10・19反貧困世直しイッキ!大集会に二千人
  貧困なくす政治の実現を

 アメリカ発の国際金融危機から世界不況に突入しつつある現在、「反貧困」の闘いがいっそう切実になりつつある。麻生首相は不況対策を新たな口実としつつ、不当にも総選挙をずるずると引き延ばしつつあるが、来る総選挙でも「反貧困」を一大争点として政府・与党を打倒すること、そして選挙後の新政権に実効ある貧困対策を実行させていくことが問われている。
こうした情勢下、「反貧困全国キャラバン」の終盤と関連して、大阪では十月十五日〜十八日に、東京では十月十九日に「反貧困」の一連の取り組みが行なわれた。
十月十九日の東京では、「反貧困世直しイッキ!大集会」が明治公園で午後一時から行なわれ約二千人が参加、夕刻には渋谷までのパレードが行なわれた。主催は、昨年十月に多くの労働組合や市民団体などの参加で発足した「反貧困ネットワーク」。
 午後一時、公園の車両ステージに宇都宮健児さんと雨宮処凛さんが登壇。宇都宮さんは反貧困ネットワークの代表者で、サラ金被害救済でも知られる弁護士であるが、今日は「イッキ」ということで秩父困民党の装束で登場。お二人は、ムシロ旗に「反貧困」「よこせ」と大書きしたあと、集会の開会宣言を行なった。宇都宮さんは、この集会が反貧困全国キャラバンを締めくくり、さらに反貧困の運動を広げるためのものであること、今後も思想信条や系列の違いを超えて反貧困のためにネットワークしていくことが重要だと訴えた。
 つづいて、この明治公園をゴールとする反貧困全国キャラバンの到着イベントが行なわれた。この全国キャラバンは七月から東西2コースで行なわれ、449団体が参加、各地で集会や自治体要請などを展開してきたもの。「FINISHおつかれさまでした!」との横断幕が張られた簡易ゲートから、キャラバンカーとのぼり旗を林立させたキャラバン隊が行進曲にのって入場し、集会はおおいに盛り上がった。キャラバンに参加した各地の仲間からの報告、また生活保護問題対策全国会議からの報告などがなされた。
なおキャラバンでは、生活保護基準の切り下げ阻止!が主要な課題の一つとして掲げられており、明治公園でも全生連(全国生活と健康を守る会)の人々が基準切り下げ反対の請願署名を繰り広げていた。
 つづいて集会では、「STAND UP」の大きな文字看板と青パンフ(集会レジュメ)とを掲げて参加者全員で一斉に立ち上がるアクションが行なわれ、おおいに気勢を上げた。
 その後、青空の下、シート張りで分科会が行なわれた。「住まい」「食の危機」「多重債務・消費者問題」「労働」「死刑廃止」「コトバの貧困」「社会保障」「女性と貧困」「フェアトレード」「後期高齢者医療制度」「子ども」「語り合いの場」、これら十二の分科会で討論が行なわれた。「労働」分科会では、「使い捨てか、過労死か?−これってカニコー(蟹工船)じゃん、今こそつながろう」との横断幕の下、非正規雇用、長時間労働、外国人労働者などで課題の共有化をすすめる内容であった。
集会後半では、これらの分科会報告が行なわれ、マグドナルド「名ばかり管理職」裁判の高野さん、松下プラズマ偽装請負裁判の吉岡さんが、それぞれの東京地裁・大阪高裁での勝利を報告、まさに立ち上がる(スタンドアップする)ことの大事さを確認できた。
最後に、集会宣言案が、湯浅誠さん(反貧困ネットワーク事務局長)から提案され採択された。集会宣言は、「私たちが求めているのは単なる政権交代ではない。日本社会に広がる貧困を直視し、貧困の削減目標を立て、それに向けて政策を総動員する政治こそ、私たちは求める」としつつ、「労働者派遣法の抜本改正」、「社会保障費2200億円削減の撤回」、政府が「貧困削減目標を立てること」、これら三つを当面の要求として掲げている。
午後五時に長丁場の集会を終えたあと、「軍事費を社会保障にまわせ!」等を叫んで渋谷宮下公園までパレードを行なった。(東京A通信員)

