「特掃」打ち切り策動は阻止
   8・12〜15第37回釜ヶ崎夏祭りも盛況に

 八月十二日〜十五日、大阪、釜ヶ崎で恒例の釜ヶ崎夏祭りが行なわれた。
 七二年に、ヤクザの支配する三角公園を占拠し、警察の妨害をはねのけて行なわれてから今年で第三十七回目となる。
 三角公園には、九日よりヤグラが組まれ、舞台が設けられていく。十二日は恒例の前夜祭、昼には炊き出しが行なわれ、六時より集会が行なわれた。十三日より本祭り、三角公園いっぱいに屋台、出店が並ぶ。夏祭りの間は、アルミ缶は相場より高い一キロ二〇〇円で、祭りで使えるカマ・マネーに交換できる。十三日は、労働者が一番期待し、希望者が殺到するのど自慢大会、十四日は、地域の子どもたちも交えてのスイカ割り、綱引き、十五日は、一番人気のすもう大会。今年は子どもたちの参加も多く、障がい者も参加。歴代の横綱連中を破り、今年は若者が大横綱となった。六時過ぎより、慰霊祭が行なわれた。今年、ドヤで、病院で、そして路上で亡くなった仲間達の名前が読み上げられていく。
今年は、七月に、姫路の石部工業という飯場で、労災事故のモミ消し、出面(賃金)をごまかすという悪質な、労働者の使い捨てに対して、釜日労の追及があり、労災と、賃金支払いの解決を図る労働争議が前段で取り組まれた。四月からは、シェルターでの、健康や仕事、福祉の総合相談も始まり、多くの仲間が相談に来ている。釜の医療、福祉の仕組みについて、まったく知らない、若い労働者も増えているのが目立っている。釜ヶ崎での新たな対策が求められている今年度の動向の中での、夏祭りであった。
さて、今年登場した橋下大阪府知事は、「大阪維新」と称して、財政で千二百億円ものカットと諸法人、諸施設・施策の見直し、民営化の攻撃を行なってきた。
釜ヶ崎での特別清掃についての予算は、セーフティーネットの一つとして削減ではなく、六月までの暫定予算でしかない状態であったが、六月二十四日の予算は、特掃の輪番紹介一日百九十六名、センターガードマン二十六名、計二百二十二名の枠の予算は維持されることとなった。しかし、「JOBプラザ」という就労支援事業への大幅カットは行なわれ、予断を許さない状態が続く。今年は、釜メーデーで、府庁まで二百余名の労働者のデモが行なわれ、労働者への対策を削減するな! の声を上げてきたが、引き続き、夏祭り以降の闘いが求められている。 (関西Si)


8・15「釜ツァー」に首都圏から
  初めての釜ヶ崎に触れて

 釜ヶ崎講座からのお誘いを受け、小生を含む首都圏の仲間数名が、猛暑の続く中、釜ヶ崎の夏祭りと「釜ヶ崎ツアー」に参加した。小生にとっては初めての釜ヶ崎で、以前からぜひとも訪れ、働き生活する釜の労働者の現実と闘いに触れたいと思っていた。
 釜の夏祭りは八月十二日より行なわれていたが、小生は都合で十四日に大阪に入った。JR新今宮駅に着くと、先陣の首都圏の仲間が迎えに来てくれて、右も左も分からぬ小生にとっては安堵の思いがした。すでに夕刻も回り、夏祭りの賑わいが街の中にあふれていた。
 三角公園に足を伸ばすと舞台では、演歌の歌手がコブシの効いた歌を熱唱し、ヤンヤの喝采を受けていた。舞台の右隣には祭壇が設けられており、多くの労働者の遺影に混ざり、山谷の佐藤さん・山岡さん、そして藤やん(藤井利明さん)の遺影が飾られており、そっと手を合わせた。その場で釜講座のメンバーを紹介され、翌日に釜の闘いの歴史をたどる釜ツアーが行なわれることが告げられた。夏祭りの宴もたけなわの中、釜講座の面々が首都圏組に歓迎の宴を持ってくれ、和気あいあいのひと時を過ごした。
 翌十五日は、午前中からシェルター内の会議室でビデオをまじえて、90年92年の釜暴動とその背景、釜ヶ崎労働者の勝ち取ってきたもの、そして釜ヶ崎反失業連絡会、釜ヶ崎支援機構の成立という経過に関し、釜日労の山田実委員長からじきじきに解説を受け、釜ヶ崎の闘いの全体像がはっきりとした。
 午後には釜ツアーの参加者が、三角公園の舞台の前に集まった。二十名を越えるくらいの参加者には若者も結構おり、寄せ場、野宿労働者への関心の深さを痛感した。釜講座代表の渡邉充春さんから、ツアー案内役の水野阿修羅さんが紹介され、水野さんの後をぞろぞろと三角公園を後にした。
 釜には医院や病院が比較的多いことを水野さんは指摘し、南に向かって歩きながら見学しつつ、これらの医療機関は地域や釜労働者のためと言うより儲けのためにここに入ってきたとその実例も挙げた。一行は、介護施設の草分けとも言うべき自彊館まで足を伸ばした。釜と隣り合わせにある元遊郭・飛田では、昔の痕跡と今の歓楽の街としての姿を垣間見た。ここにつながる民家の奥には猫塚があり、かっての芸人の町の痕跡を残し、いまだに芸人を輩出していることが紹介された。
 この後、かっての刑場でその後マッチ工場になった跡地、今は神社になっている所や、かっての釜暴動の跡などを回るたいへん意義深いツアーであり、二時間を越す行程であった。しかしながら夏の釜ツアーは入門編で、上級編は越冬闘争の折の正月に行なわれる四時間コースであるそうだ。最後は、あいりん職安の中に入り、隣のシェルター、萩ノ茶屋町内を通って支援機構の就労支援センターに行き、全行程を終了した。名案内を行なった水野さんに、参加者全員で謝意を述べ解散した。
 その後、最終日を迎えた夏祭りに夕刻より三角公園に行き、本田牧師らの執り行う慰霊祭に参加した。
 二日間のたいへん忙しい日程であったが、一度も赴くことができなかった釜ヶ崎の最深部と、歴史に触れることができ、たいへん有意義な二日間であった。(首都圏K)


