2010春闘
 最賃大幅引き上げ、労働者派遣法抜本改正を
  非正規労働者自身の
        団結支えよう

  

 今や雇用情勢は深刻である。一昨年十月から今年三月までの非正規労働者の「雇い止め」は、政府発表でも25万人である。完全失業者数は昨年二月以降300万人を超え、十一月には331万人になっている。勤め先都合の失業者が増えており、正規労働者も解雇される状況である。雇用調整給付金の受給者が昨年八月の255万人から減ったものの195万人である。潜在失業者は600万人ともいわれている。
 にもかかわらず、解雇撤回闘争が労働運動の大きなうねりとならないのは、日本経団連がこのかん進めてきた無権利の非正規労働者を増やし活用する戦略が効を奏していること、また、その非正規労働者を組織化し闘いを支える我われの活動がおおきく立ち遅れているから、と言わざるをえない。
 2008年の労働者の賃金水準は、十年前と比較して7・6%下落している。物価はインフレ状況にあった昨年と打って変わってデフレ状況である。今年の春闘で連合は、ベースアップ要求を断念し、@賃金水準の維持、A底上げ格差是正、B総実労働時間の徹底縮減、C企業内最賃・産別最賃の引き上げ、D制度政策要求の実現などの取り組みを掲げている。そして、非正規労働者を含む全労働者を対象に労働条件の改善に取り組むことを強調している。
 日本経団連は、賃金よりも雇用を重視とし、定期昇給の是非は論議の対象となるとして、定期昇給の凍結に踏み込む姿勢である。
 このように今春闘は、定期昇給をめぐる攻防、賃金カーブをめぐる攻防になってきた。しかし一方には、定期昇給のない非正規労働者が存在し、賃金カーブが保障されないがゆえに、結婚や子育てを断念せざるを得ないワーキング・プア−の状況がある。生きていくために必要な賃金水準の確保ができるのかが問われている。
 連合が、非正規労働者を含んだ闘いと言っても、それは正規労働者が代行する闘いであり、また政府の非正規政策の改善によるものでしかない。非正規労働者の要求実現は、非正規労働者自身の手によるものでなければならない。そのためには、非正規労働者が団結し、自ら闘うことを保障する方針論と制度作りが必要である。
一つには、最低賃金の引き上げである。民主党のマニフェストは、最低賃金の原則を「労働者とその家族を支える生計費」とし、全国最低賃金・時給800円を設定し、全国平均1000円を目指すとしている。現行最賃法の「支払い能力論」を変えなければならないことは当然である。
さらに、現行法の仕組み自体が変革されなければならない。全国最賃は最賃審議会で決めるのではなく国会の議決事項とし、地方最賃も地方議会での議決事項とすることによって、大衆運動と連動した地域の賃金相場を形成するという構想が、連合や民主党にはないのだろうか。どうやって、全労働者のための賃金闘争を行なうのか示してほしいものである。民主党はマニフェストの来年までの実現を目指し最賃対策プロジェクトチームを発足させたが、今春闘を通じ、民主党連立政権に最賃大幅改善の要求を突きつけることが必要だ。
もう一つは、労働者派遣法の抜本改正である。昨年十二月二八日、労働政策審議会・職業安定分科会労働力需給制度部会が今後の労働者派遣制度の在り方について報告書をまとめた。
この労政審報告の答申内容は、一昨年に麻生内閣が国会に提出した労働者派遣法改定案(「20年法案」)に比べれば、登録型派遣や製造業派遣の原則禁止、日雇い派遣(日々または2ヵ月以内の雇用)の禁止、違法派遣の場合における直接雇用の促進、など評価されている面がある一方、常用型派遣の定義が明らかにされていない点、そのうえで常用型の製造業派遣が容認されている点、派遣先の責任が強化されていない点、施行期日が公布の日から3年、暫定措置を含めると5年という点などは、昨年廃案になった野党三党(民主、社民、国民新)改正案と比較しても後退したものになっている。
部会報告は、20年法案に追加・変更する事項について答申したものであり、そもそも(現在の与党)三党案とは相容れない構造になっている。登録型派遣の禁止については、常用型を雇用期間の定めのない雇用と定義しなければ、有期雇用の繰り返しができることになる。これでは常用といっても、必要なときだけ雇用という登録型と本質的に変わらない。
これに関連するが、労政審・雇用保険部会が昨年十二月二八日、雇用保険の適用範囲を現行の「6ヵ月以上の雇用見込み」を「31日以上雇用見込み」に緩和する報告をまとめた。一般雇用保険が適用される労働者を常用労働者と定義すれば、こうした短期の有期雇用労働者も常用労働者となり製造業に派遣できることになる。現に、このかん製造業の「派遣切り」にあった労働者の80%は常用型派遣であり、多くは雇用保険も適用されていた。常用型なら製造業でも可では、二度と派遣切りの悲惨を繰り返さないための対策とはいえない。
違法派遣の場合における直接雇用の促進についても、派遣先が違法であることを知りながら派遣を受け入れている場合に直接雇用の義務が発生するとするものであり、故意であることを証明することは容易なことではない。さらに、直接雇用しても短期の有期雇用にして解雇すれば違法性はないことになる。そのほか、「均等待遇」ではなく「均衡待遇」であることなど、答申の問題点は数多い。
審議会の答申をそのまま法案にするのではなく、現政権・与党三党が政治主導で、派遣法抜本改正案を作れるのかどうかである。
10春闘は、資本の賃金引下げ攻撃と不安定雇用の拡大攻撃に、本当に労働者が団結して闘い、政治を動かす力を発揮できるかが問われている。(K)


