福田辞任

二代続いて無責任な政権放棄
  原因は路線・政策の軽視の結果

 福田首相が、臨時国会を目の前にして、政権を放り投げた。一年前の、安倍政権と同様なぶざまな結末である。
 巷では、世襲議員としての毛並みの良さが、人並み以上の早すぎた出世となり、もろさにつながった、という評価がある。つまり、かつての派閥政治全盛期の年功序列制の順を踏んでいないから、政治家として鍛え上げられず、簡単に政権を放り投げるもろさに至ったという分析である。
もろさの原因としては、確かに一理はある。だが、これは余りにもアナクロニズムの評論である。
ことの本質は、路線・政策軽視の日本的政治風土にある。
かつての中選挙区制時代、自民党の派閥政治は全盛期であり、その当時は、代議士にもっともなりやすい条件は、「地盤(組織)、看板(知名度)、カバン(カネ) 」であった。候補者の政策などは二の次、三の次であった。有権者の側もまた、投票基準は候補者の「人柄」であり、政策内容はほとんど軽視されていた。これは、基本的に、今日でも大きく変化しているわけではない。自民党の路線や政策の内容は、多くが高級官僚に依存しているのである。
 福田首相の政権放り投げの原因には、世襲議員のもろさもあるが、より根本的な問題は、路線・政策の軽視であり、あいまいさである。福田首相は、辞任会見で、以前の政権の後処理に忙殺されたことや、野党の厳しい批判と攻撃などに恨み節を唱えたが、これは筋違いである。路線・政策における自らのあいまいさをこそ、総括すべきである。
 およそ一年前、次期総裁には麻生幹事長が確実視されていた。この中で、古賀誠・山崎拓・森喜朗ら派閥領袖や実力者各氏のすばやい「合意」で、自民党九派閥中、麻生派をのぞく八派閥の一致した支持で、福田首相が誕生した。だが、この支持者の中には、明らかに路線・政策的にみて、守旧的な利益誘導型政治の一典型である、筋金入りの族議員の実力者たちもいた。古賀誠、二階俊博、青木幹雄らの各氏である。麻生派を除く、「挙党一致」的な支持に慢心し、守旧派にもいい顔をしすぎたのか、それとも生来的に優柔不断なのか、自らの政治方向を鮮明にしないで、福田首相は以降、状況対応的にのらりくらりとしてきた。
 しかし、野党の通常国会での攻勢に抗し切れずに、福田首相は道路特定財源の一般財源化を珍しくきっぱりと宣言した。しかしこれは、単に問題解決を来年度予算過程までに先延ばししただけである。しかし、党内は、一般財源化により、さまざまな理由をつけて、予算要求が噴出し、てんやわんやとなる。これは、明らかに小泉政権、安倍政権の弱肉強食の新自由主義政策の反動である。
 その後、世界的な投機マネーによる石油、食料などの暴騰が庶民生活を直撃し、何らかの対策を採らざるを得なくなる。これにより、党内は、道路特定財源の一般財源化の時とは、比べものにならないほどの財政出動と予算分捕り競争が激化する。
役所でもまた、省益をかけた駆け引きが広がる。国交省は、来年度予算での道路財源が一般財源化で削られるのを少しでも減らそうと、目一杯の概算要求を提出する。税制改正をめぐっては、各省庁もさまざまな理由をつけて、減税を要求し、財政再建はそっちのけである。
この間、自民党内では、国内経済政策をめぐって、消費税を増税し、財政再建することにより、社会保障を堅持するという「財政再建派」と、新自由主義的な構造改革を推進し、経済成長を果たしながら、税増収・財政改革をはかるという「上げ潮派」の論争が主たるものであった。
だが、臨時国会を前にして、福田首相の足元(政策のあいまいさ・融通無碍さや党内統率力の弱さ)を見て、公明党が景気対策と称して大型補正予算を掲げ、さらに「バラマキといわれてもいい」といって定額減税をごり押し的に要求してくる。これに対し、内閣改造と党新三役の布陣をなした福田政権と党指導部は、ずるずると押されるだけでなく、麻生幹事長のように、公明党に同調する部分さえ登場してくる。他に、党内からは族議員などから二〜三兆円の補正予算どころか、十兆円規模の補正予算まで飛び出す始末である。
ここで注目すべきは、公明党と連動した麻生幹事長の動きである。景気対策の強化を名目に、定額減税に同調するだけでなく、二〇一一年度までにプライマリーバランスを黒字化する公約まで反故にしかねない姿勢である。これは、明らかに、これまでの「財政再建派」と「上げ潮派」の論争構図に、「財政積極出動派」が新たに割って入ったことを意味する。これはまたこれで、かつての利益誘導型の族議員たちを大いに刺激するものである。
自民党内での諸勢力の流動化は、とても福田首相が対処しうるレベルのものではない。そこに加えて、公明党がさらに国会開会日と会期をめぐって、セクト的な要求を強める。肝心の麻生幹事長が公明党に好意的な姿勢をとる中では、福田首相の意向が無視されるのは当然である。新テロ特措法の延長も不確実となり、バラマキ的な定額減税も確定する中で、福田首相の進退は窮(きわ)まった。福田の美学では、最早、総裁の椅子、首相の座に止まることは、考えられないのである。
しかし、その末路は、自らが招いたものである。ほぼ「挙党一致」で押された首相の座は、自己の路線・政策に同調する仲間を増やさずして、異なる路線・政策を堅持するグループの支持がいつまでも続くと思う自らの浅はかさに原因がある。
華々しい総裁選で耳目を集中し、次期衆院選で有利な立場を築こうと、自民党サイドは考えているようだが、今日の自民党内の政策上の分裂は、生半可なものではなく、総選挙後の政界再編に結びつく可能性の方がはるかに高いと言えるであろう。(T)