労働者共産党 第四期第二回中央委員会総会・決議(09・7)

世界恐慌に立ち向かう
労働運動・社会運動の前進へ



 われわれは、昨年開催された第四回党大会において、次の点を確認した。
世界がアメリカ発の金融危機に投げ入れられ、アメリカ一極支配が急速に陰りを増大させている。その中で日本においても、戦後の利益誘導型政治構造が後景に退き、これからの一時代の階級攻防を規定する政治構造が形作られる局面に突入した、と。その上で、新たな時代の階級闘争は、次の三つの路線を極とする三つの政治ブロックに収れんして闘われるに違いない、と指摘した。
すなわち「第一極」をなす路線は、アメリカ一辺倒・新自由主義(市場原理主義)である。これは、グローバルに権益を漁る巨大投機資本と多国籍企業の利益を代表し、資本の自己増殖運動と社会の存立が両立しなくなるこれからの時代において、開き直り的に前者を推進する路線である、と。
「第二極」をなす路線は、「第一極」路線のあからさまな推進が、東アジアでの孤立と支配秩序の崩壊をもたらすことを危惧する支配階級の広範な層を代表する。それは、一方でアメリカ一辺倒・新自由主義(市場原理主義)をやりながら、他方でアメリカと一定距離をとった東アジア共同体を志向し、民衆の政治的包摂に腐心するマッチ・ポンプ路線となるだろう。この路線は、新自由主義の諸結果である「格差」「貧困」などに対する民衆の側からする批判が高まる局面で、政治的に浮上する、と。
これらブルジョア階級の二つの路線に対して、「第三極」をなす路線は、労働者民衆の利益を代表する路線である。その路線的特徴は、「第二極」政権への政権交代を実現した環境下で、新政権と労働者民衆の矛盾が拡大するとともに形を成してこよう。「第三極」政治勢力の土台となるのは、非正規層への立脚と階級的団結の形成であり、地域を基盤とする相互扶助社会の創出である、と。
大会から一年、われわれは大会決議の正しさを再確認したい。大会後の世界恐慌勃発により、「第一極」政治は解体した、とみることはできない。それは後退はしたものの、過剰貨幣資本と多国籍企業の生産体制とを根拠として存続しつづける。
それとともにわれわれは、世界金融恐慌が大規模な生産縮小・消費縮小・雇用削減など実体経済へと波及し、日本において「第二極」政権の誕生がいよいよ間近に迫ったという情勢の進展を踏まえ、また新たな時代情勢に対応した非正規労働者の闘いの芽生えやわれわれ自身の闘争体制のささやかな再編をも踏まえ、新局面のたたかいに乗り出していかねばならない。問われているのは、政権交代を実現するとともに、社会の土台のところから労働者民衆の側の陣形を大規模に建設すること、それを基礎に「第三極」の形成へと踏み出していくことである。
 