8・31東京都総合防災訓練に反対・監視行動
    米軍・自衛隊が治安出動

 八月三十一日、米軍・自衛隊参加の8・31東京都総合防災訓練に反対し、監視する行動が、都内の市民団体・労働団体による実行委員会によって闘われた。
 この行動は、関東大震災85周年―朝鮮人虐殺・亀戸事件を忘れない!防災に名を借りた治安出動訓練・戦争動員にNO!をスローガンに掲げつつ、早朝から訓練会場をはじめ練馬、三多摩、東部・中部・南部地域各所で、監視活動・反対活動、ビラまき、横断幕掲示等の形態で闘われた。
 今年度の防災訓練では、中央区の晴海、銀座、江東区の木場、亀戸を拠点に、練馬の自衛隊基地から地下鉄を使用して木場公園に部隊が結集し、装甲車やヘリコプター等を使って、銀座などを制圧した。葛西臨海公園では、米軍のホーバークラフト型揚陸艇やヘリが出動した。この揚陸艇の母艦である強襲揚陸艦エセックス(佐世保基地配備で、〇四年にイラク侵略戦争にも参加)が、訓練に参加している。
 毎年の東京都総合防災訓練への自衛隊の参加は、二〇〇〇年度の「ビッグレスキュー」での銀座への進出、〇六年度の荒川河川敷への大量動員とエスカレートしてきているが、今年度では、公然と自衛隊と米軍が連携して治安出動訓練を行なったのである。(なお洞爺湖サミット前の六月十七日、足立区では震災対応を名目に、区庁舎屋上ヘリポートを使った自衛隊大型ヘリの離発着訓練が行なわれた。区庁舎ヘリポートの自衛隊使用は、東京ではこれが初めて)。
 〇八年度東京都総合防災訓練に反対する人々は、午前十一時には中央区京橋に結集して、抗議のデモ行進を行なった。右翼の街宣車の妨害をものともせず、敢然と闘った。
 午後二時からは江東区民センターにおいて、「米軍・自衛隊参加の東京都総合防災訓練を問う8・31集会」を百数十名の結集で開いた。
 集会では、早朝の各監視活動の参加者から、羽田、木場、葛西公園、練馬での行動報告を受けた。特別アピールとして、桧鼻達実さん(基地のない神奈川をめざす県央共闘)が、原子力空母ジョージ・ワシントン横須賀母港化への反対をはじめ、座間、相模原の米軍再編との闘いを報告し、今後の共闘の訴えがなされた。また慎民子さん(関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会)が報告し、史実を伝え教訓とするための追悼碑建設を呼びかけた。
 連帯アピールでは、大西一平さん(立川自衛隊監視テント村)が、反戦ビラ入れ事件裁判での最高裁不当判決弾劾を訴えるなど多くの発言があった。またメッセージでは沖縄・名護のヘリ基地反対協の仲間が、県議選勝利を踏まえた議会内外の行動と辺野古現地への更なる支援を訴え、また韓国の代表からは「反戦の韓日・アジアの人民共闘」が訴えられた。各アピールを受けて、参加者は改めて闘いの決意をかためたのであった。(東京Y通信員)