    大阪では

 「反貧困全国2008キャラバンin大阪」が、十月十五〜十八日取り組まれた。
 十三日には、「貧困を生み出し続ける社会を問う」という連帯シンポが「共生型経済推進フォーラム」主催で開かれ、NPO釜ヶ崎支援機構が、いわゆるネットカフェ難民調査などの報告を行なった。
 十六日には、「垣根を越えてつながろうin大阪」と題するメイン集会が、エルおおさかで行なわれ、集会場をあふれる三百名余の参加者であった。
集会は、生活保護だけでなく、最低賃金や年金の最低額をも考え、人間らしい生活を保障させていく方向で垣根を越えて集まろうと、生活保護を受ける当事者、母子家庭の当事者、名ばかり管理職で残業代がゼロで働いた労働者などの当事者の訴え、シングルマザーやホームレスの支援、教育・医療・福祉の現場からの実情が続々と報告された。
生田武志さんが、「拡がる貧困への対抗運動を」と題する総括講演を行なった。集会は、従来では、共闘など考えられない団体が垣根をこえて実行委員会を作り、成功させた。
十八日午後、御堂会館に集まった四百名余りの参加者は、「反貧困」の統一の旗やプラカードで御堂筋をパレードした。多彩なパフォーマンスを行ないながらのパレードで、釜ヶ崎からも多数の労働者が参加した。(関西S通信員)


10・19共同行動in京都に850人
   反戦・反貧困・反差別かかげ

 「08年このままでええの?!日本と世界 10・19反戦・反貧困・反差別共同行動in京都」が十月十九日、京都市・円山野外音楽堂でひらかれ850人が参加。集会とデモ行進を行ない、反戦・反貧困を訴えた。
 主催は、10・19反戦・反貧困・反差別共同行動実行委員会で、集会は昨年につづいて二回目。仲尾宏さんをはじめ十人の代表世話人と十人の事務局メンバー、そして自由参加で毎月一回の実行委員会で運営。そこでは、さまざまな問題と課題が提起され、当日の集会でも「新自由主義グローバリゼーションと侵略戦争を許さない!」、「自公政権を打倒しよう」など十本のメインスローガンと五十本を超えるサブスローガンを掲げての集会となった。
 集会は、代表世話人の仲尾宏さんが主催者あいさつを行ない、評論家で『週刊金曜日』発行人の佐高信さんが、「このままでええの?!日本と世界」をテーマに講演。またその前後には、趙博さんと豊田勇造さんのライブが行なわれた。
 連帯アピールと現場報告では、@在日無年金障害者訴訟団原告のキム・スヨンさん、ADPI(障害者インターナショナル)日本会議・副議長の楠敏雄さん、Bユニオンネットワーク京都の田村隆洋さん、Cウトロ町内会・副会長のオム・ミョンブさん、D沖縄・辺野古への新基地に反対し、普天間基地の撤去を求める京都行動の館山真太郎さんが発言した。
 さらに国会報告では、社民党参議院議員の山内徳信さんとその秘書の服部良一さんが立ち、来る衆議院選挙での与野党逆転を訴えた。
 最後に、「私たちは、反戦・反貧困・反差別の旗を高く掲げ、広範な共同のたたかいをさらに推進していきます。未来への希望は、民衆の連帯とたたかいのなかにこそあります」との集会宣言を参加者一同で採択し、インターナショナルを歌った。
デモは、京都市内の繁華街で力強く繰り広げられ、この日、東京・明治公園で同時進行の「反貧困世直しイッキ!大集会」にエールを送った。(関西A通信員)


