人として生きたい、
      だから闘い抜く

           寄稿・三里塚闘争覚書(下)
                            加瀬勉(大地共有委員会代表)



    強制代執行阻止闘争

 大木よね宅の周辺に反対同盟支援団体が続々と結集して、阻止闘争の決意を披瀝していた。反対同盟員は大木よねさんの家の入り口に結集した。戸村委員長の激励にみんな奮い立った。代執行の現地責任者は、千葉県副知事の川上紀一である。「今日は代執行を中止する」と報道機関に発表。「阻止できたぞ」と今日一日の成果に気勢があがった。反対同盟も支援団体も闘争態勢を解いて散会した。また静かな夜が訪れてきた。明日は計画どおり稲の脱穀である。早朝石井武宅から借りてきた耕運機と脱穀機を庭に備えつけて、早々と作業を始動した。晴れやかな秋晴れの朝であった。
 作業を始めて10分もたたない時に空港の工事現場を見ると、白旗を掲げた公団職員、黒山の一団の機動隊、大型のバックホー、ブルトーザーが一斉に突進してくるではないか。私と大木よね二人しかいない。石井武さんが駆けつけてきてくれた。三人となった。公団職員が白旗を掲げ、何か読み上げた。代執行令書であろう。
脱穀している三人に、一斉に機動隊が躍りかかってきた。私と石井さんは機動隊の暴行を受けて倒れた。大木よねさんも激しく抵抗、機動隊の盾の水平打ちを受けて口から血が吹き出した。私は「ばあちゃん大丈夫か」と叫んで、倒れたよね婆さんの上に覆いかぶさった。婆さんの白い髪の毛は乱れ乱れて、前歯2本を折られ、口から顎にかけて血が流れていた。私の下になっている婆さんが機動隊を睨んだ、その形相の凄さに機動隊員の手が止まった。憎悪、怨念、恨み、この世にあるどんな言葉でも表現できない顔である。目には黒味がなく白味ばかりでギロリとしていた。あまりの恐ろしさに私の体に鳥肌が立った。
その一瞬、大木よねさんと私はまったく別の世界に住む人間であることがわかった。私には憎悪、怨念、恨みの言葉に値するほどの情念は持ち合わせてはいない。代執行阻止と心血を注いできたが、一つも大木よねの苦難、辛酸を舐めてきた人生を理解してはいなかったのである。風邪をひいて寝込めば餓死する境遇、八歳にして親と別れ、文字を習う機会はなく、酌婦、女中、百姓の奉公人、生きるためにはなんでもやり抜いてきた。前後、ここに大木実と所帯を持って芋焼酎づくりをしたが、警官隊に破壊された。野草を食う毎日の生活、今度の強制代執行。大木よねの日常性とは強制代執行の連続、生死の日々であったのである。生きてきた毎日が奪われる強制代執行であったのである。この辛苦の連続性を私は理解できなかったのである。

    ベツレヘム−野の羊の群れ

 機動隊の包囲が解かれ、闇の中にすっかり地形の変わった大木よね宅。強制代執行の現場を目撃した者は誰もいない。大木よねさんも私も石井武さんも機動隊にそれぞれが拉致されていて、代執行が終わってから車の中から放たれた。みんな悔しがって、整地された上に焚き火をたき取り囲んだ。悔しくて団結小屋や自宅に帰れないのである。闇の中、焚き火の火はあちこちに焚かれ、みんなの顔が赤く燃えていたが心は重く言葉もなかった。戸村委員長の激励演説の声も絶えた。戸村さんはこの夜の出来事を、「キリストを慕うベツレヘムの野の羊の群れ」と文章に書いている。大木よねの代執行阻止の闘争力はどこから出たのか、「それは無知、文盲であるがゆえに」とこれまた文章に書いている。
 代執行を受けた大木よねさんの評価はどうだろう。「俺はこれまでは反対同盟に義理を欠いたことはないのに、反対同盟は俺を屋根の上に乗せて梯子をはずした」、すなわち反対同盟に裏切られたと思っているのである。阻止してくれると信じていたのである。反対同盟と支援団体は、「代執行をやらないと言ってやった。川上副知事は許せねえ」と怒り心頭に発した。これに対して代執行を戦った石井武さんは、「代執行はやらないと言ってやる。これは戦の基本戦術だ。やります、やりますと言ってやれば味方の損害が大きくなる。だまし討ちは当たり前のこと。敵の言葉を信用した反対同盟が修行が足らないということ」と言っていた。加瀬勉はどうか。始めから阻止できないことはわかっている。できないと大木よねに本当のことを告げて、そうして判断を待つべきであった。できもしないのにできると思い込ませてはならない。

