41年ぶりの世界的大流行(パンデミック)
 新型インフルエンザ対策のあり方を考える


 この二ヶ月余、「新型インフルエンザ」(以下「新型インフル」)のニュースがマスコミをにぎわせてきた。わが国の流行は六月に入って沈静化に向かうかに見えたが、患者数は六月二五日現在1023名に達し、依然として十代二十代の若者を中心に流行は継続している。
 世界の状況をみると、冬を迎えた南半球を含む世界各国で患者発生が相次ぎ、世界保健機関WHOは効率的持続的なヒト−ヒト感染が確立しているとして六月十一日、四十一年ぶりとなる世界的大流行(パンデミック)状態に入ったことを宣言した。
 メキシコを発生源とする「新型インフル」の発生から今日に至る政府の対応の経過をたどりながら、感染症対策のあり方を考えてみたい。
 
  初期対応の評価

 WHOは、メキシコで流行していた豚インフルエンザが、四月下旬には米国にまで流行を急速に拡大したことから、この現象を公衆衛生上の緊急事態と捉え、各国に注意を促した。その後両国でヒトからヒトへの感染が確認されたことを受け、日本政府は四月二八日、「新型インフル」の発生を正式に承認した。
 厚生労働省は五月一日、「新型インフルエンザ対策本部専門家諮問委員会」を設置するとともに、二月に改定した「新型インフルエンザ対策行動計画」に従って、この状態を「海外発生期」(行動計画で対策の転換時期を五段階に区分している)として検疫、停留を含む対策の実施を開始した。この時点での検疫の実施は、「新型インフル」を致死率の高い強毒性の「鳥インフル」と同レベルの毒性を持つものと想定した妥当なものと考えられる。
 しかし一方で、WHO委員の田代氏は、「新型インフル」のウイルスが弱毒性である可能性を示唆(毎日新聞4・30)している。また、WHOは「新型インフル」が各国に広がった五月八日の段階で、「空港の検疫強化による水際作戦では潜伏期の感染者を見逃す恐れがある」、「軽症患者ばかりが確認されるようなら、対策を現実に合わせる必要がある」との見解を公表している。厚労省検疫官の木村盛世氏も同時期に、同様な趣旨から検疫に重点を置く対策方針は、かえって国内の感染拡大を助長すると批判していた(朝日新聞5・14など)。
 五月十日には、空港での検疫によりカナダから帰国した高校生三名と教師一名が、「新型インフル」と確定された。(濃厚接触者の停留とともにひき続き実施された検疫で、五月末までに検出された患者は八名のみである。)
 諮問委員会は五月十三日、成田空港で発見された患者の臨床所見を外国の臨床事例と比較検討し、停留期間を十日から七日に短縮することを決定している。
 国外からの侵入防止に重点を置いた水際対策実施中の五月十六日、海外渡航歴のない高校生から「新型インフル」の国内初感染が確認された。その後関西の高校生から次々に感染者が確認され、神戸市の高校では、すでに八日頃からインフルエンザでの欠席者が目立っていたという。また、大阪府内では十日以降インフル症状を訴える生徒が急増したという。
 対策推進本部による「発症日別感染動向」は、これらの情報を裏付けている。図に見られるように、「新型インフル」国内感染の初発は五月五日である(毎日新聞6・5)。それ以前の発症者の有無は不明であるが、「新型インフル」発生以前の変異ウイルスが何らかの形で侵入した可能性も調査検討されている。
 このように、初めての患者発生が確定された十六日には、すでに百名以上の発症者がいたことが明らかとなった。また、患者数のピークは十七日であり、それ以降は五月末にかけて減少を続けている。
