10・12戦争あかん!基地いらん!関西の集い
沖縄にもグアムにも海兵隊基地はいらない

 十月十二日、「沖縄にもグアムにも海兵隊基地はいらない10・12戦争あかん!基地いらん!09関西のつどい」が大阪市の大阪城野外音楽堂にて開催された。しないさせない戦争協力関西ネットなどの市民・労働者が、イラク反戦等でこのかん共闘を積み上げてきた大阪平和人権センターの協賛を得て、同実行委員会を形成し、約1200名の結集であった。
 集会では、実行委を代表して中北龍太郎氏が発言、「政権交代以降、さしせまった課題である辺野古新基地建設問題で、民主党の態度はぐらつきをみせている。我われの運動の力で後押しを強め、基地はいらないの世論を打ち固めよう」と訴え、真の政策転換の実現を強調した。
 続いて、沖縄からの報告として高里鈴代さん(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表)が発言。「一九四四年のじゅう・じゅう空襲(10・10那覇空襲)から沖縄の長い苦難の歴史が始まった。過日、辺野古ではテント小屋座り込みが八年、2000日という記念すべき日が来て、さらに新たな気持ちで新基地阻止の運動を作っていくという現況にある。」「06年日米合意ロードマップが出され、普天間に代わる辺野古沿岸案、それと一体の在沖海兵隊のグアム移転案が明らかとなった。当時の額賀防衛庁長官はこれを、『沖縄の負担軽減は県民の悲願』と言いくるめた。09年の二月、ヒラリー国務長官が来日して『グアム移転協定』を締結、グアム移転費用の七千億円は日本の負担、辺野古に新基地を2014年までに完成させることを強要した。こうした状況の中で、新政権に厳しくチェック機能を持って対処していける運動が大事だ」と述べた。
 そして、グアムからのゲストとして、一九九一年の結成以来、米本国から島民の権利を取り戻すために活動を続けている運動体「チャモロ・ネーション」のビクトリア・レオン・グレロさんが講演した。「チャモロ」とはグアム先住民族チャモロ族のことで、かれらは一九四一年には日帝軍隊に侵略・略奪され、婦女はレイプされた。戦後も、グアムを自国領とした米国は、その責任の所在を一貫してあいまいにして戦後補償をしていない。
 ビクトリアさんは、「グアムにおける米軍基地の強化は、チャモロ民族の自決の権利、文化遺産、土地、言語等に壊滅的な打撃を与えてきた。また、新たな今回の基地の拡大に伴なう人口の増加(兵士・家族・基地関連労働者等により34%の増)により、私たちの民族的権利は完全に奪われてしまう可能性が高い。沖縄や日本の反基地の人々と共に闘っていく」と述べ、グアム移転反対の連帯を強く求めている。
 沖縄の負担軽減ならば、グアム移転でもよいのか。被抑圧民族・人民の自決的権利を認めない運動の行く末は、排外主義の潮流に合流する必然性をもつだろう。それは、このかん日本で「在特会」なる排外主義者が跳梁しているが、かれらのおぞましい言辞に露呈する帝国主義本国の潜在意識につながる道である。グアムと沖縄は、反基地の闘いの中で階級的兄弟になる必要があるだろう。「本土」の我われもこの点を考慮して、基地はどこにも一切いらないという点を基調にして団結していかねばならない、と感を深くした。
 集会は続いて、八月総選挙で見事当選、沖縄と「本土」を結ぶ運動に国会で貢献している服部良一氏が発言し、「この集会は重要な時期に開催されている。十一月八日には沖縄で反基地の県民大会が予定されている。沖縄の県議会決議や大会決議をもっての、沖縄からの要請行動も行なわれる。日米再編合意を変えていくのは今だ!」と檄を飛ばした。
 富永猛氏(大阪平和人権センター事務局長)も連帯あいさつし、「政権交代を機に、反基地・生活防衛の闘いの強化を」と訴えた。
 集会後は、大阪城から京橋までのデモ。全日建連帯、全港湾、釜日労など労働者部隊と近畿一円の市民団体とがスクラムを組み、「沖縄・本土・グアムから基地をなくそう!」と声を強めて行進した。(関西I通信員)


