〔沖縄からの通信〕


  辺野古への新基地建設と県内移設に反対する
      11・8県民大会に二万一千余名


  
「県外」要求は
     強大化し勝利する



 八月から激動が続いている。沖縄自民党が総選挙で全敗という大敗を喫し、前日本政府・官僚と一体となって沖縄民衆を抑圧してきた一大機構が危機に瀕しつつある。これは、沖縄人にとって巨大な前進である。
 沖縄4区において、元知事を擁する保守王国の名門・西銘一家が、地盤看板も経験もない「チンピラ」瑞慶覧長敏に敗れた。激変のシンボル・チョービンが誕生した。この激変に浮かれるのもダメだが、激変をもたらしたものが何なのか考え、学びとることも必要だ。
 沖縄民衆にとって、「政権交代」と「県外移設」の二つの旗は絶大な威力があった。「本土」の民主党にとっては、「政権交代」は脱官僚依存等々であり、「県外移設」は沖縄の票と反戦平和の票を得ようとした選挙用語であったのかもしれない。しかし沖縄民衆にとっては、この二つの旗が民主党の思惑を越えて相乗効果を発揮し、前政権下の抑圧をはねのけて爆発したのである。
 沖縄では、勝った方がびっくりし、「県外」への期待もふくらんだが、ほどなく新政権の閣僚の言動に冷水を浴びせられた。北沢防衛相は本来、省内大掃除して軍事利権のムダを徹底的に洗い出すことに着手すべきであるのに、辺野古移設の担い手たる防衛省官僚の大部隊に取り巻かれながら九月二五日に来県し、「県外を約束した覚えはない」と言ってのけた。(他方、十月三日来県の前原沖縄北方相は「新たな移設先を検討し、実施する」と明言し、閣内不統一をさらけだした)。
 来日したゲーツ米国防長官が十月二十一日、辺野古移設がダメになると普天間もその他も返らないと脅迫した。それを契機に、岡田外相が豹変し、「現実的選択肢として県外はない」と言い出した。
 鳩山首相が閣内では相対的に公約を重視し、態度保留を続ける中、島袋名護市長、仲井真知事、防衛官僚、自民・公明、米政府らの一大合唱、「早く決めろ!」が響き渡った。が、鳩山首相はオバマ来日まで、それに応えなかった。オバマ政権はゲーツの脅迫を一応ひっこめ、十一月十三日の日米首脳会談では普天間問題は先送りとなった。公約破棄・県内移設での早期決着を求める動きは、11・8県民大会を始めとする闘いによって、取りあえずは阻止されたのである。これは解決の先送りでもあるが、初戦の勝利とも言えるのではないか。
 しかし、いまだに「県内移設」派の基本戦術は「早く決めろ!」である。岡田外相が十一月十六日再び来県し、普天間基地をかかえる伊波宜野湾市長に言った。「普天間の危険性を除去するために早期に決定せねば」と。伊波市長の同意を誘導しようとしたが、逆効果となり、市長は「腰をすえて、ゆっくりと二年でも三年でも、日米合意の見直しに当たってほしい」と答えた。嘉手納基地をかかえる宮城町長の答えも同様であった。
 辺野古YES派は「早く」、辺野古・県内NO派は「ゆっくり」である。ちなみに普天間の危険性除去は、移設先論議とは別に直ぐに措置されることが本筋である。「早く」派は、ゆっくりしている間に、国際情勢の動向、米国の予算編成論議、自民党の衰退、日米合意の妥当性の動揺などによって、「移設」がうやむやになると心配している。地球環境問題の焦点化や、「東アジア共同体」と日米安保の見直しなど日米関係の大枠が問われる事態になってくると、貴重な辺野古海域を埋め立てて基地を作ることなど「八ッ場ダム」化しかねない。
 また沖縄自民党は、「名護市長選や県知事選で、沖縄の人々がどういう結果を出すか見てから」という鳩山首相発言に、腰を抜かしている。「来年まで問題を引っ張られては、我党がもたない」という悲鳴があがっている。「党は県内移設・辺野古案を降ろし、『県外』を打ち出すべき」、「県の方針を『県外』に転換するよう知事に要求すべし」と検討が始まり、ついに十一月二七日、「年内に鳩山内閣の『県内移設』決定がない場合、『県外移設』を主張する」という新方針を発表した。
 沖縄自民党の構造と生態は、東京に政権があってのものである。自民党が政権を失った今、沖縄自民党にとって県内移設を固持することは何の意味もない。
 岡田外相は、「嘉手納統合は1+1=2ではなく、1+1=1である。」「海兵隊グアム移転と普天間をそのまま放置することとどちらがよいか」と言う。彼は沖縄を知らない。沖縄にものを言う場合は、米国しだいでどうにでもなることを約束せず、日本政府の権限で取りうることを約束しなければならない。基地は米軍のもので日本政府のものではない。軍事上の自由使用権が米国側にある。グアムに移転した数を上回って舞い戻ることもあれば、嘉手納が1+1=3になることもある。これに比べ、「県内・国内は認めない」は、施設提供者としての日本政府が自力で取りうることである。
 岡田をはじめ鳩山政権の閣僚たちが、せわしく仲井真知事と会っているが、何のつもりか。仲井真知事は何年も、防衛省のスピーカーとなって県民を宣撫工作し、だまくらかす発言を続けてきたが、その度ごとに沖縄自民党は支持を失ってきた。「知事一人のために、沖縄自民党が野垂れ死にしてよいのか」という憤まんが非公式には流れていた。仲井真は、県議会多数派を失い、県政与党が衆院で全滅し、東京の政権も失った今は、正真正銘の「裸の王様」となった。岡田や北沢は、なぜこのような知事と会うのか。仲井真にとっては助け舟である。
