第38回釜ケ崎夏祭りが大成功
    非正規労働者サポートセンターも研修合宿

特撮・シェルーターつぶしを許さず、反失業闘争へ
8月12日から15日、第38回釜ケ崎夏祭りが盛大に行なわれた。
12日の前日祭からおおいに盛り上がり、大盛況のうちに終わった。
 今年の特徴は、越冬闘争以来、新たな若い仲間が実行委員会に早くから参加し多様な夏祭りに、汗水ながしての夏祭りになったことだ。そしてステージの前は労働者があふれ、最近にない盛り上がりを見せた。
 夏祭りの目玉のステージには、地元のヒーロー赤井英和さんが特別出演し、炊き出しなど、いろいろなボランティアで釜ケ崎を訪れるシンゴ☆西成、新谷のり子さん、越冬闘争では必ずカンパ物資を携えてくる曽野恵子さん等々、新たな、そして恒例の皆さんが出演、大いに盛り上がった。15日最大時には三角公園は立錐の余地がないほどだった。恒例ののど自慢とすいかわり、綱引き・すもう大会も盛り上がった。
 また、祭りの楽しみのーつでもある夜店では、「懐具合がさみしくてもみんなが楽しめる夏祭りを」という趣旨が実行委員会で申し合わされ、どの店も知恵を出し合ってそれを実現し、無料のお茶、牛乳サービスやおたのしみ券やじやんけんゲームによる無料カレー、無料おにぎり、アルミ20缶でチューハイとチヂミ券との交換など工夫がされ、労働者もおおいに楽しんだ。夏祭り明けの釜日労機関紙『釜ケ崎解放』は次のように伝えている。
 「かつてはごろつきどもとの攻防でようや<闘い取って開催した夏祭りも、今では子供も日雇い以外の地域の人々も集える平和な地域の夏祭りへと発展してきた。
 恒例の浴衣をまとったミスターお姉さん軍団もやってきて、みんなで厳しい不況下での生活を一時忘れて、楽しく盆踊りを踊り、明日からの元気を養った。
 こうして出来たなかまの団結をこの秋からは、反戦・反失業の闘いに結びつけていこう!
 なかまたちの味方のふりをしながら、己の利益のために、分断を持ち込もうとするヤカラに負けず、団結を固めよう。
 団結こそが労働者の唯一の武器である。安心して働き、生活できる釜ケ崎       のために!会場カンパありがとう。総予算 約60万円のうち、1 45、968円集まりました」
釜ケ崎の夏祭りでの「釜ケ崎講座」による夏祭りツアーも成功裏に終えた(別稿報告)。
今年の特徴は更に、東京から「非正規労働者サポートセンター」の方々の釜ケ崎研修合宿が行なわれたことだ。釜ケ崎講座の仲間は、ツアー以外にも様々な仲間の釜ケ崎への見学、体験を手助けしてきた。今年は、東京でこの間の非正規労働者へのサポートを課題に立ち上がったばかりの同センターが「非正規の原点」ともいえる釜ケ崎を、そしてサポートの多様な展開を釜ケ崎の見学を通して研修したいとのことに応えたのであった。
同センターは、講座や釜日労の協力により、14日釜ケ崎の多くの施設や事業の現場を見学、翌日には釜ケ崎の反失業闘争の歴史やNPOの事業の学習を行ない、更に講座ツアーにも参加した。受け入れ側としては、今後も多くの闘う仲間だちとの実際の現場での交流を深めて行く必要を感じさせた。(関西S通信員)