 <社会再建の運動>

 資本主義が社会(人間)を崩壊させていく時、社会(人間)の自己保存的対抗運動が拡大していく。「派遣村」は、その象徴的な出来事としてあった。
 「テントと炊き出し」で始まる「生存の確保」という領域は、仕事や屋根の獲得と事業運営機関の設立、地域社会づくりへの参画へと発展させていく方向を持たねばならない。こうした運動の発展を背景にして初めて、大きな政治的影響力と闘争力量を獲得できるのであり、国家や資本に対して社会的責任を問う闘いを前進させることができるのである。 われわれは、こうした路線を闘いとり、ささやかながらも社会的足場を築いてきている。とはいえこれまでは、社会の崩壊に対する対処は、ごく部分的なものであった。
しかし、小泉「第一極」政権下で社会全体が非正規労働者の使い捨てに立脚したシステムに移行させられ、しかもこの世界恐慌によって労働者が大量的に仕事を奪われだしたことを契機に、社会の崩壊が部分的なものから全般的なものへ、副次的な課題から主要な政治問題へと浮上した。これからは、人の生存(社会的な居場所)を確保するところから出発する運動は各地において勃興し、ネットワークを広げ、社会システム全体の建て直しを構想していく段階に移行していかずにいない。
社会再建の基本方向は、おおまか次のように確認しておく必要があるだろう。
まず確認しておかなければならないのは、世界の資本家たちとその政府が願望しているような、機械制大工業の新たな産業領域を勃興させることで大恐慌から脱出するというかつて繰り返されたシナリオが、今日では基本的に成り立たなくなっていることである。既存の産業の改良、とくに資源節約型への代替は続くにせよ、ここ半世紀の急速な資本蓄積を支えてきた大量生産・大量消費の時代は終焉したのである。
いまや資本蓄積と生産力の量的な発展から、地球環境保護を含む人間の自由な発展へと、社会の欲求(目的)と社会構造とが変化する大きな歴史的過渡期に入ってきている。人々が就労層と失業層とに分割・固定されることなく、社会的分業の各分節に緊縛されずに自由に発展することを支え合う相互扶助活動が、社会の基幹に据えられる時代への過渡である。環境保護、育児、教育、医療、介護など人を相手とした活動の拡大は、そのことの現れに他ならない。当然のことだが、人間を目的とした活動は、利潤を目的とする一奴隷制である資本主義のやり方では発展させ得ないものである。
自己増殖運動を続ける資本は、ますます既存の産業領域に新規投資領域を見い出せなくなっており、かといって新たに拡大する活動領域にも適合できない。また資本は、世界人口の過半を占める旧植民地従属国の貧農・下層大衆の社会的必要にも、いぜんとして適合できていない。達成された生産力は、使われるべきところに使われていないのである。ここに、過剰貨幣資本の膨張、その投機マネーへの転化と周期的暴走の最も深い根拠がある。またここに、資本主義のやり方では最早、増大する過剰人口を吸収できない根拠がある。人々が将来に希望が持てない最も深い根拠も、ここにある。膨張する過剰貨幣資本は、資本主義が適さない社会領域にも「民営化」政策に支えられて強引に参入し、社会の崩壊を加速している。
もっとも資本主義の発展可能性が全くない訳ではない。それは、中国、インド、ロシア、ブラジルなどの新興国に残る。しかしその発展可能性の中身は、世界史的には成熟産業化してしまっている耐久消費財産業の新興国における発展可能性を、米・欧・日と新興国自身の資本が食い尽すというレベルのものであり、世界史的に新産業が勃興するという意味のものではない。
 資本主義が社会を崩壊させていく中で、人々は自己および仲間の生存(居場所)を確保する必要に迫られて、資本主義とは異なる仕方で社会を再建していく道を模索する。NPO、協同組合、社会的企業などの発展がこれである。
 社会システムのこの変動に対して支配階級は、一方で資本主義の仕方に固執するが、社会の崩壊を押し止め支配秩序を維持するために、民衆自身による社会再構築の運動を支援し包摂しようともする。「第二極」政権の誕生によって、社会再構築の運動の大規模な発展に道が広く開かれるとともに、この運動を支配秩序維持のための新たな基盤に取り込もうとする支配階級の政治も強まらずにはいない。協調もすれば闘争もする、高度の政治能力が求められる。そこでの政治攻防に勝ち抜くには、労働者の資本との闘争を発展させ、「第三極」政治勢力を進出させることが必要となる。