 11・8県民大会は、宜野湾海浜公園野外劇場に当然入りきれず、あたり一帯に二万一千名(この実行委員会発表は控えめな数字)以上が参加し、鳩山・オバマ会談を前にして、新基地NO!と「県内移設反対」の県民意思を強くアピールした。(決議は下記)
 ところが、その壇上に下地幹郎(衆院議員・日本新党)がいる。この大会は、同氏が主張する「嘉手納統合案」を拒絶している。彼がそこにいることは許されない、下地氏の演壇に大きなブーイングが起こった。
 「うるの会」(沖縄選出国会議員の会)は、このブーイングの形をとった県民の提案を論議しなければならない。「うるの会」は嘉手納統合案=県内移設を容認するのか、幹事の席を彼に与えたままなのか。
「うるの会」で中央官僚とのパイプを持っているのは下地氏だけであり、また彼は米政府官僚ともパイプを持つ。かって名護の市民投票や市長選の頃、我われ辺野古反対派は、自民党の巨大宣伝カーの上から下地氏の罵声を浴びせられた。彼は根っからの県内移設派であり、ベストを「嘉手納」とし次善を「辺野古」とする。普天間移設の利権は、その担い手が自民党であれ他党であれ、それを求めてうごめく者たちに通底している。「グアム」になってもしかりだ。現在の仲井真、島袋、その他の動きの中には、目に見えない利権がうごめいている。立場上「県外」とは言えない、等のきれいごとではない。
 死に体たる仲井真を最初に助け出したのは、沖縄民主党である。「知事は『ベストは県外』と言っている、我われと一緒にこれを実行してほしい」と民主党は言う。しかし、稲嶺知事の時代からこの十四年間、「ベストは県外だが」というフレーズは何千回も使われ続けてきた。それは「県内移設」のための接頭語であり、「県外は不可能」「ベストというものは無い」と同義語なのである。また同時に稲嶺、仲井真らの免罪の方便として使われてきたものである。沖縄人が同じ沖縄人に対して、してはならないことをしているという罪の意識があるから、どうしても口に付いてくる言葉なのである。知事である仲井真は、防衛省を背後にして、直接的に県民に接して「辺野古移設」を強要する者であるという自明の真理を、沖縄民主党は確認しなければならない。そうしなければ、一切の政治的闘いは組み立てられない。
 仲井真知事はこのかん、「県内移設」を米国で言わないという約束(08・7・18県議会決議による縛り)の下、再三渡米している。が、「辺野古移設」のために誕生した者が、それ以外の用事で訪米するはずもない。一度目の訪米に対して、県議会多数派は予算措置を許さず阻止した。しかし二度目、三度目は阻止しなかった。これはどういうことか。
 とくに十一月四日の訪米は犯罪的である。この訪米は、「鳩山政権は早く回答を出すべきだ」と言いつつ、訪日直前のオバマ大統領に対して「辺野古移設以外の日米合意はありえない」と、沖縄現地の知事が進言するという性質のものであるからだ。昨年、県議会が「県内」反対に塗り変えられ、今年、与党衆院議員が全滅し、バックの沖縄自民党さえ「県外」へ政策転換しつつあるときに、この訪米は恥知らずであった。沖縄を代表する知事であるなどとは、今や対外的にも通用しない。
 このような知事に訪米の予算を認めたのは、県議会にも非があるというべきだ。県議会や市町村議会には、仲井真と同行して七日米国で「辺野古以外はありえない」と講演した松沢神奈川県知事を弾劾する向きがあるが、これは筋違いである。松沢知事が、日米合意の破綻で厚木の艦載機移転が進まないことを恐れてそう言ったことは批判されるべきであるが、この訪米で彼は付録であり、メインの「沖縄現地の知事」の言動にこそ、弾劾の矛先を向けなければ無意味である。
 なにゆえ知事訪米の問題をくどくど言うのか。県政手続きで適正かどうかを問うているのではない。仲井真の知事権威を、徹底的に消滅させるためである。今後の局面によっては、知事の持つ「埋め立て認可権」を奪わなければならないことに行きつく。狭義には知事選の勝利という課題であるが、辺野古埋め立て「認可」をとうてい行なえない状況の確保ということでもある。
今のところ我われの闘いは、鳩山政権の拙速な判断を阻止し、その「県外」の公約を再確認せざるを得なくするための中長期戦である。
その間にある名護市長選、さらに知事選に勝たねばならない。政権交代を実現させ、「県外移設」派はますます強大になっている。まず、この旗を堅持すれば心配はない。鳩山政権が早期に公約を裏切ったとしても、名護市長選で「県外」派が勝てば、いかなる政権でも頭ごなしに辺野古を強行することはできない。知事の座を奪えばなおさらである。
 名護市では十一月六日、稲嶺進予定候補が「新基地はいらない信念を最後まで貫くことを市民の皆さまに約束する」との声明を発した。稲嶺氏は「海上案」を容認していた岸本前市長派の人であるが、「県外」派の強大化とともに、それに歩調を合わせたと言える。七日に社民党が推薦、十八日に共産党系がその予定候補を降ろして稲嶺氏に一本化し、統一候補で戦える形となった。
 仮に、市長選勝利後に市長が裏切ったらどうするか。リコールを準備せねばならないが、リコールを前にすれば裏切りは困難となるだろう。仲井真が知事に留まっている間に鳩山政権が裏切った場合は、仲井真を立ち往生させ、「埋め立て認可権」を沖縄県民が奪う闘いとなるだろう。
 いずれにせよ、鳩山政権の判断が遅れ、「ゆっくり」事態がすすむほど県内移設の条件は無くなっていく。勝利の展望は見えている。確信をもって闘争方向を検討しよう。
                                               (T)


