である。日米合意を呑まない知事を作ればよい。確立された知事は県民総意に基づいて、移設に関する協議は拒絶する。アセスを保留・凍結する。辺野古埋め立ての許可を出さない。その他関係する防衛省の申請に許可を出さない、である。
 知事選勝利が、「県内移設」を阻止する至上命題であってみれば、これまでの、また現在の、仲井真知事に対する追及、バクロは重要中の重要である。しかし県政野党の県議会多数派は、訪米問題をはじめ、知事を前向きに攻めているとは言いがたい。自信のなさを吐露している面すらある。これでは県民は、仲井真知事に正しい判断をもちえない。
 県民大会に、仲井真知事を出席させるべきではなかった。が、共産党までもが参加を要望した。仲井真は今も、辺野古移設元案を容認し推進する県方針を保持しており、撤回していない。米政府は新案においても、仲井真に応じるため55m以内(アセスをやり直さない限度)の沖合移動を容認すると言われている。仲井真が元案を撤回し、明確に新案にもNOと言って初めて、大会に参加できる条件が整う。
 防衛・外務官僚らは、死に体化する仲井真を生かしておくべく、間断なく次々と日米の高官と面会させ、「県内移設はきわめて困難」と数ヵ月にも渡って連発させ続けている。県民に、仲井真は「NOに近い」「実質的にNO」という誤った印象を与えるのに成功している。県民世論調査では、県内移設反対が80%、仲井真知事支持が50%を超えている。これは矛盾であり、仲井真が誤認されていることが分かる。仲井真が県内移設推進派だという真実が明らかになれば、知事支持率は20%以下になるだろう。
 仲井真の高い支持率は、知事選を最重要課題として位置づけ、意識的に政治を組み立ててこなかった運動指導部の大きいミスである。仲井真の役割について共通認識をもち、そのバクロを進めていれば、過半を超えるほどの支持率はありえなかった。
 運動指導部でさえ、仲井真知事に対する評価に誤りがある。五月二度目の鳩山来県に対する抗議集会の集会宣言の中に、「仲井真知事は『極めて遺憾』と不快感を示し」とある。こういう文言は逆宣伝であり、大きなミスではないのか。その県庁舎前ひろばの集会で、一人の青年が額に汗して、マジックで殴り書きの手製のビラを配っている。そこには、「仲井真さんは基地容認で当選」、「自分の言葉で反対を口にしない、『県民が反対している』『きわめてきびしい』と言うだけ」等、ポイントを突いた指摘がある。この青年は、宣言文中の仲井真評価に危機感を抱き、現場でビラを作ったものと想像がつく。
 また、名護ヘリ基地反対協による「菅政権への抗議声明」の中で、「地元稲嶺名護市長が新基地建設に反対し、埋め立て許可の権限を持つ仲井真県知事も反対し、県議会は与野党全会一致で反対決議した」とある。不思議である。沖縄民衆にとって獅子身中の虫である仲井真知事に対し、いつの間に、このような好意的評価が生まれたのか。仲井真を知事選で延命させるための宣伝工作が、反基地の活動家に対してすら作用しているのである。
 現状をきびしく反省し、知事選に勝利しよう! 日米合意を死文化し、新基地阻止に勝利しよう! (T)