  <資本・行政との闘争>

 今日、資本は、歴史的役割を終えたにもかかわらず、その支配的地位を保持し、強欲のままに労働者を使い捨てし続けている。だがそれは、社会の崩壊に伴う失業・半失業の労働者の増大を利用した、一時的な事態に過ぎない。資本は、かつては、過剰人口を「貯水池」に貯めて、階級支配を打ち固め、景気変動に応じて利用することができた。今日では資本は、過剰人口の「大海」に足を取られ沈んでゆく。資本との闘争は、この「大海」の潜在的エネルギーを闘争力に転化することにかかってきている。
 こうした中でわれわれは、資本主義によって失業状態に投げ込まれた労働者が、反失業闘争を闘い、社会に貢献しつつ生存を確保するための仕事を闘いとり、地域社会の再建に参画していく方向を提起してきた。また労働者階級・就労部分の労働運動が、非正規層の比率の増大を背景に、企業の枠を超えた個人加入制のユニオンを地域的・全国的に押し上げていく方向を提起してきた。世界恐慌に突入した今われわれは、この両輪を結合した闘争陣形を創出していかねばならない。その中で、非正規の自律的運動の発展、正規・非正規の団結を推し進め、資本との闘争の全般的な前進を実現していかねばならない。
 まずは、資本のやりたい放題を打ち砕くことである。
アメリカ・投機マネー主導のバブルに便乗し、安価な非正規労働者の長時間労働で大儲けしてきた自動車・家電などの資本(トヨタの内部留保13兆円)は、「百年に一度」の経済危機を口実に非正規労働者を大規模に切り捨てた。労働者が解雇と同時に寮からも追い出されて路頭に迷おうと関係ない。あとは行政が税金を使ってなんとかしろという態度だ。それは、ネットカフェ難民や野宿生活者の増大、アキバ的事件などとして現れる社会崩壊の大きな要因になっている。その一方で、労働者を新たに非正規として募集しているというのだから許せない。失業率は、昨秋の4%からこの四月までに5%(完全失業者数三百四十六万人)へと跳ね上がり、6%を窺う勢いにある。今や資本は、「社会的責任」を問われる存在、「反社会的」存在に転落しだしているのだ。われわれは緊急課題の第一として、「非正規切り」をはじめとした資本の首切りと対決していかねばならない。
また資本は、自己が生産し続ける失業者群の圧力をテコに、正社員に対して長時間過密労働を強制している。「名ばかり管理職」と引き換えに、低賃金のまま長時間のサービス残業を詐取するなど、手口は悪質である。11年連続3万人超の自殺には、こうした状態に投げ込まれた労働者の苦悩も刻印されている。
日本のワークシェアリングは、社会的な規制もなく企業内で行われるため、結局はワークシェアリングとはならず、既存の労働者の賃下げにしかならない。失業者にも雇用を拡大するワークシェアリングは、連続11〜12時間以上の休息・自由時間の確立、有給休暇の拡大、時間外労働の規制、時間外割増を50%以上とするなど労働基準法の改正や、個人加入制の産業別労働組合運動の多数化などの諸条件の確立が必要である。
産業の発達が成熟段階に到達した今日、社会が必要とするモノの生産に割くべき総労働時間は、わずかなものになってきている。社会は、労働時間を大幅に短縮し、各人に対して、その能力を自由に発展させる時間を保障できる時代になっているのである。しかし資本主義は、労働者の一定部分を失業状態に陥れることで、労働者にたいする支配と搾取を確保するシステムである。今や資本主義は、失業者群の大膨張による死への行進と並んで、長時間過密労働の強制による死への行進を組織することになってしまっているのだ。われわれは緊急課題の第二として、長時間過密労働・サービス残業をなくす闘いに取り組まねばならない。
また資本は、年収二百万円以下で、働いても人間らしく生活できず、失業すれば容易に野宿生活に転落してしまう「ワーキングプア」層が1〇〇〇万人を超えるという時代を創り出しながら、最低賃金のわずかな引き上げをも妨害しようと画策する。彼らは、零細企業の経営問題を口実にするが、それは為にする議論に過ぎない。巨大投機資本と大企業こそが中小・零細企業を収奪し、低レベルの最低賃金によって巨利を得ているのだ。
非正規労働者の賃金は、最低賃金に規定されている。これが上がれば、最低賃金よりいくらかましな他のすべての職種の賃金も上がるのである。
資本主義は、機械制大工業の発展というその歴史的役割を基本的に果たし終えて、一方における投機マネーの膨張と他方における失業人口の増大という末期の様相を現わしてきている。所得格差、資産格差は、世界的規模で、拡大しすぎてしまっている。全ての人に人間らしい生活を保障することのできる物的生産力が実現されながら、一握りの億万長者の対極で大多数が貧困にあえぐ不条理が進行しているのである。最賃引き上げは、こうした不条理と対決するたたかいの一環である。われわれは、これを緊急課題の第三として取り上げていかねばならない。
労働者を人間として見ず、単なるモノとして使い捨てにする労働者派遣法は、廃止されなければならない。廃止にむけ当面、抜本的に改正される必要がある。抜本改正の柱は登録型を原則禁止すること、常用型は期間の定めのない雇用とすること、専門業種に限定すること、違法な働かせ方をした場合には「みなし雇用」とする規定を創設することである。われわれは緊急課題の第四として、労働者派遣法の抜本改正に取り組んでいかなければならない。
「派遣切り」の中で、労働者のセーフティネットがきわめて不充分であることが明らかになった。セーフティネットの確立充実が不可欠である。そのためには、「年越し派遣村」の経験が示すように、生活保護制度を迅速に弾力的に運用し、実践的措置を行政に行なわすこと、また、いかなる雇用形態や雇用期間にかかわらずいずれかの雇用保険に加入するようにし、とりわけ日雇雇用保険への加入を行政・資本に周知徹底させるなどの運動が緊要である。われわれは緊急課題の第五として、労働者のセーフティネットの拡充に取り組んでいかなければならない。
「俺たちはモノじゃない!」
 この叫びの中に、資本の時代から人間の時代へと世界史を動かす原動力がある。この叫びは、人間の「自尊心」をも磨滅し崩壊させ始めた資本主義との対決である。
自尊心を取り戻す闘いの組織化は、被差別層の運動の発展にとって不可欠であり、これを導くものである。近年の野宿労働者の運動も、「俺たちはゴミじゃない!」と、仲間同士の横のつながりを広げ、前進してきた。自尊心を取り戻す闘いの組織化を導きとし、生存の確保と直結した緊急課題のための闘いを、共同して大規模に起こしていかねばならない。
われわれは、個々の緊急課題を広範な労働者民衆とともに断固として闘い抜き、非正規と正規の労働者の団結を強め、企業別労働組合運動を変革しながら、個人加盟制の新たな労働組合を多数に転化する基本方向をかちとっていく大きなステップとする必要がある。