外国人排斥を許さない10・10関西緊急行動
  「反民主党」に純化する排外主義者

 十月十日、大阪市浪速区の愛染公園にて、「外国人排斥を許さない10・10関西緊急行動」が同実行委員会の主催で開催された。これは、「在日特権を許さない会」が各地での「外国人参政権断固反対!全国リレーデモ」なるものの集約として、同日、大阪御堂筋で排外主義デモを行なうことを許さず、抗議する緊急行動である。
この緊急行動の最初の実行委員会が開かれたのは十月三日であり、時間的にほとんど余裕のないなかでの取り組みであったが、305名の個人・団体の賛同の下、当日は約200名の仲間が結集した。今春以降、排外主義者「在特会」が各地でその行動をエスカレートさせたが、それへの対応が後手に回ってしまったという運動側の危機感をもって、実行委員会は運営されたのである。
当日、仲間たちは正午から公園での集会の後、日本橋から灘波までデモ行進し、その後御堂筋の三ヵ所ほどで在特会のデモに対して待機する。機動隊に守られて、「朝鮮人は日本から出ていけ」など聞くに耐えない暴言を公然と叫ぶ在特会の排外デモがやってくると、沿道から包囲・糾弾し、圧倒する抗議行動を展開した。
在特会は、四月の埼玉県蕨市でのフィリピン女子中学生の自宅・学校への脅迫デモに続き、五月の名古屋、六月の京都、七月の大阪・鶴橋、福岡と排外デモを行ない、また「主権回復を目指す会」など他の極右とともに、各地で軍隊「慰安婦」問題の集会やその地方議会決議への妨害活動などを行なっている。八月一日には東京・三鷹市で、中学生向けの軍隊「慰安婦」パネル展を三百人で妨害し、8・15の都心では市民団体による反「靖国」デモに対して五百人の「対抗」行動ぶつけ、襲撃により市民に負傷者も出た。九月二七日の東京での排外デモでは、「外国人排斥反対」のプラカードを掲げた仲間に集団リンチを行なう事態に至っている。
かれらは、九月の民主党連立政権の成立以降は何を言っているか。今回の全国リレー排外デモを通じて、「左翼民主党政権」との対決を基本に据え、民主党マニフェストが掲げる政策、とりわけ在日外国人の地方参政権付与・人権擁護法案の粉砕を叫んでいる。民主党の「東アジア共同体」や「沖縄ビジョン」は、戦争責任の清算が問われてくる課題であるが、在特会らはそこに危機感を抱き、民主党政策にすべて反対する政治勢力として純化し始めているのである。
かれらは今回の大阪デモの総括の文言で、民主党それ自体が「極めて危険な反日政党」であると規定し、「反日売国を続ける民主党政権と本気で闘うことができるのか」と問い、「全国リレーデモ」を「自分は何をすべきなのか」、「日本の未来のために闘う勇気を持つことを促すためのデモなのです」と締めくくっている。
在特会の結成は、小泉「改革」時代の〇四年であるが、かれらネット右翼は当初、インターネットを媒体としたバーチャルな世界からリアルな現実世界に立ったとき、自分らの存在がこの現実社会でいかなる意味を持ってくるのか、自分自身で分からなかったと言えるだろう。かれらの主張は、政権を追われた自民党のその本音の部分と基本的に同じなのだが、そんな目新しさのない稚拙な主張によっても若い層の動員が一定図れているのは何故なのだろうか。このかんの新自由主義による格差拡大など、若者が将来に展望をもてない状況、その社会不安が背景にあることは否定できない。ネット右翼の台頭は、社会や政治への不満を排外主義の方向へ刈り取るものである。
そして現在、ネット右翼は現実世界で、新たな居場所を見い出した。今後かれらは、「在日外国人の特権」を攻撃するだけでなく、極右の立場からの「反民主党」勢力として、失業者・野宿者・社会的弱者を保護する政策に反対する役割を買って出ることになるだろう。
排外主義、社会的排除主義との対決に和解はない。かれらの行動には即座に何度でも抗議行動を組織するとともに、社会的な抗議の包囲を広範に作っていくことも問われている。行動と世論によってかれらを徹底的に孤立させ、完全に粉砕しなければならない。(関西M通信員)


