6・18大阪

  人としての尊厳をふみにじる橋下知事発言は許せない
  朝鮮学校の高校無償化を求める緊急集会

  排除は国際法違反、即時適用せよ

 六月十八日、大阪市の北区民センターにて、「人としての尊厳をふみにじる橋下知事発言は許せない」朝鮮学校の高校無償化を求める6・18緊急集会が開かれ、600余人が結集した。主催は同集会実行委員会で、部落解放大阪府民共闘会議、大阪平和人権センター、全港湾、全日建、各地での朝鮮高校を支援する市民団体、しないさせない戦争協力関西ネットなどが参加・賛同している。
 この集会は、四月一日から高校授業料無償化の法的措置が施行されたが、朝鮮高校だけが適用除外されて開始されたこと(除外を続けるかどうかは、八月に結論を出すとしている)、また大阪府橋下知事が今まで実施してきた朝鮮学校への補助金支給を保留し、その理由として「北朝鮮は暴力団と同じ不法な団体」などと発言し、民族教育へ不当介入して差別助長発言、民族差別発言を行なっていること、これらに強く抗議し、四月にさかのぼって朝鮮高校にただちに無償化を適用すること、知事に補助金支給の再開を要求するものである。
 集会は、主催者を代表しての新居晴幸さん(部落解放府民共闘会議議長)のあいさつに続き、丹羽雅雄さん(大阪弁護士会副会長)の講演が以下のように行なわれた。
 今年は「韓国併合100年」だが、いまだに植民地主義と冷戦構造が続いている。このかんの経過では、二月に中井国家公安・拉致担当相が「在日朝鮮人の子弟が通う朝鮮学校への支援はすべきでない」と川端文科相に要請、その二五日に鳩山首相(当時)も「中井大臣の考え方はひとつの案だ。そういう方向になりそうだと聞いている」と発言、三月には橋下知事が前掲の発言と不当介入を行ない、四月一日の文部科学省令第13号を公布して朝鮮高校除外に至っている。
 現在の朝鮮高級学校は日本国内に10校2000人近くの生徒数で、朝鮮籍46%、韓国籍51%、中国籍や日本籍が3%である。いわゆる北朝鮮の国の評価や拉致問題は、高校生への就学支援の施策とは関係ない。
 朝鮮学校は歴史的存在である。一九四八年に文部省は、学校教育局長通達「朝鮮人学校設立の取扱いについて」で、「朝鮮人の子弟であっても学齢に該当するものは、日本人同様市町村立又は市立の小学校、中学校に就学させなければならない」として在日の民族教育否定をあからさまにし、朝鮮学校閉鎖令を出してきた。これに対し、4・24阪神教育闘争などが闘われた。六五年の文部事務次官通達「朝鮮人のみを収容する教育施設の取扱いについて」では、「朝鮮人学校はわが国の社会にとって各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校として認可すべきでない」とした。
 この流れに抗し、六八年に美濃部東京都知事が朝鮮大学校を各種学校として認可、七〇年に朝鮮学校への助成金給付を開始し、その後各地に拡大していった。現在は、朝鮮学校をはじめとする外国人学校の多くが各種学校として認可され、自治体から補助金を受けている。
 国際人権基本条約では、民族的マイノリティの権利、民族的マイノリティの歴史・伝統・言語及び文化についての知識を助長するために教育分野で措置を取ることを、加盟国に義務付けている。しかし現在まで日本政府は、在日コリアンを民族的マイノリティとは認めていない。国連人種差別撤廃委員会のドウドウ・ディエン報告では、「(とくに朝鮮学校の)特別な歴史的状況を考慮すればなおさら、助成金その他の財政的援助を受け取れるようにすべきであり」としており、また人種差別撤廃委員会による三月十六日の対日審査報告は、朝鮮学校除外は国際人権法違反であり民族差別であるとして、その是正を日本政府に勧告している。(人種差別撤廃条約での人種差別の定義には、民族差別も含まれる)。
 最後に指摘すべきは、「単一民族社会観」という幻想的イデオロギーが、外国籍者や民族的マイノリティに対する差別と暴力を生み出していることである。朝鮮高校への無償化の実現は、継続する植民地主義と冷戦構造を清算し、多民族・多文化共生社会を創造する基礎である。
 以上の講演の後、三名の方から発言がなされた。当事者の朝鮮高校生が登壇し、なにゆえ朝鮮高校だけが高校無償化から除外されたのか、そのショックと怒りを語った。東大阪市教組の在日の教師は、私を育ててくれたのは民族学級だったと語り、生野区の教会の宗教者は、社会が不安になるとマイノリティを差別する傾向に警鐘を鳴らした。
 集会アピールを採択した後、参加者は大雨の中でも梅田までデモ行進を行ない、朝鮮高校の無償化、民族差別を許さないぞ、などを訴えた。
 なお、東京では六月二七日、「朝鮮学校差別を許さない!高校無償化即時適用を求める市民行動」が芝公園で開かれ、「高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する連絡会」の主催で約1200人が参加した。集会には、朝鮮高校生をはじめ、東京教組など教育労働者、各地の市民団体や日朝交流関係などが参加し、「即時適用」を求める決議採択の後、銀座までデモ行進を行なった。
(関西N通信員)


