生存確保・社会再建主導しよう
    
        「寄せ場」の全国化が問う労働運動の新展開

 二〇〇九年は、東京・日比谷の「派遣村」で明けた。世界金融危機が実体経済の大不況へと連動していくこの年を象徴する始まりであったと言えよう。
 この先駆けが九〇年代初めにあった。バブルの崩壊で、公園に河川敷に路上に野宿を余儀なくされた労働者が多数現れた。当時失業に見舞われ野宿を余儀なくされた労働者の圧倒的多数は、それまで建設日雇として働いてきた寄せ場労働者であった。
 日本最大の寄せ場・釜ヶ崎では、九二年に反失業暴動がおこり、あいりんセンター占拠や大阪府・市庁舎前での数百人規模の長期野営闘争(ブルーシート小屋を共同化したもの)など野宿生活を武器にした闘いが発展した。運動は、シェルター・輪番就労などを勝ち取り、事業運営機関を立ち上げ、町づくりにも関与していく。全国の仲間と共同し、連合や解放同盟の協力も得て問題を国政課題へと引き上げ、二〇〇二年には超党派的支持の下に自立支援法も闘いとった。
 今回の場合は、主として「製造業」の「派遣切り」が問題となっている。問題の本質においては同じなのだが、十数年の時間の経過は大きい。
 十数年前も、基底には「産業の成熟」があった。工業化の時代ではなくなり、自動車・家電に代表される耐久消費財産業も成熟化していた。しかし当時の場合は、それはまず、耐久消費財産業を支えてきたケインズ主義的な財政出動(高速道路建設など)が景気浮揚効果を喪失し、財政赤字だけが膨張するという問題として浮上した。建設産業は、それ自身の高度の機械化の影響も加わって、百万人単位の労働者を街頭に放り出した。しかし基幹をなす自動車・家電資本そのものは、多国籍展開と輸出主導で凌いでいく。これを側面支援する形で、日本政府はアメリカが要求する新自由主義グローバリズム「改革」を受け入れていった。
今日の場合はどうか。すでに世界史的に産業が成熟しているだけでなく、膨張する過剰貨幣資本が大量的に投機資本に転化し、投機資本がヘゲモニーを確立している。カジノ資本主義の時代である。新規投資の多くが投機マネーに転化する対極で、労働手段と結合できない労働者層が膨張する。日本でも非正規労働者が被雇用人口の約三分の一を占めるようになった。そうした中で、世界的な産業の成熟を隠蔽してきたアメリカの投機バブルが崩壊し、金融危機が実体経済の大不況へと拡大する奔流に日本も呑み込まれつつある。
 今回の事態の中で、何が問われているのか。
 第一に、社会が破壊され、生存が保障されなくなる事態の中での運動へ、転換が問われる。テントと炊き出しで生存を確保しながら闘う運動スタイルが、そのことを象徴している。寄せ場の労働運動では当たり前にやってきたことであるが、労働運動の世界では例外的形態だった。
 「テントと炊き出し」で始まる「生存の確保」という領域は、仕事や屋根の獲得と事業運営機関の設立、地域社会づくりへの参画へと発展させていく方向を持たねばならない。
 これからの労働運動は、非正規を主役とする資本との闘い自身と共に、こうした生存を確保し社会を再建する運動を背景にして初めて大きな政治的影響力と闘争力量を獲得できるのであり、国家や資本に対する社会的責任を問う闘いを発展させることができるのである。
 第二に、社会の崩壊が部分的なものから全体へと拡大していく事態の中で、社会を建て直す構想をもった運動が問われる。
 これまでは大恐慌が勃発しても、最終的には機械制大工業の新たな発展領域が勃興して、過剰貨幣資本と過剰労働力人口を吸収した。しかし今回の場合は、そのような機械制大工業の大規模な新たな発展領域は無い。グローバル経済の中で、成熟化した工業諸部門が波状的に新興諸国へと移転し、中心国で消費経済が謳歌されるという構造は、世界的な産業の成熟という状況をなんら変えるものではない。資本のますます大きな部分が、新規投資領域を見い出せずに過剰化して投機マネーに転化し、世界中に過剰人口があふれていく流れは変わらない。