10・18京都
  反戦・反貧困・反差別共同行動に800名
   力量強化し政権対処を

 十月十八日、京都・円山公園野外音楽堂で、「09このままでええの?!日本と世界 反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」が行なわれた。
 この反戦反貧困反差別共同行動(きょうと)実行委員会の主催の、三年連続しての闘争には、京都、大阪を始め全関西から約800名が結集した。年に一度、各戦線の仲間たちがその闘いを交流し、確認する定例集会になった観がある。
 集会ではまず、主催者として代表世話人の仲尾宏氏があいさつし、この集会が三年連続して闘い取られている意義を述べつつ、新自由主義の破綻と自民党政権の崩壊、鳩山連立政権の登場という今日の時代だからこそ、反戦・反貧困・反差別の大衆的広がりを作っていくことが問われていると呼びかけた。
 つづいて、岡真理さん(京都大学教員)が「パレスチナは今」として特別報告を行ない、今年初頭のイスラエル軍の激しい攻撃以降、今もガザ地区は厳重な封鎖下におかれ、きわめて苦しい生活を強いられていること、ただちに封鎖解除をと報告した。
 講演では、山口大学教員の纐纈(こうけつ)厚氏が「このままでええの?日米安保」と題して、米軍のイラク・アフガン対テロ戦での日米安保の問題点を指摘し、今日問われているのは日米軍事一体化であり、沖縄米軍基地の移転・再編が岩国やあいば野での基地強化・共同演習と密接に結びついていることが語られた。
 さらに、沖縄から駆けつけた読谷村議の知花昌一氏が、沖縄基地再編の現状と直近の闘いを報告し、普天間移設問題が十一月のオバマ来日までに現行合意で「政治決着」されるとすれば、それは沖縄県民の意思を無視するもので許されないことを強調した。つまり今回の総選挙で、県内移設・辺野古新基地建設を認め、利益誘導で臨んだ候補者は一人も当選させなかったこと、これが沖縄県民の意思である。
 以上のメイン報告の後、国会報告として、社民党近畿比例から今回初当選を果たした服部良一氏が発言し、「連立政権を発足させるにあたっての民主党・国民新党との政策協議で、米軍再編計画について自公政権時の合意を再度協議し直すことになった。新政権にこの確認を守らせるには、今こそ力強く大衆的な反基地の闘いが必要だ」と運動側に要請した。
 続いて各戦線からの連帯アピールが行なわれた。各団体の発言の中には、六十名で参加した釜ヶ崎日雇労組の発言もあった。釜日労の仲間は、今春よりの「仕事よこせ」の連続闘争とともに、釜地区外でも、このかんの反戦・反基地や「在特会」への抗議など全力で決起してきたことを報告していた。
 最後に集会宣言を確認した後、四条通から河原町通りをデモ行進し、来秋、また京都に集うことを確認して終了した。
 この日の行動を通じて、いくつかの課題を確認できるだろう。民主党は総選挙マニフェストで「緊密で対等な日米関係をつくる」と主張し、そして「主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす」と述べている。この公約が具体的にはどうなるのか今のところ不明であり、沖縄基地問題でも米国の圧力を受け、政権発言は二転三転している。
 だからこそ我々は闘争陣形を強め、力量を蓄積せねばならない。不断にぶれる新政権に対し、賛美したり、逆に空論的に打倒を叫んだりするのではなく、政権交代を実現した民衆の変革を求める気運に沿って、新しい闘いの質が求められている。それは新自由主義下の社会システムに取って代わる、新しい社会の仕組みを作る意識性が問われているということでもある。(関西S通信員)