「10・4宣言一周年」10・26集会
   統一・平和・和解へ

 十月二六日東京で、「10・4宣言一周年の集い――統一・平和・和解」が韓統連、韓青同、民主女性会、学生協の主催で行なわれ、在日韓国朝鮮人の人々や日韓連帯運動をはじめとする日本人市民によって、会場の社会文化会館ホールを一杯とする参加であった。
 昨年秋、ノ・ムヒョン前韓国大統領が徒歩で軍事境界線を渡り、朝鮮民主主義人民共和国のキム・ジョンイル総書記との南北首脳会談を行なった。そこで交わされた10・4共同宣言は、2000年の6・15共同宣言を一歩踏み越え、南北共同事業を具現化させるものとして、北東アジアの平和と安定のみならず、世界平和にとっても大きく寄与するものとして全世界の民衆から歓迎された。
 しかし、昨年暮れの韓国大統領選で、当時の野党候補であったイ・ミョンパク氏が大統領となったことで、時計の針は逆回転しはじめ、南北関係の冷却化を迎えることとなった。ところが南北分断のもう一方の当事者であるアメリカと共和国をめぐる六者協議の進展過程で、十月十一日には、ついにブッシュ政権が日本政府の反動的な反対を押し切り、共和国に対するテロ支援国家の指定を解除するに至った。この事態は、朝鮮戦争の停戦から五十数年の歳月を経てやっと最終的な終結を見、朝米間の国交正常化が実現されること、この道が切り開かれる可能性が出てきたことを示している。それにともない、南北間、日朝間の関係改善に弾みとなる可能性も秘めている。
 こうした情勢をふまえて、集会では、金政夫(キム・ジョンブ)韓統連議長が主催者あいさつを行ない、統一・平和・和解のメッセージこそが新たな時代を切り開くキーワードであると10・4宣言の意義を高らかに表明した。連帯あいさつを、元国会議員で日朝国交正常化を求める連絡会共同代表の清水澄子さんなどから、またメッセージを福島瑞穂社民党党首などから受けた。
 集会で主催者側が用意したアンサンブルは、日帝朝鮮併合から解放・分断の歴史、在日朝鮮・韓国人の闘いの軌跡を、音楽と歌・朗読で表現したたいへんレベルの高いもので、とくに日韓連帯・在日韓国人「政治犯」救援の運動の部分は、集会参加の日本人にとっては過去の体験を再現するように構成されており、多くの人を共に感激させるものであった。最後に韓青同と学生協の青年男女が、舞台・会場通路一杯に元気な歌と舞踊を演じた。
 集会後、参加者は四ッ谷駅まで、10・4宣言の実現、日朝国交正常化などを訴えるデモ行進を行なった。(東京ku通信員)


静岡空港
  「立ち木」で開港延期に
            空港つぶせ!11・22反空港全国集会へ

 十月二九日、静岡県の石川嘉延県知事は県議会全員協議会で、静岡空港の来年三月開港を断念すると表明した。
 その説明の内容は―――空港西側の私有地に航空法の制限を超える立ち木が153本あり、また抵触する土地が約三ヶ所・8平方mある。暫定的に滑走路西側を支障物件に抵触しない位置まで東側に移動させ、滑走路を300m短縮して2200mで運用する。航空灯火などの追加工事の必要から、工事完成予定期日(〇八年十一月一日)を〇九年三月一日に変更申請する。追加工事費は一億一千万円の見込み。新たな開港時期の目途は、もっとも遅くとも来年七月。一定の目途が立った段階で責任のあり方を明確にする。原因は測量誤差、立ち木の成長などである、とするものであった。
 要は、自らの測量ミスなどの原因で、制限地域内に立ち木が残り、三月開港を断念して七月に延ばすというものである。「立ち木の成長」などという詭弁を弄しているが、地権者や空港反対団体が早期から空港事業認定取り消し訴訟などの中で指摘してきた事であり、県はそれを無視し続けてきたが、工事完成予定日直前になり認めざるを得なくなったということである。
 これは、当該地権者だけでなく、昨年来の強制収用に対して団結してきた四名の地権者の力であり、また空港はいらない静岡県民の会の運動が、県をして追い詰めた成果である。
 五年間は赤字は当然、需要予測は百六万人と県は公言しているが、実質四十万人程度といわれる静岡空港、それはまさに「いらない」空港である。七月開港延期さえも許さず、開港ではなく、県民の会が主張するように広大な用地を県民の利益のために活用する方途を切り開いていこう。
 このなか、来る十一月二十二日(土)午後一時半より、静岡市の静岡労政会館にて「空港つぶせ!第8回反空港全国集会」が開かれる。集会に結集し、静岡空港開港阻止への隊列をそろえよう。(関西東峰団結小屋維持会・渡邉)