オバマ次期米政権をどう見るか
  危うい「第二極」政権


唯一の超大国アメリカの大統領が、来年早々にブッシュからオバマへと代わることになった。このことについて、どのように捉え対処したらよいのか、考えてみたいと思う。
@ 米大統領選挙においてオバマは、「チェンジ」のスローガンを押し出して勝利した。
それが意味するところは、次の三点であるだろう。
 一つは、投機資本の運動(カジノ資本主義)にあからさまに奉仕する新自由主義(「第一極」潮流)が、イラク侵略戦争と世界金融危機によって内外社会を崩壊の淵に引きずり込んだことにより政治的統合力を喪失した、この変化を政治的に確認したことである。二つは、カジノ資本主義化した資本主義に立脚しながら、同時に対話と協調、民衆の包摂によって内外支配秩序を修復・再建することもやろうとする路線(「第二極」潮流)が社会の崩壊に危機意識を高める支配階級の間おいて多数派となってきたこと、この変化を政府の路線に反映することである。三つは、なによりも労働者民衆が、社会の崩壊と生存の危機に苦悩して切実に変化を求めていた、これを政治的に包摂することである。
 オバマは、この「チェンジ」にふさわしい人物として自己を押し出すことに成功したのだった。
 この選挙においてオバマは、「チェンジ」とともに「一つのアメリカ」のスローガンを強調して勝利した。
 マネーゲームで荒稼ぎした大富豪が、ボロボロになった金融会社を後に残して勝ち逃げするこの秋、米連邦軍の実動部隊が百五十年ぶりに国民の暴動に備えて国内配備された。アメリカの刑務所には、二百三十万人(世界の拘置施設人口の二割)が収容されていると言われる。民衆の不満と怒りを政治的に包摂する切り札が必要だった。民主党の大統領選候補者選出選挙が、初の女性大統領をめざすクリントンと初の黒人大統領をめざすオバマの一騎打ちになったこと、そして初の黒人大統領の誕生が感激と祝福をもって迎えられたことは、差別社会の変革をめざす民衆運動の歴史的成果であるわけだが、同時に支配階級が、カジノ資本主義に発するアメリカ社会の深刻な分裂と崩壊の修復に「サプライズ」が必要だと「決断」した結果でもあった。オバマは大統領選挙の過程を通して、アメリカの下層社会の熱烈な支持を組織し、これを背景に支配階級の一半の同意を勝ち取ったのであった。
 オバマは現在、新政権を組織し始めており、「一つのアメリカ」の仕上げを目指している。クリントンとの共同関係構築、共和党的傾向の最大限の取り込み、東部エスタブリッシュメントの全面的な協力の取り付けである。それは、彼を大統領に押し上げた原動力である下層社会との決別を準備する動きだともいえる。オバマは、かつてない大連合を実現しつつある。だがそれは、極めて危うい連合である。
ともあれ新政権は当面、アメリカの傷をいやし、一息つくための作業に集中するだろう。この政治の延長として、アメリカ帝國の国際戦略も再編されていくだろう。
 Aオバマ政権になったからと言って、カジノ資本主義が消滅し、新自由主義潮流が全く力を失うということにはならない。たとえば資本主義がケインズ主義の時代のそれにもどるということはありえない。「チェンジ」とはあくまでも、カジノ資本主義の上に立つ「第二極」主導の政治への転換以外ではあり得ない。
 今日のアメリカは、06年でみると国民総生産において「金融、保険、不動産」の比率が最も大きくなっており20・5%を占める。二位の「製造業」の1・5倍である。これは、物的生産の領域(産業)が成熟化して新規投資対象を物的生産領域に求めることができなくなり、貨幣資本が過剰化して投機資本が肥大化する傾向を反映しているのである。