    大木よねさん癌で倒れる

 大木よねさんが癌を患っていることは誰も知らなかった。本人も身体の調子が悪いとは言わなかった。成田日赤病院に入院した。成田日赤には三里塚野戦病院で活動していた医師と看護婦が働いていた。そして、婦人行動隊が3名づつ看病付き添いに当ることになった。反対同盟は全力で看護に当ったが、大木よねの病気は悪化するばかりであった。医師から寿命いくばくもないことが告げられた。
大木よねには妹が一人、八街町に住んでいた。私は車で迎えに行き、姉の病気を告げ逢ってほしいとお願いした。妹を病院に連れてきたが、大木よねは会わないと言った。それは、公団が妹をのせて土地買収に来たことがあったが、そのとき大木よねは妹を追い返したからである。そのことを知っていた私は、反対同盟婦人行動隊の付き添いの人に病室から出てもらった。そうして妹を病室に入れた。声もなく二人は手を堅くにぎりあって泣くばかりであった。大木よねが八歳のとき家を出てから初めての再会である。姉妹は姉が死んでいく寸前に再会したのであった。残酷な運命、それに加えての代執行と癌の重病である。
どうしても三里塚に帰りたいとの大木よねの願い出で、酸素ボンベ、酸素吸入付きで医師・看護婦に付き添われて東峰に帰ってきた。1973年12月14日、大木よねはその残酷な生涯に終わりを告げた。享年66歳であった。

    大木よねの反対同盟葬

 私は大木よねの妹のところに飛んでいった。そして姉が亡くなったことを告げた。たった一人の肉親、姉の枕元に座ってほしいとお願いしたが、行けないと断ってきた。懇願すると香典のカネがない、葬儀に着て行く黒紋付の着物がないということであった。反対同盟の葬式だから、香典はいらない、普段着でよいと言ったが、それは俺たち闘争している者たちの言い分で、妹の身であれば姉の葬式に香典はもっていけない、着ているものは普段着では、参列者のさらし者になるという意識である。村落共同体の習慣からすれば当然のことである。私は十余三の岩沢茂のおばあちゃんにお願いして、草履、足袋、帯び、長襦袢、黒の紋付一式を借り受けて、香典五千円を用意して妹に葬儀に参列してもらった。お坊さんは芝山町の半田住職である。戒名代は支払いできないと断って、読経だけお願いした。真っ白な白木の箱に収まった大木よねさん、妹の胸に抱かれての野辺送りである。大木よねさんは、空港建設用地の東峰共同墓地に眠っている。

    
    代執行のだまし討ちをした千葉県副知事・川上紀一

 代執行の現場責任者の川上は、「だまし討ち」はしなかったと長文の言い訳文を書いた。だまし討ち、卑怯な振る舞いをやったかやらないかではなく、代執行の責任は友納武人千葉県知事であり、現場責任者川上紀一である。友納の後をついで千葉県知事に就任した川上紀一は、ニッタン深石社長から六千万の選挙資金を受け取ったのである。そして現金受領の念書に、「私が千葉県知事になったときには、あらゆる便宜をはかります」の但し書きがあることが発覚したのである。川上紀一ばかりではない、ロッキードの田中角栄、リクルートの宮沢喜一、今日の鳩山首相、小沢民主党幹事長まで権力はカネで買われ私物化されているのである。
三里塚の代執行を見て見ぬ振りをすることは権力と同じ、いやそれ以下の畜生道に落ちることである。人間として生きたい、だから三里塚を闘い抜いているのである。

                                            2010・1・7記


4・11三里塚・東峰現地行動
  勝利しよう一坪共有地裁判

 四月十一日、三里塚空港に反対する連絡会の主催により、4・11三里塚・東峰現地行動が「平行滑走路再延長を許すな!東峰住民の追い出しをやめろ!一坪共有地・団結小屋強奪裁判に勝利しよう!」のスローガンを掲げて行なわれ、約60名が参加した。
 旧東峰共同出荷場での集会では、まず現地らっきょう工場の平野靖識さんが次のように発言した。「東峰のくらしから見えるものを報告したい。石井紀子さんの息子さんが、隣町の酒々井でレストランを開店した。私の娘は沖縄に行っていたが、連れ合いと帰ってきて成田にパン屋を開いた。売れ残るパンは島村さんの豚のエサになり、見返りに卵をもらっている。このように親の三里塚の闘いに、引いてきた子ども達が、だんだんと親のやってきたことを見直し、自分を取り戻してもどってきているのかなと思う。また円卓会議の後に、農業研修で三里塚に入ってきた若い人たちが、いま営農の力をつけてきている。三里塚に若い人たちが戻ってきていることを考えると、私たちの闘いの成果があったと思う。」「そういう気分で滑走路を眺めると、空港会社は他空港との競争で虚勢を張っているだけで、いずれ破綻する。我われは地に足をつけて、自信をもって暮らしていきたい。」
 続いて、渡邉充春さん(関西三里塚闘争に連帯する会、東峰団結小屋維持会)が発言。「関西の一坪共有運動として、生前贈与・相続の取り組みを行なった。闘いを次世代に引き継ぎ、共有地裁判に抗していくためである。」「東峰団結小屋の共有地も提訴されている。空港会社は、反対のためだけのものと言っているが、現在の住民は25年間住み続け、小屋の前には小泉さんの畑、島村さんの畑もある。営農と生活の中に存在しているのだ。強制代執行に替わる一坪強奪に反対していこう。」
 一旦、デモに出発し、開拓道路から平行滑走路に向け、抗議のシュプレヒコール。出荷場に戻って集会を再開し、山崎さんが現状報告。「再延長の狙いは、天神峰の市東さんと東峰住民への圧力。団結街道廃道・第三誘導路建設によって、市東さんの家・畑、天神峰現闘本部を囲い込んで追い出そうとしている。」
 集会は、愛知県の一坪共有者・吉川守さんをはじめ、多くの発言を受けて終了した。(関西S通信員)