大阪でも派遣法抜本改正「共同行動」が
    まともな提出法案を

 大阪市では、昨年末に与党三党案よりも大幅に後退した労政審答申が出されて以降、労働者派遣法問題で急きょ二つの集会が行なわれた。
 一つは、一月十九日にエルおおさかで開かれた「緊急集会・厚生労働省の派遣法答申を斬る!」である。派遣法の抜本改正をめざす共同行動・大阪(準備会)の主催で、2百名近くが参加した。
 発言は、村田浩治さん(松下PDP事件弁護団)が、問題だらけの答申の内容批判を行ない、また鴨桃代さん(全国ユニオン)が派遣法抜本改正に向けた東京での取り組みを報告した。
 もう一つは、一月二九日にエイジングホールで開かれた「緊急大集会・待ったなし派遣法抜本改正!労働者の使い捨てをやめさせよう!」である。これは大阪の11の法律家団体の呼びかけによるもので、約4百名が参加した。
 はじめに大川一夫さん(大阪労働者弁護団代表幹事)が主催挨拶し、脇田滋さん(龍谷大学教員)が「派遣労働は労働者のためにならない!本当に必要な改正と財界からの俗論批判」と題する講演を行なった。つづいて「派遣切り」にあい現在も解雇撤回を闘っている当事者四名から報告を受け、各ユニオンなどから2分間スピーチが次つぎに行なわれた。最後に、「真に実効性のある早期抜本改正を求める」集会アピールを確認した。
 このかん東京では、全国ユニオンなどを中心に「労働者派遣法の抜本改正をめざす共同行動」が機能していたが、大阪では派遣法の闘いでの広範な共同行動が成立していなかった。派遣法改正案が通常国会に提出されんとする局面で、大坂でも「共同行動」が始まったことは重要だ。
 本来、労働法は労働者を保護するための法律であるのに、ここ二十年の規制緩和の中その性格が変化してしまった。派遣法のように労働者保護からかけ離れ、雇用不安・低賃金の労働者を大量に生み出す道具になってしまった。しかし労働規制緩和の流れを阻止し、労働者の権利を立て直す流れが昨年から明確となった。
 ところが、その転換の第一歩が、労政審答申という改正ではなくゴマカシの代物であった。常用派遣規定もあいまいであり、登録型可能の専門業務も見直しをせず、実質製造業派遣を認めている。おまけに施行まで五年とは、抜本改正にはほど遠い内容である。このような代物が提出案となるならば、廃案と言わざるを得ないのではないか。
 抜本改正案、少なくとも与党三党案以上のものが国会に提出されるよう世論を盛り上げよう。(大坂N通信員)
 

 追悼・樋口篤三さん

   時代の大変動みすえた
        行動する提起者

                   

 『労働情報』初代編集人・樋口篤三さんが、二〇〇九年十二月二十六日朝、病気で亡くなられた。享年八十一歳であった。
 昨年の十二月三日、近くの病院で偶然、樋口さんにお会いした。癌に効くということで執筆を兼ねてラジウム温泉に行ったが、体調が悪くなったので来たとのことだった。温泉のパンフレットを持ってきていた。顔色は元気そのものだったのだが、診察の結果、入院ということになったのだろう。十二月十七日夜、「危篤」の知らせがあり急遽駆けつけたが、翌日、持ち直して集中治療室から四人部屋に移ったとの話が伝わり、気力・生命力の強さに驚かされた。最後は御家族に囲まれて、安らかに逝くことが出来たのではないだろうか。
 樋口さんのすごいところは、現実を変革しようとする強烈な意志、広範なネットワークと行動力、大局観であったろう。そしてこの間は、時代の大変動を見据えて、「戦略情報センター」「横断的左翼」「イニシアティブ・グループ」「地域」「社会革命」などの重要性を提起し続けてきた。それらは時代を先取りする面を持っていたと思う。
 ただ悲しいかな、たしかに時代は大きく変動しだしたが、残された寿命との関係では、その大変動がゆっくりしたものだったのではないか。変革への意志が強烈なだけに、そのギャップからくる苦悩は深かったのではないか。推測ではあるが・・・
 私の樋口さんとの付き合いは、実質的には、せいぜいこの10年ほどである。しかし、多くを学び、引き継いだ。それらを、これからの大事な局面で生かすことが、樋口さんへの最良の恩返しであるだろう。ご冥福を祈りたい。(松平直彦)