 辺野古への新基地建設と県内移設に
      反対する決議


 わたしたちは、辺野古への新基地建設と県内移設に反対するために、県民大会を開催し、老いも若きも世代を超えて結集した。
 沖縄県は、先の大戦で地上戦の戦場とされ、戦後は米軍の銃剣とブルドーザーによって、豊かな県土が奪われ、米軍の占領下に置かれた。復帰後37年が経過したが、今なお、国土面積の0・6%にすぎない小さな島に全国の米軍専用施設の約75%が集中している。米軍基地は県土の10・2%、本島の18・4%を占め、米軍犯罪や墜落事故などによって県民生活が脅かされ、経済発展に大きな影響を与えている。
 米軍基地の整理・縮小・撤去は県民の願いだ。1995年には、10・21県民大会を開催し、県民の意思を内外に発信した。97年12月の名護市民投票でも、新基地建設に反対する市民意思が明確に示された。昨年7月には、県議会で辺野古への新基地建設反対が決議された。各種の世論調査でも、県民の圧倒的多数が新基地建設反対だ。普天間飛行場の辺野古への移設、新基地建設を米軍再編で合意し、それを強行してきた旧政権から、民主党中心の新政権に代わった今、あらためて、県民の新基地建設ノーの意思を明確に伝える。
 辺野古海域は、沖縄県が自然環境保全に関する指針で評価ランクTに指定している県民の宝の海だ。国の天然記念物であるジュゴンをはじめ希少生物をはぐくみ、新たなアオサンゴの群落が発見されるなど、世界にも類を見ない生物多様性の豊かな海域である。この間強行されてきた環境アセスに対する、県環境影響評価審査会の答申も実質「書き直し」を提起した。辺野古への新基地建設は、貴重な自然環境を守る上でも許せるものではない。
 ところが、10月に来日したゲーツ米国防長官は、鳩山由紀夫首相、北沢俊美防衛相と相次いで会談し、どう喝とも思えるやり方で、辺野古への新基地建設を迫っている。11月13日のオバマ大統領との日米会談に向けて、新政権は米側の圧力に屈せず、対等な日米交渉で、県民の声を堂々と主張すべきだ。
 沖縄県民は、全国の温かい支援にも支えられながら、この13年間、辺野古への新基地建設のくい1本打たせなかった。世界一危険な普天間基地は1日も早く閉鎖し返還すべきだ。138万県民が、安心して暮せる平和で安全な沖縄にするため、声を大にして主張する。小さな島・沖縄にこれ以上の基地は要らない。辺野古への新基地建設と県内移設に反対する。
 以上決議する。
大会スローガン
@ 日米両政府も認めた「世界で最も危険な普天間基地」の即時閉鎖・返還を求める
A 返還後の跡地利用を促進するため、国の責任で環境浄化、経済対策などを求める
B 返還に伴う地権者補償、基地従業員の雇用確保を国の責任で行うよう求める
C 日米地位協定の改定を求める

