グラス=スティーガル法いらいの米金融規制法の成立  
   ボルカー・ルールは妥協で後退
                                     堀込 純一

 アメリカの金融規制法案が、六月下旬に下院で可決されたのに引き続いて、上院でも七月十五日に可決された。そして、同月二十一日、オバマ大統領が署名し、同法は成立した。
 金融の自由化は、アメリカでは1970年代半ば頃から進められ、1980年代には国際的にも拡大されてきた。この結果、一昨年のリーマン・ショックなどにみられるように、サブプライムローン問題に端を発する世界恐慌をひき起した。
 アメリカの今回の金融規制法の成立で、この金融自由化の流れは転機を迎えることとなる。金融規制法の成立は、1929年の世界恐慌を教訓として成立した1933年の銀行法(このうちの規制条項を指して、グラス=スティーガル法という。理論誌『プロレタリア』8号の安田兼定論文を参照)以来のものである。
しかし、現実には、さまざまな課題を未だに広範に残している。たとえば、法案は成立したといえども、調整が難航して具体策が先送りされたため、500以上の新たな規則や指針を作る必要があり、この作業には二、三年かかるという見立てが有力である。
また何よりも、過剰貨幣資本の処理は、資本主義である以上完全に解決できないのであり、利潤追求のための自由化と「カジノ資本」のコントロールとが絶えず「イタチゴッコ」として繰り返されるのは、間違いない。

  〈新たな規制法の概要〉

 リーマン・ショックから一年十ヶ月にして、ようやく新たな金融規制法が成立した。その概要は、以下のようなものである。
▽大手金融機関の監督は、商業銀行、証券(投資銀行)、保険などの業務内容にかかわらず、FRB(米連邦準備制度理事会)が一元的に行なう。
▽金融危機の芽を早期に発見し、金融システム全体の安定を維持するために、主要な連邦規制機関(財務相、FRB、米連邦預金公社、通貨監督庁、証券取引委員会など)で構成される「金融安定化監督評議会」を新設する(議長は財務長官)。
▽連鎖破綻の懸念がある金融機関が経営危機に陥った場合には、規制当局が経営権を掌握し、解体する権限も持つ。
▽金融機関の救済には、公的資金を投入しないで、大手金融機関から徴収する手数料などを充てる。
▽金融機関幹部の報酬決定については、株主が投票する機会を与える。ただし、投票には拘束力はない。
▽預金保険での保護額の上限は、25万ドルとする。
▽消費者保護のために、独立性の高い「消費者金融保護局」をFRBのもとに新設する。住宅ローンやクレジットカードの取引などをチェックする。
▽「ボルカー・ルール」を導入する。これにより、大手金融機関は自己資金による高リスクの取引が大きく制限される。また、ヘッジファンドなどへの投資は、中核的自己資本の3%以下に制限される。
▽一定規模以上のヘッジファンドは、米証券取引委員会(SEC)への登録を義務付けられる。
▽デリバティブ(金融派生商品)取引の規制も強化され、銀行は自らのリスク回避を目的とした取引は継続できるが、リスクの高い取引は銀行本体ではできない。デリバティブ取引は、原則、中央清算機関を通じて行ない、取引を透明化する。