  <第三極の形成>

 小泉政権が推進した「第一極」路線(アメリカ一辺倒・市場原理主義)とそれによって解き放たれたカジノ資本主義の強欲が社会を壊し支配秩序をゆるがして、政権交代が不可避の流れとなった。誕生しようとしている新たな政権は、「第一極」路線を後景化させ、民衆をいやし政治的に包摂することを役割とする政権とならざるをえない。アメリカと一定距離を置いて、勃興する東アジアとの関係を強めることで、この転換を打ち固めようとするだろう。「第二極」路線を推進する政権である。われわれは、政権交代の実現に寄与するとともに、この政治の変化を活用して労働者民衆自身による社会の再建と資本との闘争の大規模な発展、「第三極」政治勢力形成へ、大きく道を開かねばならない。
 政権交代をどれだけ意識的に有効に活用できるかどうかは、これからの攻防の帰趨を決するといっても過言ではないほど重要なものとなるだろう。その際、次の点が大事である。
 社会の再建は、既に歴史的役割を終えている資本を介してではなく、NPO、協同組合、社会的企業などを介して図るようにさせること。従来型の公共事業やバラマキではなく、地域を基礎とする相互扶助社会を実現していくために、自然環境再生、保育、介護、職業・技能訓練などの諸事業を集中的に助成させること。地方分権・財政改革を推進し、地方自治と住民自治を抜本的に前進させること。非正規労働者をはじめ労働者の団結の促進、社会労働保険制度の抜本的見直しなど、労働者民衆が連帯し闘争するための法的その他の諸条件を改善させること、などである。
 外交においては、アメリカ一辺倒政治から日朝国交正常化・東アジアとの共生へ、戦略的重心を移行させることである。それは、グローバルな権益をアメリカの世界覇権に依存している支配階級中枢(多国籍企業)のヘゲモニーを弱め、民衆懐柔政治を促進するだけではない。それは、労働者民衆が日本による侵略・植民地支配の近代史を越えて東アジアの民衆的連帯を実現していく道を、広く開くものである。
 だが「第二極」政権は本質的に二面的で、動揺的である。東アジア重視であるが、唯一の超大国・アメリカのくびきから自由な訳ではない。民衆懐柔を重視するが、新自由主義もやる。それに東アジア重視・民衆懐柔重視は、その経済的本質が世界史的には成熟産業化している耐久消費財産業に依拠する路線であり、賞味期限切れのケインズ主義的財政出動に依存するそれである以上、行き詰まるまでにそれほど時間はかからない。結局資本は、巨大投機マネー(強欲資本主義)が作り出す巨大なバブルに期待することになる。対決政治の「第一極」路線に回帰しようとする。
 われわれは、政権交代を契機としたこの全過程を、労働者民衆が大規模な社会的基盤と闘争体制を構築していく過程、労働者民衆の政治勢力(「第三極」)を打ち立てる過程として、闘いとっていかねばいかねばならない。(了)