2010年度予算案

土建国家と官僚依存からの脱却を目指す
  だがバラマキ体質は根強く
                                    三枝 知徳

 一月二十五日、鳩山政権による2009年度第二次補正予算案が、衆議院を通過し、二十八日には参議院で可決、成立した。これにより、通常国会は、2010年度予算案をめぐる論戦に入る。
 昨年末に閣議決定された一般会計予算案は、総額92・30兆円となった。主な歳出項目は、公共事業費5・77兆円(前年度比18・3%減、以下同じ)、社会保障費27・27兆円(9・8%増)である。他の歳出項目では、地方交付税等17・48兆円(5・5%増)、国債費(借金返済)20・65兆円(2・0%増)である。
これに対して、一般会計の歳入は、税収が37・40兆円(18・9%減)、税外収入が10・60兆円(15・8%増)、国債が44・30兆円(33・1%増)である。
なお、一月二十二日に国会に提出された、一般会計と特別会計を合算し重複部分を除いた総予算(歳出純計)は、前年度の207兆円から4・1%増えた215・07兆円にのぼった。
2010年度予算案は、世界恐慌や政権交代などの影響で、「過去最大」とか「戦後初」とか、まさに記録ずくめの予算となっている。たとえば、一般会計・税外収入・国債発行額・国債依存度・地方交付税等の規模は「過去最大」であり、公共事業費の減額規模も「過去最大」である。そして税収(予定)が国債発行額を下回るのは、「戦後初」であり、税収(予定)37・40兆円は1984年度以来の低さである。

  「第一歩」を踏み出すが課題は多い

 鳩山連立政権の初の予算案の特徴は、以下のように評価することができる。
まず第一に、公共事業費減・社会保障費増という構造は、従来の自民党予算とは、大きく異なり、人民の利益に沿う方向への「第一歩」として評価できる。しかし、その中身をみると、まだまだ大きく改善する余地がある。
たとえば、子ども手当である。今日の日本社会が階級社会であるのに、所得格差も考慮しないで一律給付というのは、問題である。所得制限を設けるか、あるいは2000年代前半に大きく緩和された所得税の累進性を以前並みかそれ以上に厳しく施行することが是非とも必要である。また、子育てを社会として支援する場合、個人給付に限定するのでなく、民主党マニフェストでいう個人給付の額を削ってでも施設・サービス拡大に当てるべきである。
似たようなことは、文教予算にもいえる。高校授業料の無償化で必要となる約4千億円を捻出するために、危険が指摘されている小中学校の耐震化工事が遅れることになった。個人給付に偏重しているため、施設・サービスの軽視が目立っているのである。
第二に、民主党マニフェストの問題点にまでさかのぼるが、自公政権とほとんど変わらない分野である。それは、たとえば、軍事予算や大企業優遇・金持ち優遇税制などである。
軍事予算は、世界大に拡大した日米安保同盟を維持するために、削減縮小されず若干増加し、4・79兆円(0・3%増)となっている。この中には、地対空誘導弾パトリオットミサイル(PAC3)に766億円、ヘリ登載の空母型護衛艦に1208億円、新戦車13両に187億円、グァム移転経費479億円を含む米軍再編経費に909億円(307億円増)などが含まれている。鳩山政権が、東アジア共同体創設を真剣に推進するのであるならば、北東アジアの緊張緩和のために核を含む軍備の縮小を率先して行なう必要がある。 
また、財務省を聖域扱いするのでなく、財政規律を弛緩させている現状への厳しい対処が、必要である。会計検査院は、普天間飛行場の代替施設に伴う地質調査などで防衛省の那覇防衛施設局(現・沖縄防衛局)が適切な予算措置を取らなかった問題で、二人の元局長を懲戒処分すべきと要求したが、防衛省はこれを無視し注意処分で済ませている。財務省の財政規律を厳正に行なうべきである。
企業、特に大企業に対する優遇税制については、所得税における金持ち優遇とともに、国債膨張の大きな要因となってきた。新自由主義の見地から、この間すすめられてきた投資減税・法人税率の引き下げをやめて、法人税率を元にもどす必要がある。
法人税率(基本税率)は、1974〜89年度の間、「留保(利潤)分」が40〜43・3%、「配当分」が28〜35%であった。だが、新自由主義路線の台頭により、1990年度37・5%、1998年度34・5%、1999年度30%へと次々と軽減されてきた(90年度から「配当分」に認められていた軽課税率は廃止され、基本税率は一本化された)。
所得税は、1960〜80年代半ばには、課税段階が15〜19の階層に区分され、最高税率は70〜75%であった。それが1988年度から、段階区分は急激に減らされ(累進性は緩和され)、1999年に最も緩和された所得税率の累進性は、4段階、最高税率37%となった。これに対し小泉政権は、大盤振る舞いの小淵政権時代に成立した定率減税を2006年度から半減、2007年度に全廃し、大衆増税を行ない、さらに2007年度から、国税の所得税を減らし地方税の個人住民税を増やすためと称して、当時4段階であった所得税に新たに最低税率5%の区分を新設した。
 このように、低所得者への増税が高まるのに比して、経済回復への士気を刺激する政策として高所得者への税軽減が放置されたままなのである。
この間の世界恐慌に端的に示される新自由主義の破綻は、財政においても明らかである。国際競争力をあげるためと称して行なわれた法人税率の切り下げや、金持ち優遇の所得税は、財政破綻をさらに促進し、そのしわ寄せを労働者人民に押し付けてきた。企業の社会的責任どころか、財政破綻をも推し進める大企業優遇・金持ち優遇の税制をただちに改革すべきである。
第三は、貧困と格差の縮小の問題である。
専門研究者の調査によると、生活保護の利用率(捕捉率)において、ドイツやイギリスが85%以上なのに対して、日本の場合は15〜20%でしかない、といわれる(『朝日新聞』1月6日付、「ざっくばらん」欄)。一昨年末の派遣村問題で、派遣労働者の首切りが鋭く社会問題化し、その時は、一時しのぎ的に生活保護を受け付けたが、相変わらず日常的には、自治体窓口での保護申請の制限はつづいている。
政府は、雇用保険制度を見直して非正規労働者の加入要件を改善し、雇用保険の適用範囲の拡大を図り、また、失業給付を増額するため、一般会計と特別会計で936億円を計上した。しかし、これまでの行政の欠陥により、実際に失業手当を受けているのは、3割り弱でしかないのが現状である。失業手当の受給範囲、受給期間の拡大や、職業訓練の実際化と就職確保の充実などが、まだまだ必要とされているのである。
さらに、日本の貧困問題で強調されるべきは、最低賃金制が空洞化していることである。そのあまりの低さは、ところによっては生活保護水準を下回る状況となっていることである。このことは、年金の給付水準にも言える。企業の雇用責任とともに、国の社会保障責任が、厳しく要求されるゆえんである。
第四は、地方自治の発展にかかわる予算措置である。来年度の地方交付税交付金等は、今年度よりも0・90兆円増え、過去最大の17・48兆円(5・5%増)になった。これは、小泉政権時代の削減で地方が疲弊しているのに応急措置をしたというレベルである。民主党は、公約で、ヒモ付き補助金を廃止し、自治体が自由に使える「一括交付金」へ改めるといっている。だが、これは2011年度予算にまたねばならない。事務量に応じて地方税を拡大させ、地方の財政自主権が抜本的に改革されないかぎり、地方自治を発展させることは絵に描いた餅にしかすぎない。
第五は、不要不急の事業の削減である。このための事業仕分けは、好評であった。しかし、これによる来年度予算への反映は約7千億円程度しかないのであり、これもまた本格的には、2011年度予算編成に繰り延べられたのが現状である。公益法人、独立行政法人や特別会計に対する事業仕分けはほとんどがこれからである。財政の無駄を廃止したり、不急のもの後回しにしたりすることはもちろんのことであるが、必要な経費の場合でも、天下りがもたらす無駄を考慮し、天下り禁止法案の速やかな法律化と共に、高給の天下り経費などを削除した形での経費へと適正化する予算をつくりあげることである。