釜講座「釜ツアー」も盛況
  市民と釜ヶ崎を結んで

 「釜ヶ崎講座」は八月十五日、今年も第38回釜ヶ崎夏祭りに合わせ、恒例となった「釜ツアー」を挙行した。
 今夏もその案内人を、何十年と住みながら内から「釜」を見てきた水野阿修羅氏にお願いし、これも恒例になった三角公園櫓下から出発した。
 今回は釜夏祭り等のネットを見て来られたのか、初顔の参加者が多く、総勢三十数名のツアーとなった。今夏は八月に入ってもうっとおしい空が続いたが、ようやく夏祭り本番に向けて、釜の労働者大衆の心意気を感じとったような夏本来の青空へと変わった。
 前日から来釜し、釜日労等との交流を精力的にこなした東京の「非正規労働者サポートセンター」の仲間たちも、釜ツアーに合流した。
 ツアー一行は阪堺線のガードをくぐり、市更生相談所、「あいりん小学校」跡、刑場跡、マッチ工場の歴史、山王地区と訪ね歩き、最下層の民衆の生活の変遷とその中での葛藤を感じ取っていった。
 水野氏の話は「小説家・織田作之介」を引き合いに出すなど、史実・文化など多方面からの話に富み、いつも関心させられる。ツアー参加者から、「水野氏の話は一冊の本になる」と感想が出ていたことでも分かる。
 さらに一行はNPO釜ヶ崎支援機構、特掃事務所、シェルター(臨時緊急夜間避難所)、あいりん総合センターと巡り、二時間たらずのツアーではあったが参加者一同、釜ヶ崎の認識を今一層深めることができた。
 さて、今日の状況だが、新自由主義路線をひた走り暴走した権力者たちは、その諸結果を全面的に労働者民衆に責任転嫁しているといっても言いすぎではない。「派遣切り・非正規切り」攻撃のさ中で「釜ヶ崎の全国化が始まった」と誰からも自然と口にされ、昨今では若年労働者も少なからず三角公園の炊き出しに並ぶ光景も散見される。
 こうした状況にあって、釜ヶ崎反失業連絡会やNPO釜ヶ崎など多くの組織が連携して、あらたな仕事・生活づくりに日々精力的に取り組んでいる。第38回夏祭りも団結の力で執り行われ、例年以上に成功した。
 釜ツアーを終え三角公園に戻ってみると、大歓声と威勢のいい掛け声の中、「すもう大会」が大人も子どもも一緒になって始まっていた。行司をつとめる夏祭り実行委員も真剣な眼差しで勝敗の軍配を仕切る。かれらの真剣かつ喜々とした表情の中に、今後の釜ヶ崎の進む方向が見え隠れしている感がする。
 釜ヶ崎講座はまた新たな気持ちで、今ツアーに参加してもらった人々の意見を聞きながら、「市民と釜ヶ崎を結ぶ」講座として立ち働いていく決意である。(釜ヶ崎講座K)


三里塚一坪共有地に仮処分決定
   明け渡し攻撃はねのけよう!

8月初旬、成田国際空港株式会社による、共有地の金銭での明け渡し攻撃が始まった。「三里塚大地共有委員会(U)」は、代表加瀬勉さんと委員会(U)が直ちに声明を発表し、裁判闘争の準備に入った。
去る7月19日には東京で、一坪共有地の堅持のための意志を確認する集会を持ったところである。
今回の攻撃の対象には当維持会の共有地は含まれなかったが、全力で跳ね返していく覚悟である。10月18日には現地東峰で暫定滑走路北伸供用に対しての抗議行動が取り組まれる。集会に参加しよう。
以下に、大地共有委員会(U)の声明を紹介する。(関西東峰団結小屋維持会 渡邉)

●空港会社の土地強奪を打ち破ろう。裁判闘争に勝利しよう!

三里塚芝山連合空港反対同盟大地共有委員会(||) 2009年8月10日

 8月初旬、一坪共有者に対して千葉地方裁判所から突然「仮処分決定書」が送付されてきました。その内容は、「当事者間の仮処分命令申立事件について当裁判所は債権者の申立を相当と認め、債権者に別紙担保目録記載の担保を立てさせて、次ぎのとおり決定する」「主文 債務者らは、別件物件目録記載の土地の債務者らが有する各持分について、譲渡並びに質権、抵当権及び賃貸権の設定その他一切の処分をしてはならない。」というものです。
 債権者は成田国際空港株式会社(代表取締森中小三郎)及び3名の代理人弁護士で、債務者は一坪共有者となっています。
 これは空港会社が一坪共有地を金銭で譲り渡せという裁判(本訴)を起こす前段の手続です。事業認定を取り下げた空港会社(当時、空港公団)は強制収用では土地を奪うことができなくなり、裁判をおこして共有地を買い取るという手段に出ました。すでに反対同盟北原派の共有地に対して訴訟をおこし、一審千葉地裁では会社側の主張を全面的に認める判決が出されています。控訴審(07年7月11日)も一審判決を認め、最高裁第一小法廷で上告棄却判決(08年1月17日)が出されています。
 空港会社は今回、わが反対同盟(柳川秀夫代表世話人)に対しても同様の攻撃を仕掛けてきました。敵のなりふり構わない土地強奪─空港の拡張は、農民の生活破壊、追い出し策動や地権者の権利剥奪をもって進められています。
 これを許すか否かは、まさに国家権力や資本の横暴から、私達自身が生活や民主主義を守ることができるかが問われています。裁判闘争を断固闘い抜く決意です。
 全国の一坪共有者や三里塚に心を寄せる仲間たちと共に、空港会社の今回の土地強奪攻撃を打ち破っていこうではありませんか。