 これらの患者発生動向は、水際の「検疫」対応に重点を置きすぎた厚労省の感染症流行に対する認識の甘さを示すものといえよう。
 厚労省は、十六日に国内初感染が明らかとなり、その後も患者の増加と地域的拡大が予想されたためであろうか、住民の不安の沈静化を意図したためであろうか、五月十八日に「感染力や病原性などは季節性インフルエンザと変わらないと評価できる」と発表した。
 さらに五月二十二日には、「基本的対処方針」の改定を発表した。これは、弱毒性を公認したにもかかわらず、流行状況をマニュアル(二月の行動計画)通りに「国内発生早期段階」への移行とするとし、予定通りの対策を実施することを表明したに過ぎないものであった。強毒性の「鳥インフル」用に準備された行動計画をそのまま継続し、感染者の発見地域に対する学校への休校要請やイベント自粛など様々な要請を盛り込んでいる。しかもここには、検疫での発見以前に発症患者が存在したことに対する反省がなく、これまでの対策方針を全体として合理化するかのようなアリバイ作り的なものであった。
 橋下大阪府知事の「新型インフル対応見直し要請」(朝日新聞5・18)は、対策方針に対する対策現場からの疑問や不満の典型と言うことができよう。
 「検疫」重視による初期対応は、批判はあっても感染拡大防止という大義名分が成り立ったが、国内発生と弱毒性の公表以降の対策方針は、流行の現状からますます遠ざかるものとなった。
 「新型インフル」対策としての検疫は全く無意味であるとする専門家の批判もあるが、「新型インフル」を検疫対象感染症に加えたのも専門家(を含む委員会?)であることを考えると、改正検疫法と、検疫対象となる病原体の再検討が先行する課題であろう。
 一般の認識では必ずしも明確ではないが、感染症対策での「停留」や「隔離」は現在は強制ではなく、あくまで要請である。感染者は、その人権を保障されなければならず、また同時に感染拡大防止のための公共的責任を有する。
感染症は、「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(一九九九年施行)によって対処方法が規定されている。この感染症新法は、強権発動が規定され人権への配慮にも欠けていた「伝染病予防法」(明治30年制定)を大幅に改正したものである。感染症新法は隔離措置等を原則とせず、感染症の拡大防止のため必要最小限度の措置に止めることが改正の目的の一つであった。
この法律は今日まで八回の改正が行なわれ、鳥インフルエンザの扱いも見直されてきた。〇八年五月の改正では、鳥インフル、新型インフル、再興型インフルの3類型を含む「新型インフルエンザ等感染症」という区分が設けられ、「国民の生命及び健康に重大な影響を及ぼす恐れがあると認められるインフルエンザ」と定義された。そして強毒性のウイルス侵入を水際で阻止するには、感染が疑われる者および接触者を隔離、停留する必要があることから、インフルエンザを検疫感染症に位置づけることとなったのである(検疫法改正、〇八年五月)。
今回の新型インフル患者および接触者に対する、「停留」という聞きなれない措置は、改正検疫法に基づいている。停留は協力要請の結果であり、停留期間の宿泊費、食費、生活必需品にかかる経費は国が負担することになっているが、それ以外の補償には言及されていない。感染者等の滞留、隔離、休職・休業は、賃金や営業に甚大な不利益を与えるものであり、これへの公的補償措置が検討されるべきだ。