  〈当初のボルカー・ルールの狙い〉

 右表に示されるように、アメリカの金融機関の規制当局は、きわめて複雑である。しかも、一九八〇年代以降の自由化では、銀行・証券・保険の業態の垣根がなくなり融合し、また個々の金融機関も巨大化し、デリバティブ、証券化商品などに代表されるような新商品の氾濫、ヘッジファンドの台頭などによって、個々バラバラの規制当局では金融システムシステムが把握しにくくなっていた。さらに銀行中心の従来の制度では、この間の金融恐慌での米保険大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)に見られるように、保険会社に対する処置が徹底的に不十分で、FRBが緊急に融資して救済する以外に方法がなかったといえる。その意味では、一元的な監督機関が必要であろう。しかし、伝統的に連邦主義の精神を持つ共和党員などは、一元的中央集権的な監督機関の設置には反対の意見が強かった。
 サブプライムローン問題がひき起された原因の一つには、消費者を保護する体制が弱く、「貧困ビジネス」に見られるように、弱い立場の人々が「金融資本」などに利用され、収奪される事態を改善するために、「消費者金融保護局」が設置された。これは、あまりにも当然のことである。今回の金融規制法の成立においても、あくどい「金融資本」を規制する必要を感じる広範な人々の後押しがあったことは、否定できないことである。
 しかし、なんと言っても今回の金融規制法の特徴点は、「ボルカー・ルール」の導入にある。「ボルカー・ルール」の提唱者・ポール・ボルカー氏とは、一八七九〜八七年の間、FRB議長を務めた人物で(インフレファイターとして名を馳せた)、今回のオバマ政権では経済再生諮問会議議長を務めている。
 このボルカー氏は、今年二月二日の上院銀行委員会の公聴会で、「ボルカー・ルール」の目標について、次のように述べている。
 「Too Big to Fail(大き過ぎて潰せない)という問題の解消である」、「政府の目標は、(経営難に陥った大手金融機関の)救済ではなく、清算や合併、すなわち安楽死である」と。
 市場原理主義を唱えながら、いかなる大義名分があろうとも、市場競争の敗退者を市場から放逐する市場の機能を否定することは、市場原理主義の原則を自ら踏みにじるものである。その意味では、「ボルカー・ルール」は、市場原理主義を徹底化したものである。
 そして同時に、同氏は、「銀行持ち株会社とその子会社に対し、自社資金による株式売買などで収益を上げる自己勘定取引やヘッジファンド投資などを禁止するとともに、合併を通じた巨大金融機関(負債シェア10%超)の台頭を禁じようというものである」(『週刊エコノミスト』4月13日号 淵田康之論文)と言っている。
 だが、できあがった金融規制法では、「ボルカー・ルール」はかなり後退し、妥協のあとがありありと見られる。

  〈対照的な金融界と労働者たちの生活〉

 消費者保護と金融改革をかかげた金融規制法案は、もともと医療保険改革とともに、十一月の中間選挙に向けたオバマ政権の目玉政策であった(医療保険改革法は3月23日成立。本紙4月1日号参照)。
 アメリカでは、未だもって失業率は10%前後の高水準であり、厳しい耐乏生活に苦しんだり、きびしい路上生活にさらされたりしている労働者は少なくない。しかも、これはこれでまた、個人消費の回復がなかなか進まないことの大きな原因となっている。
 このような現状とは、対照的に、今年一月下旬に発表されたゴールドマン・サックスの二〇〇九年一〜十二月期決算は、当期利益が過去最高の134億ドルとなった。公的資金の投入で立ち直った金融界の利益回復は、ゴールドマンだけではない。
左図(7月22日付け『日経新聞』)が示すように、一九八〇年代初め、金融業はアメリカ企業全体の利益の10%に過ぎなかったのが、それが二〇〇〇年ごろには45%を占めるようになった。しかし、リーマンショック後には15%にまで落ち込んだ。ところがわずか一年余の二〇〇九年末には35%にまで回復しているのである。
サブプライムローン問題を契機とした恐慌で、労働者たちが惨たんたる生活に追いやられ、未だもって苦しみつづけているのに、恐慌の張本人たちあるいはバブルで大もうけした金融界などの人間たちは、公的資金の投入でいち早く利益を回復し、左団扇(うちわ)というのでは、余りにも理不尽なことである。民衆の主な批判点は、役員の法外な報酬のみならず、トレーダーなどの賃金の高さが、失業者や賃金カットの労働者たちから見れば、余りにも理屈に合わないことにある。
 オバマ政権は、当初、巨大金融機関でも金融システムに影響を与えないような形での破たん処理を行なう法制を考えていた。しかし、オバマ大統領が一月二十一日に表明した新たな金融規制法案は、金融機関の巨大化とリスクのとり過ぎが金融危機を招いたとして、「預金を取り扱う銀行業務と、ヘッジファンドのようなリスク投資の業務を分離し、負債の規模にも一定の制限をかける方向だ」(1月22日付け『日経新聞』)といわれる。
 これは、明らかに「ボルカー・ルール」の導入を目指したものである。
 これには、金融界がただちに反対した。業界団体の金融サービスフォーラムは、「規制案は金融危機の原因を見誤っている。(規制対象の)自己資金投資が危機を招いたのではない」と、声明を発表した。彼らは、「過剰な規制」が収益力低下を招くという危機感が一杯で、反対しているだけなのである。彼らは、商業銀行が自らの資金運用会社を別働隊として活動させ、しかもその取引は簿外(デリバティブ取引の多くは簿外)であるという金融恐慌前の状況を隠蔽している。
 しかも、民衆のうっ積した不満や批判をなんら斟酌(しんしゃく)していない。
〇九年十二月、オバマ大統領は、「太った猫(金持ちを指す俗語)の銀行員を助けるために選挙を戦ったわけではない」と銀行界を批判し、今年一月には、「金融機関が巨額な賞与を払えるなら、公的資金(投入に伴う損失)の全額を納税者に返済できるはずだ」と、厳しく糾弾している。

