天皇会見問題  
  すべての当事者が象徴天皇制を政治利用
戦後民主憲法の矛盾が露呈
                                    堀込 純一


 中国の習近平国家副主席の訪日(十二月十四〜十六日日)に際しての天皇との会見を巡って、それが天皇の政治利用か否か―で激しい争論がおこり、物議をかもした。
 外国要人が天皇との会見をするのには、一ヶ月前に申し込むという宮内庁の「一ヶ月ルール」をたてに、多くののマスコミが鳩山政権と小沢民主党幹事長の天皇の政治利用を批判した。 
だが、この問題は、結論的に言うならば、すべての当事者、すなわち鳩山政権、小沢幹事長、羽毛田宮内庁長官、自民党の有力批判者、それに中国側などが、戦後憲法下の象徴天皇制・天皇を政治利用しており、その点ではいずれも五十歩百歩なのである。
 今回、鳩山政権と小沢幹事長は、外交的思惑もあって(十二月十日の小沢幹事長と胡錦濤国家主席の会談で、日中米が正三角形の関係であるべきだと確認されたという。『朝日新聞』十二月十五日付け)、強引に中国国家副主席の天皇会見をセットしたといわれる。また、小沢一郎幹事長の記者会見は、最高権力者の恫喝政治の片鱗を垣間見せたのであった。
これに対して、批判の急先鋒である自民党は、失地回復をはかるために、ここぞとばかりに政府と小沢幹事長を批判した。自民党側は、外交路線の違いを前提にしつつ、“われわれはもっと慎重にやったのであり、民主党は政治主導といいながら、今回はあまりにも露骨だ”と、反発しただけなのである。だが、自民党とてもこれまで天皇と天皇制の政治利用を絶えず行ってきたのであり(後述)、自民党結党以来の悲願である憲法改悪でも、天皇を元首にしたてあげ、象徴天皇制を脱し、天皇制をより一層強化する策謀を画策してきたのである。
 多くのマスコミもまた、宮内庁の「一ヶ月ルール」をたてにとって、天皇の政治利用を批判しているだけであり、戦後憲法の主要原理である民主主義と象徴天皇制との間の矛盾については、一指だに触れていない。
 戦後憲法に天皇制が象徴天皇制という形で残存したのには、当時の国際的な力関係の下での、アメリカの思惑があったのであり、今回の論議も大本をさぐれば、そこに帰着するのである。

〈象徴天皇制の存在自身が政治利用の産物〉

 第二次世界大戦の当時、世界では、連合国に敵対する元凶は、ヒトラー・ムッソリーニ・天皇裕仁(東條英機ではなく天皇裕仁)であると、大方が認識していた。したがって、戦後の連合軍では、特にソ連・オーストラリアから天皇裕仁を戦争犯罪人にすべきだという声が強くあがっていた。アメリカでも、その声は強く、天皇裕仁を戦犯として裁くべきだという合同決議案が連邦議会に提出されていた。
 しかし、GHQ最高司令官マッカーサーは、天皇裕仁を戦犯としないことで、アメリカ政府と一致していた。マッカーサーは、その著『マッカーサー回想記』で、天皇を戦犯として裁くと、「悲劇的な結果を招く」ことになるといっている。それは具体的には、天皇裕仁を絞首刑にした場合、「日本中に軍政をしかねばならなくなり、ゲリラ戦がはじまることは、まず間違いない」のであり、「少なくとも百万の将兵が必要になる」という意味なのであった(アジアの反共防波堤として、日本を敵に追いやることは、アメリカとしては絶対にしてはならなかった)。
 こうした考え方は、戦後民主憲法にも貫かれており、天皇制は廃止されずに象徴天皇制として残されたのである。
戦争放棄の平和主義、主権在民制、基本的人権などの諸原理と、象徴天皇制は思想的に調和せず、矛盾したものである。その矛盾は、戦後憲法の基本原理を現わす「第二章 戦争の放棄」、「第三章 国民の権利及び義務」などの前に、「第一章 天皇」が配置されたことをみるだけでも明らかである。
また、天皇は、単なる象徴ではなく、一定の国事を行なうことが憲法でも明記されている。「第四章 @天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関与する権能を有しない。」といいながら、「国会の指名に基づいて」ではあれ、「内閣総理大臣を任命」したり(第六条@)、「内閣の指名に基づいて」ではあれ、「最高裁判所の長たる裁判官を任命する」(第六条A)任命権を有している。
この任命権について、形式的なものとして軽視されがちだが、逆に言えば、天皇がこれらの任命を拒否したならば、総理大臣も、最高裁長官も実現しないのである。これは、直ちに天皇の身分が危うく事につながるのであるが、逆に、天皇制勢力と天皇が結託すれば、天皇をおしあげたクーデター実現の口実ともなるのである。
また、第七条―「天皇の国事行為」は、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。」として、「憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること」、「国会を召集すること」、「衆議院を解散すること」、「国会議員の総選挙の試行を公示すること」、「国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること」、大赦などを認証すること、「栄典を受与すること」、「批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること」、「外国の大使及び公使を接受すること」、「儀式を行ふこと」の10項目の国事行為をあげている。
ここでも、「内閣の助言と承認」によるとはいえ、国事行為の不可欠の環として、天皇の活動が位置付けられているのである。その意味では、天皇の国事行為なくしては、国政は動かなくなってしまう仕掛けになっているのである。このような重要で不可欠の任務をもつ天皇ならびに天皇制を、「非政治的な象徴」としてみることは、全くの誤解であり、誤りである。
象徴天皇制が「国民統合の象徴」とされるだけでなく、実質的な「元首」的機能をもつがゆえに、絶えず、天皇を政治的に利用しようとする画策がひき起されるのであり、天皇の政治利用問題の根源は、戦後憲法そのものが発しているのである。
奥平康弘東大名誉教授は、「憲法は民主主義を原理原則にしているが、国民の上に象徴天皇制を置いてしまった。その存在自体に矛盾がある。終戦直後、天皇制の在り方について本質的な議論を避けて存続を決めた問題が、現在まで続いている」とし、今回の問題でも、「公的行為をめぐる公平性、中立性の問題ではなく、民主主義に象徴が必要なのか、という本質から考えるべきだ」(『東京新聞』十二月十七日付け)と、提唱している。象徴天皇制を含め天皇制が存在するかぎり、それを政治利用する輩は、跡をたたないからである。