だからと言って、社会が必要とする活動領域がなくなった訳ではない。人々が欲求し社会が目指すことになる新たな活動領域は、社会の成員一人ひとりの自由な発展を保障し、社会の文化的豊かさを実現していく活動領域である。それは生産活動を含む多様な社会的諸活動と結合した生涯的な教育・学習システム、医療、介護、育児、自然環境再生などを基幹に据え、住民のための住民による農・工業を含む物的生産諸活動を育成し、労働時間の大幅な短縮と全成員の生活保障を実現することである。おのずと地域生活圏が基礎単位となるだろう。
 利潤を目的とする一つの支配・隷属関係である資本は、機械制大工業の発展には極めて適したシステムであった。しかし資本主義は、人間(自然環境)を大切にする・今まさに求められているこうした活動領域とは、本質的に合わないシステムである。人々は、協同組合、NPO、社会的企業等々と称して新たなシステムを模索しながら、生存を確保し社会を建て直す諸活動を起こしてきた。大不況は、そうした諸活動を全ての地域で勃興させるだろうし、新たな社会の構想をもって共同し大規模に展開することを求めるに違いない。
 第三に、構想をもって共同し大規模にという時、政権交代との関わりが一つの重要な課題となる。
 そもそも予想される政権交代は、アメリカ一辺倒・市場原理主義の「構造改革」を強行し続け、カジノ資本主義の拡大再生産という資本主義のただ一つの「発展」方向にむかってこれ以上突進したら社会(階級支配)が持たないというところまできて、支配階級の動揺的一半が、民衆をいやし政治的に包摂すべく実現しようとしているものである。その意味でこの政権交代は、労働者民衆にとって自己の生存条件を確保し、地域社会の再建方向を確かなものにし、闘争体制を再構築するために活用できるし、この政権交代をどれだけ意識的に有効に活用できるかは、これからの攻防の帰趨を決めると言っても過言ではないほど重要なものである。
 そこにおいて大事なことは、資本(既に歴史的的役割を終えている)を介してではなく協同組合、NPO、社会的企業などを介して社会の再建を図るようにさせること。従来型公共事業やバラマキではなく、自然環境再生、介護事業、職業訓練などこれから発展する活動を集中的に助成させること。資本に対抗して労働者民衆が連帯し闘争するための法的その他の諸条件を改善させることである。並行して、アメリカ一辺倒政治からの転換を実現しなければならない。アメリカ一辺倒政治を転換させるということは、グローバルな権益をアメリカの世界覇権によって保障してもらっている支配階級中枢のヘゲモニーを弱め、支配階級の動揺的一半の民衆懐柔政治を強めることだからである。日朝国交正常化・東アジア重視への明確な転換を実現することである。
 最後に、労働者民衆の利害を代表する政治勢力を「第三極」として立てること、労働者民衆の闘争力の再建に着手することである。
 一面で新自由主義をやりながら他面で民衆の政治的包摂に腐心する「第二極」政権の誕生は、労働者民衆の自己解放運動にとって大きなチャンスであるとともに、大きな試練でもある。チャンスであるというのは、新しい社会づくりの運動を大きく発展させる道が開かれるからである。試練だというのは、民衆の手による勃興する事業や社会の再建という場が、それを支配秩序維持のための新たな基盤にしようとする支配階級との政治的葛藤の一大戦場になっていくからである。アメリカ一辺倒・市場原理主義の復権の動きも絡んでこずにいない。協調もすれば闘争もする、高度の政治的能力が問われる局面になる。
 そこでの政治的攻防に勝ち抜くには、労働者民衆の独自の政治勢力を、「第三極」として最大限の相互許容性をもって形成し進出させる必要がある。また労働者民衆の現代的な闘争布陣と闘争力量を創り出すことも必要である。大不況への突入を契機とした本格的な社会の崩壊という時代状況の中で、支配システムにおける政権交代・政界再編という政治的混沌化を突いて、政治革命への第一歩も印しておかねばならない。