  現場の自主対応

 経過に戻ると先に触れたように、新型インフル対策本部は五月二十二日、「政府においては、今回の新型インフルエンザの発生は、国家の危機管理上重大な課題であるとの認識の下、その対策に総力を挙げて取り組んでいるところである」とする「基本的対処方針」を公表した。
 ここでは、「新型インフル」の特徴を挙げ、強毒性を前提とした「新型インフルエンザ対策行動計画」(09・2・17)を改正せずに修正で対応することが表明されている。前文の「国家の危機管理上重大な課題」とする基本方針と、事業者や学校、集会やスポーツ大会などに対する事細かな要請、患者や濃厚接触者の活動範囲内での特別措置などの対応方針は、弱毒性(季節性インフルと同程度の危険性)の認識から遊離し、対策現場に混乱をもたらす方針提示であったと言わざるを得ない。
 元検疫所長であった仙台市副市長の岩崎恵美子氏は、発熱外来の混乱、過剰な検査、重篤な患者でもないインフルの感染者を数える意味はあるのかと政府の過剰反応を批判し、「たとえ国の方針でも、市民や医療現場が混乱するような過剰な反応は受け入れがたい」、「仙台市では予防、感染拡大防止、治療という三本柱を軸とした『仙台方式』で対応している」と述べている。(朝日新聞6・7)
 毎年インフルエンザの流行を経験し、重症者への対処法にも通じている医療現場、病原体検査や公衆衛生の現場従事者は、違和感なくこの批判に同調するに違いない。
わが国の「新型インフル」患者発生数の推移を見ると、国内初の感染者が確認された五月十六日以前に100名以上の発症者が存在し、図のように十五日に40名、十六日に57名、十七日に67名とピークに達している。その後減少を続け五月二十二日以降は一桁台の発症となったが、六月に入って上昇傾向に転じ、六月五日から二十三日までははっきりとしたピークを形成することなく二桁台の発症者が出ている。おそらく、この数字の背景には多数の感染者が存在するものと考えられる。
 「新型インフル」発生宣言から一ヵ月後の五月二八日の患者総数は、十都府県356名であったが、六月二六日には三十八都道府県から1037名の患者が報告されている。幸いに死亡者の報告はない。
世界での流行をみると、五月二八日の四十八ヵ国13398名から、WHOによるパンデミック宣言時の六月十二日には七十四ヵ国29669名に拡大し、六月二六日には百十二ヵ国59814名とさらに拡大の様相をみせている。
「新型インフル」の世界的大流行(パンデミック)は、一九六八年の「香港風邪」以来四十一年ぶりとなる。
WHOは「新型インフル」発生以来、感染拡大が懸念される状況にあっても、再三にわたって国境閉鎖、貿易制限や旅行制限、検疫強化などハードな防御策の実行を戒め、柔軟な対応を各国に求めてきた。WHOのチャン事務局長は、パンデミック宣言に際して、健康被害の深刻度は「中程度(モデレート)」であること、現在はまだ流行の初期段階と考えられるため、さらなる拡大は避けられないこと、この大流行は今後1〜2年間継続すると予想されることなどを説明し、「新型インフル」の拡大防止に対する各国の協調を呼びかけている。
WHOによる柔軟対応の呼びかけには、グローバルな企業活動への配慮と人権への配慮という両面性があると思われるが、感染拡大防止と治療にとって世界的な貧富の格差は大きな社会的障害である。「新型インフル」での死亡者の多くは貧困層である。ワクチン接種が防御法として優れているが、その国際的な不平等も問題となっている。国際社会は、社会的な対策にも目を向けなければならない。

  秋冬に備え検証を

日本では厚労省が六月十九日、「医療の確保、検疫、学校・保育施設等の臨時休業の要請等に関する運用指針(改訂版)」を公表した。WHOのパンデミック宣言と、その「社会経済的混乱を招かないよう各国の状況に応じて柔軟に対応すること」という要請を受けた形になっている。
ここでは、今後も秋冬にかけて患者発生が続くと予想されること、リスクグループの感染に留意すること、重症者に適切な医療を提供すること、患者発生の的確迅速な把握を行なうサーベイランス(調査事業)の実施、検疫は注意喚起の呼びかけに転換することなどが基本的考え方として取り上げられている。
この運用指針を見ると、通常のインフルエンザ対策で十分に対応可能な内容が列挙されており、「新型インフル」の発生宣言以来、今日までの騒動は何だったのかと思わざるを得ない内容である。
このかんの対策方針の変化を見ると、地方現場の対応よりも厚労省をはじめ国及び政府が最も対応に苦慮しており、その混乱が社会の不安を拡大したようにさえ思われる。
「新型インフル」への対応は、四十一年ぶりという特殊事例であり、感染症という専門領域に属するものだけに様々な課題を残すことになった。生命に深刻な危険を及ぼすか否かの判定時期が的確であったのか(弱毒性)、必要以上に人々の活動の自由を拘束することがなかったのか(検疫重視からの転換)、情報を正確に伝えることができたのか、その方法が的確であったのか、医療現場や対策現場の混乱は予想できたことではなかったかなど、様々な視点からの総括・検証が必要であろう。
今後秋から冬にかけて更なる感染拡大や毒性の変化など、より困難な局面も予想されるが、既存の調査・検査機関を活用するとともに、正確な情報伝達と安心できる医療体制の確立が肝要である。(保健労働者F)