〈公的行為を媒介に象徴天皇制が増長〉

実際、戦後政治の軌跡をたどると、象徴天皇制が戦後憲法の規定さえをも逸脱して、たえず増長していることがみてとれる。
憲法は、天皇の国事行為を限定したのであるが、それが歯止めとならなかったのである。すなわち、天皇にも一般人と同様に、公的行為と私的行為があるが、問題は憲法上認められた公的行為(国事行為)以外にも、公的な行為が派生しているからである。具体的に言えば、行幸、地方巡幸、謁見、皇太子の教育などである。また、その他にも、国会開会式に出席しての挨拶(「お言葉」)やイギリス女王の戴冠式への皇太子の派遣なども、憲法上どう評価すべきかと問題となった。
一九四七年ごろ、時の政府はこのことについて、つぎのような「行政解釈」を定めたといわれる。すなわち、天皇の私的行為から生ずるものでも、「それが国民統合の象徴たる天皇の地位の保持に影響の深いものである場合には、その私的事項が適切に行われるよう国がお世話すべきである」(「憲法運用の実際」―臨時増刊『法律時報』三三巻一四号)と。こうした解釈により、行幸など前記の諸事項は、広義の国家事務として宮内庁職員の手で担われ、その経費は宮廷費によって処理されることとなった。(皇室の経費は税金によって賄われるが、大きく言って、「宮廷費」、「内廷費」、「皇族費」に分けられる。このうち「宮廷費」が公費で、のこりの二つは私費である)
その後、天皇の行為は、国事行為と私的行為とそれ以外の、(国事行為を除く)公的行為の三つに整理された(今回の中国副主席と天皇の会見は、国事行為でなく、公的行為に当たる)。そして、この「公的行為」は、最近では、前述したもの以外にますます拡大している傾向がある。たとえば、全国戦没者追悼式・国体・植樹祭への出席は以前からあるが、昭和天皇が亡くなってからは「皇室外交」なるものが、がぜん、増大している。昭和天皇が、戦後、外国訪問した機会はわずか2件(ヨーロッパとアメリカ)であるが、今の天皇は即位後から2006年の間に、10数件・20数カ国に及んでいる。
また、天皇代替わりの時の大嘗祭(だいじょうさい)では、その宗教的行為がまさに天皇家の私的行為であるにもかかわらず、国事行為さながらの対処が政府によってなされ、この時に内閣法制局は、天皇の私的行為を「その他の行為」に呼び直している。
今回の天皇の政治利用問題で、羽毛田宮内庁長官が「一ヶ月ルール」をたてに傲慢不遜な記者会見を行なっているのは、象徴天皇制のこのような増長を背景としていること言うまでもない。
十二月十一日、羽毛田長官の記者団への経緯説明では、公然と「陛下のなさる国際親善は、政府の外交とは次元を異にする」といって、天皇の独自行動を当たり前としている。専門識者もまた、形式主義的に“内閣の助言と承認が必要なのは、憲法で定められた国事行為のみであり、他の公的行為は内閣に縛られない”と論じ、「天皇の公的行為」を媒介に象徴天皇制の自立化を前提として、「一ヶ月ルール」を容認する傾向が少なからず存在している。
そもそも「一ヶ月ルール」なるものは、宮内庁の内規にしか過ぎないのであり、これを金科玉条とし、天皇の「権威」を後ろ盾として、内閣に噛み付くとは、そもそも筋違いも甚だしい。今回、官邸筋はどうやら「一ヶ月ルール」の存在を知らなかったようであるが、もしそうだとするならば、羽毛田氏をはじめとする宮内庁が政権交代の際に、官房長官などによく説明して了解を取っておくべき自らの任務を怠っていたことになるのである。自らの任務怠慢を棚に上げて、“天皇の威を借る狐”よろしき言動は、増長した象徴天皇制の現段階を如実に示すものである。(堀込純一)