米医療保険改革の関連法案が可決成立
   格差拡大に一つの歯止め

 三月二十一日、医療保険改革の関連法案が、下院で、219対212の僅差で可決された。この法案は、オバマ政権が内政上、最も重視し、インドネシア、オーストラリア、米領グアムへの大統領訪問を二回までも延期して、工作し続けたものであった。
同法は、二十三日には、大統領が署名し、成立した。
同法の概要は、以下のようなものである。@低所得者に対する医療保険料控除の制度を州ごとに創設する。貧困あるいは宗教的理由がない限り、医療保険に加入しない人には、罰金が課せられる。A事業主に対して、従業員の医療保険への資金拠出を義務付ける。保険料負担への税額を控除する。B年収25万ドル超(夫婦)の高額所得者層には、社会保障税を増税する。C民間保険会社への規制を強化する。たとえば、既往症を理由に保険への加入拒否や、不合理な保険料設定を禁止する。高額な医療保険には、課税する。D政府が提供する公的保険のメディケア(高齢者向け)やメディケイド(低所得者向け)を効率化して、財政における医療費の伸びを抑制する―などである。
この法律が成立することにより、議会予算局の試算では、費用は、10年間で9400億ドル(約85兆円)必要となり、無保険者を約3200万人減らす(医療保険加入率は83%から95%へ)ことができるという。
二十三日に成立した医療保険改革の関連法律は、さらに高齢者向け医療保険の一部削減などを含む修正案が上下両院で可決され、三十日に大統領の署名をもって最終的に決着した。

  〈あらゆる手練手管を使った法案成立〉

アメリカの医療制度で最大の問題は、医療費が国内総生産(GDP)比で約18%(日本の2倍近い水準)も占めるにもかかわらず、平均寿命は主な資本主義国のそれよりも短いことである。しかも、公的な皆保険制度がないため、大富豪でもないかぎり、平均的な労働者は軽度とはいえない病気にかかると、たちまち高額の医療費支払いに窮して、生活が破壊され、しばしばホームレスに陥るのである。
僅差ではあれ、法案が成立した背景には、この間、一方で保険料が賃金の3倍のスピードで上昇し、他方でグローバル化にともなうアメリカ製造業の衰退などで労働者の所得が伸び悩み、最近では、無保険者が6人に1人にあたる約4600万人に膨らんだことがある。
この間、新自由主義の横行で、世界的に、企業や金持ちへの課税がつぎつぎと軽減化され格差が拡大してきたが、そこへサブプライムローン危機に端を発する世界恐慌を契機にして、各国の財政基盤は一挙に危うくなった。だが、資本家階級は、国家財政の破綻が目に見えてきているのにもかかわらず、企業の競争力の保持などを大義名分に、依然として企業や金持ちの減税に固執している。
この点で、無保険者の一掃にむけた医療保険制度の改革のために、オバマ政権が企業や金持ちへの財政負担を課することは、これまでの格差拡大や金持ちをますます金持ちにする傾向に対して、一つの歯止めとなるものであろう。
しかし、だからといって、市場原理主義、新自由主義の牙城たるアメリカの「自己責任論」に象徴される思想傾向が大きく変化したとは、とても言えないのである。
このことは、法案成立の過程が如実に物語っている。
第一は、国民皆保険を目指した医療保険改革の模索は、二十世紀初頭のセオドア・ルーズベルト大統領にまでさかのぼるが、その実現はきわめて困難であり、ジョンソン政権時代の一九六五年に、高齢者向け・低所得者向けの公的保険制度の成立がやっとのことであった。国民皆保険の実現は、トルーマン、ケネディ、クリントンの各大統領とも失敗した。今回も、公的保険制度の新設は、はやばやと取り下げられ失敗していたのである。依然として、アメリカは、資本主義の発達した諸国の中では、唯一、国民皆保険が成立していない国なのである。
第二は、今回の無保険者を減らし、皆保険に近づけようとする改革法の実現においてさえ、あらゆる手練手管が駆使され、ようやくのこと成立したものであり、まさに薄氷を踏むあり様なのであった。
インドネシアなど外国訪問を二度にわたって、延期したこともそうである。
その他にも、失業者が10%前後のレベルで続いているのに、医療保険改革どころではないという労働者の声などを踏まえて、三月十八日には、176億ドル(約1兆6千億円)規模の雇用創出法(昨年2月の7870億ドルの巨額景気対策に続くもの)に大統領が署名し、成立させている。
民主党内の反対議員に対しては、直接オバマ大統領が当該選挙区に出向き、集会などで選挙民を説得するという工作を行なっている(従来は、見返りとして、公共事業などを割り当てた)。投票日当日の二十一日には、妊娠中絶が増えるという理由で法案に反対している議員に対しては、これに配慮する大統領令を出す方針を示して、賛成票の拡大を図っている。

  〈依然根強い「自己責任論」〉

オバマ大統領などの涙ぐましい努力にもかかわらず、共和党の賛成者は一人も出ず、民主党からも34議員が反対に回った。だが、両派の対立がいかに深刻なものであるかを示すのは、二十三日の大統領署名の後、10人以上の民主党議員へのいやがらせ、すなわち殺害予告や事務所の破壊などが相次いだということである。
 ことほど左様に、アメリカ社会では、伝統的に、社会的な相互扶助よりも「自己責任論」が強調され、国民皆保険の実現が失敗し続けているのである。
 だが、「自己責任論」なるものは、公正で民主的な社会のベースとなるべき自主自立の精神とは似て非なるものである。それは、資本主義が絶えず生み出す利己主義と固く結合した「勝ち組」の論理でしかない。
たとえば、個人的な事由によらない失業は、いくら労働者の個人的努力によってもなくならないものである。それは、資本主義という経済システムが不可欠にもたらすものだからである。「勝ち組」は、失業者が存在するからこそ、自己の首がつながっていることこそ、銘記すべきである。(T)