韓国元大統領・金大中さんが逝去
  民主化・統一への功績は不滅

 八月十八日、韓国の元大統領で、一生を韓国の民主化と朝鮮南北の統一にささげた金大中さんが病気で死去された。
 金大中さんは、南北統一の道筋を切り開いた大統領就任時代の2000年6月15日の南北共同声明を実現したのみならず、それ以前ではパク・チョンヒ軍事独裁政権下での大統領選候補者としての以降、民主化運動では一貫して先頭に立ち続けた。
 そのうえ七三年にKCIAによって凶行された当人の東京での拉致事件では、解放後も自宅軟禁を科せられ、八〇年の光州事態では首謀者とされ国家保安法のもとで死刑判決さえ受けるに至っている。日本人の運動としても金大中救出運動は記憶に新しい。このように金大中さんは、民主化・統一の象徴として韓国民衆の中に永遠に輝き続けるだろう。
 以上の正の側面ばかりではなく、金大中さんには負の側面もある。もともと保守政治家として育ち、親米派の色合いの強かった金大中さんの、その大統領時代に韓国社会はアメリカ金融独占資本のハゲタカ行為にさらされ、IMFの管理下に置かれた。ここからの脱出のためとはいえ、韓国労働者に厳しい雇用調整を強いるなど、新自由主義政策を推進したのも金大中さんであった。
 とはいえ金大中さんは、分断と独裁の暗黒の時代に希望の光を与えた功績は大きく、その後強力に成長した韓国の民主化・統一運動、労働運動にとって、かけがえのない人物として記憶されるだろう。
 八月二十三日には、韓国ソウルで国葬が執り行われ、一万人が参列した。オルブライト元米国務長官、河野洋平衆議院議長なども参列した。また同日、七万人参加の国民追慕文化祭が開催されている。
 さらに国葬前の二十一日には、金己男朝鮮労働党書記を団長とする共和国弔問団がソウルに入り、正式弔問を行なった。この弔問団は二十三日には、李明博大統領と会談を行なった。
 日本においても二十三日、東京・文京シビックセンターにて「金大中前大統領を追悼する集い」が在日韓国民主統一連合の主催でしめやかに開催された。孫享根韓統連議長の追悼辞をはじめ、金大中さんと係わりの深い方々が発言した。会場には韓統連をはじめ在日韓国人、労働運動関係、日韓連帯運動関係から多数参列し献花を行なった。社民党の福島瑞穂党首、土井たか子名誉党首の談話、佐々木秀典元衆院議員、立命館大学コリア研究センター、全日本港湾労働組合などからの弔電が送られた。(東京K通信員)


8・9統一マダン東京
  和解・平和へ転換を

 第十六回統一マダン東京が八月九日、恒例の三河島駅前の荒川区旧真土小学校跡で行なわれた。開始の四時ごろから雨が降り出し、途中ドシャ降りとなって中断されたが帰る人もあまりなく、最後まで周辺住民と在日朝鮮韓国人、日韓民衆連帯の市民団体、労働組合関係者がつめかけ、例年通りの賑わいと友好の一日を過ごすことが出来た。
 韓青同東京本部のオープニング・キルノリに始まったマダンは、韓統連東京本部のヤン・ビョン代表の開会あいさつでは、クリントン米元大統領の八月四日訪朝に触れ、朝米間の対話による問題解決の道筋をつけるものと指摘し、日本政府の圧力のみの外交に懸念を示した。
 この頃より雨が強くなって、参加者も軒下に逃れた。このため北朝鮮の子どもたちに食糧を送る運動を続けている団体の一つ、北側オリニ栄養パン工場事業本部の広報大使をしている俳優のクォン・ヘヒョさん(冬のソナタの金次長役)は、帰国便の関係で軒下からトークと歌を披露することとなった。やがて雨も小降りとなり、実行委員会メンバーが場内の排水などの整理をし、マダンは再開された。
 歌やサムルノリなどが続く中で、オリニ栄養パン工場の同じく広報大使の歌手、キム・ウォンジュンさんのミニコンサートや朴保バンドのミニコンサートで場内は最高潮となり、エンディングを迎えることとなった。来年の統一マダンでの再会を誓い、終了した。
 北朝鮮への攻撃を続ける自公政権や、マスコミの排外主義に真っ向から文化活動で対決しぬき、朝鮮半島の統一と日朝・日韓民衆連帯実現の確かな一歩を築いてきた統一マダン、その全国での広がりは、新たな民主党連立政権に少なからずの影響を与えるであろう。一層の前進が期待される。  (東京K通信員)