10・22東京
  普天間基地の即時閉鎖と辺野古新基地建設の断念を求める緊急集会
  公約守って断固たる対米対処を


      (ファイル不調につき後日掲載)




10・18三里塚
  空港強行40年の自民党農業政策・空港行政が破綻
  失政認めさせ大転換を

 十月十八日、「10・22平行滑走路供用をやめろ!東峰住民の追い出しをやめろ!一坪共有地を堅持しよう!10・18三里塚・東峰現地行動」が三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会の主催で行なわれ、約100名が結集、東峰共同出荷場での決起集会と開拓道路までのデモを貫徹した。
 成田空港株式会社による一坪共有地強奪の提訴(九月十八日・千葉地裁提訴、被告は共有者69名)、他方での前原国交相の羽田ハブ空港化発言等の緊迫する情勢の中で、今回の現地行動は、新たな闘いの胎動を直感しながら三里塚闘争の原点に帰って、改めて闘いの決意を固めた行動となった。
 集会は、湯村さん(東水労青年女性部)の司会で始まり、冒頭、高見圭司さんより先日逝去された大原隆さんへの追悼の辞が粛々と述べられ、全員で黙祷を行なった。ついで東峰住民の発言として、石井紀子さんのメッセージが紹介され、またラッキョウ工場の平野靖識さんが、このかんの国・空港会社の攻撃は「円卓会議」での約束を破棄するものであり、この十年の検証を徹底して行ない、一坪強奪と10・22供用を阻止しようと訴えた。さらに関西三里塚連帯する会の渡邉充春さんから、「方針を鮮明にして闘おう。反空港の全国の共闘を打ち固め、政府の空港行政の破産をばくろして闘おう」とのメッセージによるアピールがあった。
 さらに続いて、清井礼司弁護人の方から、「問題は二つに絞られる。空港建設強行以来四十年の、政府の農業政策と空港運輸政策の破産である。原点に帰って闘う必要あり」と発言があり、また一坪強奪裁判について、「法律的問題は、『空港会社が何か言って来ても、放っておけば良い』では絶対ダメであり、かならず私の方に委任状を送るように」との強い要請があった。
 前段集会の最後に、主催者「連絡会」の現闘・山崎宏さんより基調的な報告を受けた後、デモ行進に出発した。「旗を降ろせ」などという成田署・機動隊・公安刑事たちの不当弾圧をけって、開拓道路往復のデモとシュプレヒコールで闘い抜いた。
 小休止の後、再び出荷場で集約集会を持ち、加瀬勉さん(反対同盟大地共有委員会U代表)の発言を受けた。加瀬さんは、三里塚闘争四十年の歴史を概括しながら、「現状は自民党の戦後政治の総破産を示しているが、これに対し、闘いの陣形からは共産党が脱落、社会党も消滅という経過である。いっぽう民主党の政権が成立したが、これまでを継続するのかどうか動揺し無方針である。今こそ原点に帰って闘う時である。これまでの空港行政、農業政策を大転換させる闘いが必要だ」と力強く決意表明した。
 10・18東峰現地行動は、「政権交代」後の初の現地行動であったが、各参加者が、このように自民党支配と三里塚四十年の政治からの大転換を意識し、闘争方向と決意を固める場として成功裏に終了したのである。
また十月三十一日には、「上坂喜美さんをしのぶ三里塚の集い」が木の根ペンションにて、関西からの十五名を含め約四十名の参加で行なわれた。関西三里塚闘争に連帯する会代表であった上坂喜美さんは、〇七年に亡くなられたが、今回の三里塚での散骨式に伴なって集いが開かれ、新たな情勢で上坂さんを偲び、闘いの決意を新たにする場となった。
翌十一月一日には、木の根ペンションや横堀団結小屋の地において、上坂さんを三里塚現地に戻すこと、散骨が行なわれた。
上坂さんを始め、三里塚とともに生死を送った多くの人々を思いつつ、三里塚闘争の新たな段階を闘い抜こう。(東京Y通信員)