「産業の成熟」は、決してアメリカの問題ではない。日本が「モノ作り立国」の可能性を云々しえてきたのは、アメリカにおけるビッグ3の衰退に象徴される産業の成熟と金融バブルとによって、日本の製造業が自動車産業を先頭に維持できていたために過ぎない。中国、インドを含めた発展途上諸国における産業の発展もまた、アメリカにはじまる産業の成熟に対応した・グローバル経済を構成する現象であり、過剰貨幣資本を吸収しきれてはいなかったのである。今回の世界金融危機を媒介に現れるのは、欧州、日本における産業の成熟の加速と投機マネーの本格的な肥大化であるだろう。
資本の自己増殖運動が向かう方向は、カジノ資本主義の拡大再生産しかないのである。だが当面は、この流れに政治的ブレーキがかけられる。このブレーキのかけようにおいて、ブルジョアジーは投機資本のさらなる一大バブル饗宴の条件づくりを、労働者民衆は資本主義にかわる新たな社会を発展させる条件の獲得を目指すことになる。危うい大連合を維持していけるか、オバマ新政権の政治手腕が問われるところである。
B日本の左翼の一部には、オバマ政権に対して、ブッシュ政権と本質的に変わらない帝国主義・新自由主義政権だとして本質還元主義的に批判する態度がある。これは誤りであり、実践的に有害である。
 そのような態度は、オバマ政権が社会の崩壊という事態に直面して労働者民衆に譲歩することを余儀なくされている点を軽視し、労働者民衆が自己の生存の必要に促迫されて資本主義と異なる仕方での社会の再建へと向かう運動空間・政治空間を獲得する大切な機会を自ら逃す態度へと連なるからである。
もちろん海の向こうのアメリカの政権交代が、ストレートに日本の政治・運動状況を規定する訳ではない。とはいえ現代はアメリカ帝国の時代、グローバル経済の時代である。アメリカの政権交代に連動して、この日本においても小泉政権として登場した「第一極」主導政権から「第二極」主導政権への政権交代の完遂が、次期総選挙を介して問われている局面にある。労働者民衆にとってこの政権交代がプラスなのかマイナスなのか、どうでもよいことなのかと。アメリカの政権交代に対する態度の如何は、日本の政権交代にたいする態度にはね返ってくるのである。
労働者民衆も、これからの激動の一時代を闘い抜く自己の政治勢力(「第三極」)を立てる過程へと入らずにいない。しかしそのためには、その基盤となる労働者民衆自身による地域社会の再建運動(それを結びついて再建される闘争力量)を、自己満足的なレベルでなく歴史を変革できる大きな流れとして勃興させることが必要である。それには、支配階級の「第二極」勢力との協力関係へと一時的・部分的にせよ踏み込まねばならない。そのことに及び腰となってこの戦場を明け渡す愚を犯してはなるまい。そこで大切になるのが、労働者民衆の団結の形成、ヘゲモニーの強化、節度ある闘争、そして階級的対決への備えである。
オバマ政権の誕生は、アメリカを含むグローバルな規模での「第三極」の形成を促すであろう。
Cオバマ政権は、軍事・外交戦略においても、ブッシュ政権の「テロ(反米武装勢力)との戦い」を否定する訳ではない。多極化を一定受け入れ、対話と協調を重視し、敵を絞り込もうとしているに過ぎない。しかしそれはそれで、転換ではある。  
取り残される趨勢に困惑しているのが日本、韓国。ホッとしているのが欧州。期待を寄せているのが中国、ロシア。注視しているのがイラン、朝鮮。身構えているのが、タリバン、アルカイダ。反米闘争の高まりとアメリカ帝国の揺らぎの狭間におかれ、不安と動揺を深めているのがイラクとアフガンの傀儡政権、等々。
世界的に、アメリカと一定距離を置いて地域的統合を重視し、国内的には市場原理主義から民衆の政治的包摂に力点をシフトする「第二極」路線が力をもってくる。東アジアにおいても然りである。軍事外交問題においても、「第二極」路線に対する是是非非の距離感をもって政治的に対処していくことが求められよう。この局面で超大国アメリカの覇権の一定の後退を、世界的規模で、東アジアで、日本で実現することは可能であり、「第三極」の政治的浮上にとって重要な闘いの一環となるに違いない。(M)