社会崩壊の一側面

  社会の目的喪失
    それがもたらすもの


今日、社会は目標喪失状態に陥っている。
 かつてこの社会には目標があった。生産力の発展、物的豊かさの実現である。支配的システムである資本の利潤追求運動がこれを牽引した。資本の自己増殖運動は、階級矛盾を激化・拡大させながらも、物質的豊かさを実現することによって政治的包摂力を維持していた。
 しかし今日、産業の成熟(物質的豊かさ)が実現され、また環境限界への逢着が現実となることによって、物質的豊かさの更なる追求は基軸的目標たり得なくなり、人々の中心的欲求(社会の目標)は、高次化しだしているのである。増大している高次の欲求とは、各人の自由な発展、社会的諸関係(および自然環境との関係)の豊かさの実現、相互扶助社会の構築である。
 問題は、物質的生産の拡大が社会の目標たり得なくなったという点にあるのではない。問題は、社会の新たな目標を形づくる高次の欲求が、資本主義の存続によって押し潰されている点にあるのだ。社会は、かつての目標を実現したが、新たな目標を持つことができない、目標喪失状態に陥っているのである。問題はそこにあるのだ。
 この目標喪失状態、新たな欲求の抑圧は、社会の成員に否定的影響をもたらしている。
 人は、その活動を通じて社会に貢献することで、自尊心を再生産し、生きる意味を確認し、希望を抱いて生きているのである。その社会が目標喪失状態に陥るならば、その成員が希望を抱けず、生きる意味を確認できず、自尊心を持てなくなるとしても不思議ではない。
 社会が目標喪失状態にあるということは、単に観念の次元の問題ではない。
社会の必要を満たす物質的生産が社会の総活動時間の益々少ない部分で達成される時代になったにもかかわらず、資本主義の下ではそのことは、労働人口の一半に対する長時間・過密労働の強制と他の一半に対する失業(貧困・飢餓)の強制として現れる。いずれの人口部分も、生存が脅かされた状態におかれ、新たな社会の目標(高次の欲求)を実現する上で必要な条件を剥奪されているのである。
今日、若者の「閉塞感」「無気力」「絶望」について多々語られるが、その最も深い根拠はここにある。
 支配階級の場合は、「閉塞感」「無気力」「絶望」という形ではないが、別の形態で否定的影響が現れる。支配階級といえども、歴史的役割を果たし、社会の発展に貢献している間は、その程度に応じてであるが、使命感と規律、社会を大切にする態度があるものである。だが、歴史的役割を終えて、社会の発展の阻害者に転化するとともに、それらは反対物である腐敗と開き直りにとって代わる。つい先頃の金融バブルの最中、投機資本家たちがあからさまに拝金主義と強欲を称賛し、格差を正当化して見せ、そのことを実証したのだった。

  問われる新たな社会的つながり

 社会が目的を喪失すると、構成員の連帯感がなくなる。
 産業を成熟させ・物的豊かさを実現し終えた資本主義は、カジノ資本主義に転化した。投機マネーの運動(賭博による金儲け)が社会の目標とはなりえない。それどころか、その運動は、協働労働関係をふくむ人と人のつながりを破壊する運動であり、その残骸(マネー)の集積運動なのだ。資本主義は、人のつながりの残り滓をも破壊しつくさずにはいないようである。そのうえ支配階級は、生存の危機の淵に沈められていく労働者民衆に対して「自己責任」の批判を浴びせてきた。これでは社会は、社会としてのまとまりを保てない。
こうした中で、個人的な社会への復讐(殺人)なり決別(自殺)が広がっている。人のつながりから切断され、排除された個人の反社会的復讐行動や社会からの決別行動は、社会そのものが内的に自己を破壊し崩壊しだしている事態の一つの結果なのだ。
社会の側は、「命の大切さ」の説教でこれに対処しようとしているが、空々しい感はぬぐえない。「生物学的」には生と死は表裏一体のものであり、「命の大切さ」は「死の大切さ」でもある。問題は、社会的に生きる意味が崩壊し出している点にある。問われているのは、人々の新たな欲求に適合した形態で、社会的つながりを創造することなのだ。
人々の欲求(社会の目標)は、物的豊かさの追求から各人の自由な発展、社会的諸関係(及び自然環境との関係)の豊かさの実現、相互扶助社会の構築へと移行しつつある。この欲求は、階級差別をはじめとした社会的差別や国家・国境の存在と両立しないものである。資本主義がこれを妨げていることによって、社会が崩壊してきている訳である。こうした時代における新たな社会的つながりの創造は、歴史的役割を終えた社会・経済関係の擁護・再建であってはならず、投機マネー(資本主義)と対決し新たな社会の創造を導く高次の欲求の発現として展開していかねばならない。
こうした中で極右勢力が、社会の目標喪失には「外国人」排斥の目標を、人々の社会的つながりの崩壊には「愛国」によるつながりを押し出し、没落の恐怖におののく階層を組織し始めている。社会の崩壊が新たな社会の創造に転化されることなく、過度に進行するならば、こうした極右潮流の台頭を許すことになるだろう。それは、社会にとって、死への道であるに違いない。(深山)