忘れられた日雇雇用保険
             雇用保険法改正と今後の課題

 雇用保険法が今国会で改正され、三月三十一日から施行された。現下の厳しい雇用・失業情勢をふまえ、非正規労働者に対するセーフティネット機能および離職者に対する再就職支援の強化を主旨とするものである。
具体的には、雇用保険の加入要件を被保険者期間12か月から6か月に短縮する、再就職が困難な場合に雇用保険の給付日数を60日分延長するなどである。加入要件つまり制度の対象拡大は一歩進んだが、受給要件(保険料納付期間)などでは前進はなかった。
民主・社民の両党は、被保険者期間を31日以上とする改正案を提出していた。適用期間が30日以内の日雇雇用保険との切れ目が無いようにするためである。しかし、「6か月」で妥協が成立したのである。年度末を前に一歩でも改善して施行させる必要はあったが、いぜん雇用保険が適用されない期間があることは、大きな問題である。
さらに問題なのは、この経済情勢で日雇労働者の就労日数は急激に低下しているので、日雇労働者が生活できるようにするためには、2か月26日以上の就労という現行の受給資格要件を緊急措置として一時的に軽減する必要があるのに、受給要件について与野党とも考えていなかったことである。審議の終盤に社民党の問題提起で、付帯決議に「日雇労働求職者給付の受給要件の見直しを含め制度が活用されるよう一層の周知徹底を図ること」が盛り込まれはしたが。
舛添厚生労働相の、「私は日雇いという不安定な就労状態をいいとは思っていません。だから、安易にそれを繰り返すよりも、やはり常用雇用化へのインセンティブを与えた方がいい」という答弁(三月十八日・衆院厚生労働委員会)は、「日雇労働者の存在はあってはならないもの」という考え方であり、日雇労働が存在する現実を無視し、日雇労働者を軽蔑する発言である。政府自身が労働規制緩和を進めながら、その結果に対する政治責任を放棄するものである。
「日雇労働者」と言うと従来の建築土木・荷役労働のイメージが残っているが、今日それは登録型派遣、フリーターなどの形で業種を問わず広範な存在となっている。現行の日雇雇用保険の制度と運用は、この現実に対応できていない。焦点となっている派遣法改正によって日雇い派遣が禁止されても、30日以内の短期雇用はなくならないのであって、多くの労働者が失業保険無しのまま放置される。
日雇労働者が誇りを持って働き、生活することが可能となる制度づくりが求められている。(K)


東京3・28
  反貧困フェスタ2009 労働3団体も揃って
   労働と貧困を問う

 三月二八日の東京では、反貧困ネットワークの主催によって千代田区の神田一橋中学校にて、「反貧困フェスタ2009」が開催され約1700名が参加した。
 午前中は教室で分科会、午後からは体育館で全体会がひらかれ、校庭では花見シートや音楽ステージ、各団体のテントが設けられ、軽食の炊き出し、労働・生活相談、健康診断などが行なわれた。
 分科会は、女性と貧困ネットワークによる「女性のハケンを考える」、住まいの貧困に取り組むネットワークによる「安心して生活できる住まいとは?」、『週刊金曜日』による「日本社会の『壁』を崩す」、教育労働者による労働権利教育をテーマとするもの、これら四つが行なわれた。
 全体会は、「いま『はたらく』が危ない」をテーマにシンポジウムが行なわれ、前半では湯浅誠さん(反貧困ネット事務局長、年越し派遣村村長)と作家の雨宮処凛さんをコーディネーターに、派遣村村民や派遣労働者などが発言した。後半では、連合の非正規センターの龍井葉二総合局長、全労連の非正規労働者センターの井筒百子事務局長、全労協の遠藤一郎常任幹事と言わば揃い踏みのパネリストで、討論集会が行なわれた。
 反貧困ネットワークは、系列をこえて労働組合・市民団体などが共同する形で〇七年十月に結成され、昨年三月に一回目の反貧困フェスタが開催された。そのときのテーマは「貧困をどう伝えるか」であったが、昨秋以降、失業による貧困が大きく露出する事態となった。それで、今年二回目のテーマは「労働」が危ないとなっている。時宜にかなったテーマで、意義ある共同行動であった。
 しかし、こうした企画は基本的に教育宣伝イベントであり、失業反対の闘いと生活・就労支援の取り組みそのものではない。反貧困フェスタの輪がさらに大きくなり、労働と地域の各現場での闘いの芽が育つことを期待してやまない。(東京A通信員)