 六・ニ韓国統一地方選挙−李明博政権が惨敗
 分断固定化・戦争策動を拒否

六月二日韓国で実施された一斉地方選挙で、与党ハンナラ党が大敗した。即日開票の結果、ソウル等七大都市の市長と九道知事選では、民主党七(選挙前三)、ハンナラ党六(選挙前十二)、自由先進党一、無所属二、が当選し、「野党圧勝、ハンナラ党惨敗」となった。
無所属二名も実質的な野党系候補であり、事実上の与党大敗北であった。
 注目のソウルでは、ソウル市長選で韓明淑候補(民主党)が三野党の連帯のもとに善戦し、呉世勲候補(ハンナラ党)を追い上げている。韓明淑候補は0.6%の僅差で敗北したが、民主労働党より分離した進歩新党の候補が3%の得票を得ており、実質的な勝利とも言える。また、同時に実施されたソウル地域の区長選では、民主党候補が二十一区で当選し、ハンナラ党候補は、わずか四区にとどまったのである。
 選挙運動の公式な開始日にあたる五月二十日、李明博大統領は「韓国哨戒艦『天安』は『北韓』の魚雷攻撃で沈没した」との調査結果を発表した。しかしそれは、科学性と客観性を著しく欠き、多くの疑問に満ちた内容であった。それにもかかわらず五月二十四日、国民向け談話で「安保意識もさらに強固になるべきであり、国家安保の前に我々は一つにならなければならない」と表明して、沈没事件を利用し、選挙戦を有利に進めようとした。
 李明博政権は、これまで六・一五共同宣言を無視し南北対決を繰り返してきた。そしてまた、哨戒艦沈没事件を選挙に利用し、南北の軍事対決をいたずらにあおって戦争の危機をつくり出し、朝鮮半島の平和を脅かした。選挙結果は、南北対決と軍事緊張に反対し朝鮮半島の平和を求める韓国国民の声が示されたものである。
 韓国日報は「野党民主党が掲げた『戦争か平和か』と言うスローガンに二十〜三十代が敏感に反応した。徴兵制で入隊直前か兵役中の二十代、すでに兵役を終えたが有事の際には召集される二十代後半・三十代にとってこの問題は他人事ではなかった」と報道した。これは平和を求める若年層が積極的に投票したことを物語っている。
 またこの選挙結果は、李明博政権に厳しい国民の審判が下ったことを意味している。李明博政権は、世宗市への都市機能移転や「四大河川事業」(四河川をつなぐ公共事業)等で民主主義を踏みにじり、世論調査でも反対が過半数を占める政策を強引に押し進め、環境や国民生活を破壊してきた。李明博政権の悪政に国民は「ノー」を突き付けたのである。今回投票率は、54.4%で〇六年を2.9%上回った。それは沸き上がる怒りを示している。
 選挙を通して民主労働党が、野党の選挙連合で目覚ましい結果を残した。それは進歩勢力の発展にも大きく貢献するに違いない。
 李明博政権は、過去の軍事独裁政権と同様、南北の軍事的緊張を極度に高め政権を延命させようと画策してきた。しかし、今回の選挙結果によって李明博政権は、内政・外交・南北関係などで根本的な政治転換を実施せざる得ない状況に追い込まれている。
 日本帝国主義は、植民地支配によって朝鮮人民に甚大な被害と損害を与えたことの責任を回避し、今もなお南北の軍事緊張と分断固定化に加担して、米国とともに朝鮮半島の民主化と平和を妨害している。
 六月開催のG8では日本政府は米国とともに哨戒艦沈没事件を取り上げ、首脳宣言に朝鮮民主主義人民共和国を非難する文言を明記させた。それは、国連安全保障理事会での対「北朝鮮決議」の議論に反映させることを狙ったものである。日本政府は一貫して共和国に敵対し、戦争策動を強めている。〇九年六月、麻生政権は「貿易・金融・往来全面断交」等の制裁措置を閣議決定し、同年十月には、鳩山連立政権が「船舶検査法案」を閣議決定して提出し、成立させている。東アジア重視を掲げて登場した民主党政権にあっても共和国に敵対し、南北分断を固定化して朝鮮半島の民主化と平和を妨害する画策を続けている。
 三月三十一日に成立した高校無償化法でも、朝鮮学校を当面排除して施行するなど共和国に敵対し、朝鮮民族への差別・排外主義の攻撃を強めている。このように前鳩山政権にしても菅政権にしても、民主党のマニュフェストにある「東アジア共同体」論の内実とかけ離れ、自公政権時代の対北政策を踏襲している。
 日本政府などの共和国に敵対するあらゆる攻撃に反対する。そして南北の軍事的緊張を高め、分断を固定化する策動と断固として闘い、朝鮮半島の民主化と平和の実現に向け行動する。李明博政権が選挙で惨敗する等、韓国民衆の闘いが大きく前進している。韓国民衆の闘いに連帯し、「在特会」等の民族排外主義の攻撃を許さず運動を前進させよう。(東京O通信員)


