編集部だより

★中国では、もともと「史」とは、天体の運行を計算して、暦をつくる人を指した。それが、やがて歴史的な記録を行なう者を意味するようになった。というのは、暦をつくることは、最も神聖な、文字をつかさどるからである。★史官といえば、有名な逸話がある。『春秋左氏伝』によると、前548年夏5月、斉の重臣・崔杼(さいちょ)が、自らの君主を弑(しい)した。斉の大史は、これを「崔杼、其の君を弑す」と記録した。崔杼はこの大史を殺す。だが、大史の弟が、また同じように記録する。崔杼はまた、これを殺す。すると、その弟がまたも、記録する。崔杼もとうとう、これを許す。★これには、後日談がある。斉国の南方の史官は、大史の家の男が、みな死んだと聞きつけ、記録用の札をもって朝廷へ出仕した。だが、すでに史実は書き定められたというので引き返したというのである。★ことほどさように、当時の斉国では、史実は大事にされ、史官は文字通りそれに命を賭けたのである。これに比すれば、沖縄・核密約がアメリカの公表でバレバレなのに否定し続けた自民党歴代政権の史実歪曲は、正反対である。党利党略で行なった密約を隠し、ウソを続けたのである。★先の侵略戦争を否定する一部の言動もまた同根である。人類の営為を勝手に曲げる行為の軽さは、まさに歴史への冒涜である。(竹中)