大阪3・21〜22
  反貧困・春の大相談会in大阪
  派遣・野宿を分断せず

 三月二十一日〜二十二日の二日間、大阪市北区の大阪市役所前で「反貧困・春の大相談会in大阪」が行なわれた。これは、大量の雇い止めが予想される年度末をひかえ、昨年の「反貧困パレード大阪実行委」を軸に、さらに多くの団体・個人が参加し、三十二団体が「反貧困ネットワーク大阪実行委員会」(委員長・木村達也弁護士)を結成し準備してきたものである。
 宿泊や炊き出しといった形は取らないまでも、市役所前には十張のテントが張られ、横の中之島公園では250食分の弁当が用意された。弁護士や医師など各分野の専門家とボランティアが、「派遣切り」や生活保護などの相談に応じた。とくに女性専用ブースも設けられ、また、野宿生活者の相談にも(派遣労働者などとの)分断を持ち込まず対応することが特長となった。
 二日間で、参加ボランティアは法律関係者が延べ79名、医療が64名、その他184名の計300名以上であり、相談者は151名(うち女性が15名)、電話相談が61名の計212件の相談が寄せられたのであった。
 前日までの相談で緊急かつ強く支援が求められる人には、当日無料宿泊所が確保され、また翌二十三・四の二日間には、計84名の生活保護申請が(大阪市立更生相談所から38名、北区相談所から22名、その他の地域から24名)、弁護士や司法書士、ケースワーカー等の同行の下で行われた。
 当日は、埼玉県大宮市、愛知県岡崎市などでも同様の取り組みが行なわれた。今後、これらの形態はさらに、宿泊や炊き出しも含めた、全生活をカバーする相談と対応をせまられる形になっていくだろう。(大阪S通信員)


3・20大阪
  シンポ「深まる労働と生活の不安定化」
    釜ヶ崎の現状から課題提起

 三月二十日、大阪市北区のエルおおさかにて、NPO釜ヶ崎支援機構と大阪市立大学大学院創造都市研究科の主催による「深まる労働と生活の不安定化」と題する公開シンポジウムが開かれ、約百名が参加した。副題に「正規・非正規・ホームレスのボーダーを越えて、貧困と反貧困の意味を問う」と掲げられ、正規・非正規・ホームレスを連続した労働者層として捉えかえし、誰しもが社会から排除されることがないように、生活と権利を守る運動を求めるとして、時宜にかなったシンポとなった。
 シンポ第1部では、日本女子大学の岩田正美教授が「現代の貧困と政策対応」と題して報告、「家族の貧困から単身の貧困へ変貌し、若者の貧困とその社会的排除を伴なう貧困に拡大・変化し、たんに不景気の結果としてではなく、政策のミスとして露呈している。そのため、個人の苦境と社会の分裂という事態をもたらしている。年金・最賃・生活保護の三本柱の中で生活保護の緊急動員がある程度認められているだけで、住宅政策との連結が不十分なために、それらの政策機能は果たされていない。企業や家族から独立した生活拠点の形成、新たな生活のイメージの転換、主体が声の出せる関係の構築、拠点としての住宅、これらの模索が問われている」と発言した。
 甲南大学の熊沢誠名誉教授は、「非正規労働者のうち家族にパラサイトできず生存権の危機に至っている層と、抵抗力を失い心身の危機を招くまでの過重労働に追い込まれている正社員とは、さしあたりの所得格差は大きいが相互補完的な地続きにある。この中で就業労働者の保護と失業者のセーフティネットとの結合、そして労働組合運動の復権を探ること」を訴えた。
 釜ヶ崎支援機構の沖野充彦事務局長は、釜ヶ崎に集中し顕在化してきた日雇労働・派遣・非正規の不安定就労労働者がホームレス化する現実を報告し、生活支援制度の拡大とアフターケアの充実、生活保護に至らなくてもよい就労と住居の確保というセーフティネットの整備、緊急かつ具体的な常設型の宿泊付き相談センターの設置、これらが求められていると提案した。
 第2部では、大阪ホームレス就業支援センターと、釜ヶ崎支援機構の福祉部門からの報告が行なわれた。釜ヶ崎の現状から見えてきた課題を、現在の情勢へ問題提起するという集中した3・20シンポジウムであった。(大阪S通信員)