改定安保50年
  6・19「もうやめよう!日米安保条約」集会など
  安保破棄にどう迫るか

 六月十九日は、日米安保条約改定案が自然承認で成立とされてから五十年目の日であった。五十年前、改定安保案は五月に衆院で強行採決されたが、これによって国中で岸内閣打倒の動きが高まる中、参院では審議に入れず、憲法第61条によって改定安保が押し通されたのであった。
 この六月、東京では安保五十周年を問う各集会・行動が取り組まれた。六月十九日には、「もうやめよう!日米安保条約――米国・日本・沖縄の新しい関係をめざして」と掲げる集会が社会文化会館で行なわれ、約350名が参加した。主催は、首都圏の市民団体・反戦団体などによる2010安保連絡会。
 この6・19集会では、最初に平和委員会製作のDVD『どうするアンポ』を上映したあと、浅井基文さん(広島平和研究所所長)が講演した。彼は、近年の日米合意や有事法制によって、改定安保条約が今日いかに違うものになっているか等を長文のレジュメで解説した。
安次富浩さん(名護ヘリ基地反対協)が、「鳩山政権から菅政権移行後の辺野古新基地建設反対闘争の展望」について報告。九月名護市議選で過半を超える十五人の与党市議団を誕生させること、十一月県知事選で、民主党中央が望んでいる仲井真ではなく、新基地反対の知事を誕生させること等勝利の展望を語った。
海外からはグアムのビクトリア・レオン・ゲレロさんが報告、チャモロ民族の頭ごなしに締結された日米のグアム移転協定をはじめ、グアムの米軍基地強化反対を訴えた。
集会後、参加者は国会議事堂正面で「安保破棄」の看板をかかげてのアピール行動、そして首相官邸に辺野古新基地反対、5・28日米合意・閣議決定の撤回を申し入れた。
同じ十九日、日比谷公会堂では二千人を集めて、「九条の会」による講演会「井上ひさしさんの志を受けついで・日米安保の50年と憲法」が開かれている。これは四月に亡くなった「九条の会」呼びかけ人の一人、作家の井上ひさし氏を偲ぶ催しであるが、大江健三郎さんや澤地久枝さんが講演し、安保五十年の現在、九条が生かされていない現実を問う内容であった。
また六月二十日には、「6・20シンポジウム沖縄・日本・安保50年」が明治大学駿河台校舎で開かれ、約230人が参加した。主催は、「9条改憲阻止の会」などによるシンポ実行委員会。このシンポでは塩川喜信さんらを司会に、琉球新報政治部長の松元剛さん、ジュゴン訴訟原告団の真喜志好一さんなどによるパネル討論が行なわれた。
これらの他にも安保を問う企画は多かったが、国政の中心地・東京で盛り上がっているとは言いがたい。沖縄や安保が意図的に争点からはずされる形で、参院選挙戦に入っている。
普天間返還問題は、沖縄という一地域の問題ではなく、安保の問題であり国民全体の問題である。安保をなくせば沖縄の基地もなくせるが、その「安保破棄」へは具体的にはどう迫っていくのか、どういう道筋があるのか。日共や新左翼は、こうした立て方に弱い。社民党は安保を容認した上で、改善策を出すという傾向である。海兵隊撤退など具体的テーマで道筋をひらくべきなのではないか。(東京W通信員)