   2009年11月8日
       辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会



    バラク・オバマ米大統領へ
     沖縄からの声

 オバマ大統領へ沖縄からの声を届けたく、この書を記しています。
 わたしたちは、オバマ大統領の訪日の機会に、米海兵隊の沖縄からの全面撤退を検討するよう求めます。沖縄の人々は、一貫して、危険な普天間基地の沖縄県内での移設を中心とする米軍再編計画に反対し、無条件で普天間基地の閉鎖ないし返還を求め続けてきています。もともと米海兵隊は、1950年代半ばに日本本土から沖縄へ移駐してきたものです。この問題の根本的な解決は、米海兵隊の沖縄からの全面撤退しかありません。
 第一に、2005年と2006年に合意された日米合意は、沖縄の人々への説明を一切行っておらず、理解を得ていません。沖縄の民意は、普天間基地の県外ないし国外への移設を要求しています。
 第二に、この日米合意による普天間基地の移設先として埋め立てられる名護市にあるキャンプ・シュワブ水域は、多様で希少性の高い生物が生きる空間なのです。つまり、地球環境を守る上で死滅させてはならない海なのです。
 第三に、日米両政府は、1996年4月、沖縄県内に代替施設を建設することを条件として普天間基地の返還に合意しましたが、その代替飛行場の建設は、今なお実現しておりません。14年近い時間が経過してもその移設が実現していないという事実は、誰もが認める過剰な負担にあえいでいる沖縄の地には新たな基地を受け入れる余地がないことを物語っています。
 第四に、普天間基地を代替する飛行場建設の場所を沖縄県内に探し出せる可能性がない以上、地上部隊とわせて航空部隊を、沖縄県外ないし国外へ移設するのが最適な解決なのです。これまで普天間基地の返還を検討する際に、米海兵隊の地上部隊や支援部隊が沖縄に存続することを前提としてきました。今こそ、その前提を見直すときなのです。
 私たちが要求する米海兵隊の沖縄からの全面撤退は、地上と航空の部隊を一体として作戦行動をとるという米海兵隊の論理に従っても、妥当な選択ではないでしょうか。そうすることにより、一部の部隊を沖縄に残し、他の部隊をグアムやハワイに配置する非合理性を排除できます。これは、同時に、地球にとって貴重な海を残し、沖縄の要望を満たすことができる選択なのです。
 普天間基地の移設問題について早期に終止符を打つために、日米両政府は沖縄からの米海兵隊の全面的な撤退の検討へ移るべきです。より良い日米関係へと進化するために、チェンジに向かう挑戦が必要なのです。これまでの前提から自由となる発想こそ、日米両政府が学ぶべき沖縄での教訓なのです。
 2009年11月9日
 東江平之(琉球大学名誉教授)、新川明(ジャーナリスト)、新崎盛暉(沖縄大学名誉教授)、石原昌家(沖縄国際大学教授)、大城立裕(作家)、我部政明(琉球大学教授)、佐藤学(沖縄国際大学教授)、桜井国俊(沖縄大学学長)、島袋純(琉球大学教授)、高里鈴代(元那覇市議会副議長)、高良鉄美(琉球大学教授)、照屋寛之(沖縄国際大学教授)、仲地博(沖縄大学教授)、星野英一(琉球大学教授)、三木健(ジャーナリスト)、宮里昭也(ジャーナリスト)、宮里政玄(沖縄対外問題研究会代表)、由井晶子(ジャーナリスト)