  〈銀行・証券業務の分離は明文化されず〉

 こうしたやり取りの上で、オバマ大統領は、ボルカー・ルールの導入を発表しているのである。この新たな金融規制案のポイントは、二つある。
一つ目は、預金を取り扱う金融機関に対し、ヘッジファンドのような市場でのリスク投資を禁止することである。これは、預金という安全性の高い資金を高リスクの市場取引から分離し、預金者を保護する狙いからである。
 また、預金をもつ金融機関は、FRBの貸し出しをうけられるが、預金業務と高リスク投資の兼業を禁止することによって、リスク投資に失敗した金融機関が、公的なセーフティネットにアクセスできないようにするためである。
 二つ目は、金融機関の巨大化を制限することである。従来の規制では、全米の預金シェアの10%を超える銀行合併は認められていないが、これを拡張し、預金以外の負債の市場シェアを制限することを狙っている。
 これは、今回の金融恐慌の大きな原因の一つとして、法外な収益拡大が借金による投資活動、レバレッジの利用による投資活動にあることに基づくものである。つまり、それが破綻した場合には、金融システムへの影響は大きすぎ、また巨大化した金融機関は破綻させたくとも破綻できないほど大きくなっており、それを見越して一段とリスクをとるというモラルハザードが起こるからである。
 だが、この二つのポイントは、新たな金融規制法には、明文化されているわけではない。先述したように、商業銀行のヘッジファンド投資は禁止とならず、中核的自己資本の3%以下ならば許されているのである。また、商業銀行のデリバティブ取引も、自らのリスク回避を目的とすれば、商業銀行本体でできるのである。
 また、新たな法では、「数十倍に達していたレバレッジを『15倍までに制限できる』ことになった。」(7月21日付け『日経新聞』)といわれるが、ちなみに破産時のリーマン・ブラザースの負債は自己資本の30倍になっていたといわれる。30倍を15倍に下げたとしても、本質的な変化にはならいであろう。そもそも、商業銀行業務と証券業務の分離は、新たな金融規制法では明文化されておらないのであり、二つの業務の間に確固としたファイアウォール(防火壁)があるわけではない。貪欲な資本は、二つをつなげて大もうけをする何らかの新たな手段を探し出すにちがいない。

  〈投機マネーのコントロールさえ前途遼遠〉

 七月二十六日、BIS(国際決済銀行)のバーゼル銀行監督委員会は、国際的な資本規制案を昨年十二月に公表した当初案よりも緩和したことで基本合意した、と発表した。当初案では、「中核的自己資本」の定義を普通株と剰余金(内部留保)にかぎるとしたが、さらに支払った税金が将来戻ってくると想定して繰り入れることができる「繰り延べ税金資産」と他の金融機関に対する出資も10%を上限に自己資本に算入することを認めることにした。日欧などの反対で、緩和されたのである。バーゼル委員会は、十一月のG20(ソウル・サミット)での最終合意を目指す。
 金融規制は、各国ごとの規制では限界がある。アメリカの金融規制法もまた、国際協調と称して、他国への拡大を図るであろう。EUもまた、金融取引課税(トービン税)などを提唱している。
だが、投機マネーに対する活動禁止どころか統制でさえ、国際的な協調と統一は、前途遼遠である。(終)