  国債残高増でバラマキも限界迫る

2010年度予算案は、「国民生活が第一」と言って、公共事業をへらし、社会保障費を増大させる予算構造への転換をはかった。だがそれにもかかわらず、全体的には、自民党以来の選挙目当てのバラマキ体質の傾向は、民主党にも依然として根強く維持されている。このバラマキ体質と世界恐慌による税収の大幅減額(図を参照。『朝日新聞』12・9)を甘く見たことが、年末の予算編成で四苦八苦した最大の原因である。だからこそ、ガソリンの暫定税率の実質維持となり、子ども手当もまた来年度一年間は地方・企業負担を含んだ暫定的な体裁となったのである。
こうして、来年度予算案は、国債に大きく依存した予算づくりとなった。来年度の新規国債発行額は、前年度当初予算より、約11兆円多い44・30兆円となり、国債依存度は48・0%で10・4ポイントも前年度よりも跳ね上がり、ともに過去最大となったのである。
この結果、2010年度末の国債残高は637兆円ほどとなり、対GDP比は134%ほどとなる。これは、第二次世界大戦中にアッツ島守備隊が全滅した1943年度の133%を超える水準を示している。また、国と地方の借金の残高は約862兆円に膨れ上がり、対GDP比は181%(前年度より7ポイント上昇)の水準になる見通しである。
従来の自民党政権などは、家計の金融資産が1400兆円もあるからと言って、国債残高の膨張を意に介さないできた。しかし、専門家によると国債残高の限界は、約1000兆円であるといわれ、この調子で国債依存を続けるかぎり、わずか数年で1000兆円に到達してしまうのである。 
今は国債の約94%が国内で消化されているが、このままでいくと数年後には、いよいよ国内消化の現状が破綻し、借金を国外に依存しなければならなくなる。そうなると、この間の日本では、超低金利で国債の利払い費は相対的に低くなっていた(それでも昨年年末段階で、一日の利払いは約250億円)のが、がぜん跳ね上がり、金利や利払い費も高騰せざるを得なくなる。選挙目当てのために、将来の世代の利益を先食いする放漫財政のツケは、画策する消費税のアップとともに国債利払い費の拡大などで、現在と未来の人民の肩に重くのしかかるのである。
1990年代以降の流れをみるだけでも、ケインズ主義も新自由主義も財政問題を解決できていないのがよくわかる。90年代の高度成長時代の同様の手法である公共事業への投資で80年代後半の土地バブルが崩壊した後の日本経済を立て直そうとしたが、これは完全に失敗した。そこで新自由主義経済政策を強力に推進したのが小泉政権であったが、それも非正規労働者層を中心とする人民の犠牲の下での「経済回復」で財政の改善を図ったが、サブプライムローンに端を発する世界恐慌により、税収の大幅減収となり、いっぺんに財政は崩壊的危機に直面することとなった。資本主義の綻(ほこ)びを繕おうとすればするほど、財政は破綻への道に突き進むのである。(了)