自公政権打倒の政権交代を実現し、
  さらに「第三極」政治勢力の形成へ前進しよう


  新自由主義隠しの福田改造内閣


 八月一日、福田首相が内閣改造を行った。しかしこれによって、福田政権に対する支持率は低迷したままで、一部の世論調査においても上昇は大幅ではなかった。政治的混迷が深まる中で総選挙に突入する流れが強まったようである。
 もっとも内閣改造の中身では、福田はその政治的意図を明確に貫いている。東アジア重視・国民生活重視の民衆懐柔路線を前面化し、アメリカ一辺倒・市場原理主義の小泉・安倍改革路線を覆い隠した。そもそも昨年の参院選挙による自民過半数割れ、安倍の政権投げ出しを受けて登場した福田政権は、そうした政治的意図を柱に据えた政権であった。しかし今回の改造までは、安倍内閣を改革派の顔ぶれを含めて基本的に引き継いできたのだった。この改造で福田は、改革派を閣内から除き、路線転換を象徴する消費者庁の担当大臣に郵政民営化に反対して一旦はなれた女性議員を登用、衰弱しながらも利益誘導型政治を体現している面々を要所に配するなど、改革路線隠しを完成させたのである。
 ここで注意しなければならないのは、この内閣改造は改革路線隠し以上のものではないということである。それというのも、超大国アメリカ、そして日本の多国籍企業が、基本的にアメリカ一辺倒、市場原理主義を求めており、自民党(自公)政権は基本的にこれらに依拠しているからである。
改革路線隠しは、こうした自民党による権力掌握を継続するためであるが、同時に、改革路線の下ではやっていけない諸階層の利害を代表する勢力がこの党の中で根強いことの結果でもあった。この矛盾は、第二次福田内閣の「路線転換」で拡大していかずにいない。福田内閣が、内閣改造によっても支持率が大きく上がらなかったのは、本質的な路線的混迷による現状打破性の欠如によるものであるだろう。
この内閣改造劇の影の主役は、労働者民衆であった。それは単に総選挙が近づいたので、世論を考慮しなければならなかったというだけの意味ではない。これからの一時代の政治構造が形成されるこの局面において、労働者民衆も声を上げ始め、支配階級における支配の在り方をめぐる政界再編動向に影響を及ぼしたということである。
今日の政界再編の動向は小泉時代を起点とする。小泉は、巨大投機マネーと多国籍企業を推進軸とする今日の資本の拡大再生産運動を維持するために、「官から民へ」「規制緩和」をやり、そのためには格差拡大も良しとし、アメリカ一辺倒・市場原理主義の旗を立てた。しかし格差・貧困問題が深刻な社会問題となり、自己の生存をかけた民衆の怒りの声が広がり、国政選挙の結果を左右するようになる。この事態を受けて支配階級のもう一つの極に、労働者民衆の懐柔・包摂を重視する潮流が登場する。それは、民主党において主流となり、自公政権も「転換」を迫られてきた訳である。

  新テロ特措法延長阻止を

 福田は、内閣改造においては、表向き東アジア重視・国民生活重視を立てて総選挙に備えるという政治目的は実現した。しかし、その効果は支持率に現れなかった。連立相手の公明党も距離を置き始める。アメリカ一辺倒・市場原理主義派との矛盾は、当然にも先鋭化せずにいない。
この秋に焦点化する新テロ特措法延長問題、日雇い派遣禁止問題、生活支援的財政出動、六者協議をめぐる攻防は、自公連立政権の命運をかけたものとならずにいない。いずれの問題も、政権内部に隠された路線的矛盾がネックとなる。
インド洋上給油という形でアフガン侵略戦争への参戦を継続するための新テロ特措法延長は、政権最大の課題である。これは、予想される参院での否決を受けて、衆院で三分の二の多数を使って再議決するシナリオが再度成立するか否か、である。公明党は、総選挙を前にして再議決への躊躇が強い。イラク・アフガンでの侵略・占領軍の敗勢の中で、自衛隊撤収への世論は強まらずにいない。そうした中での再議決工作は、福田政権のアメリカ一辺倒的側面をあらわにし、政権の内部亀裂と崩壊を加速しよう。
日雇い派遣禁止問題、あるいは、生活支援的財政出動は、構造改革による格差拡大と昨今の物価高騰・景気後退で、待ったなしの課題となっている。しかしそれらは、自民党のスポンサーである財界の目には、規制緩和と企業減税の流れを逆行させる象徴と映る。福田政権は、政権内に隠された路線的矛盾に起因する中途半端性のゆえに、各方面の高まる不満に呑み込まれていくに違いない。
 東アジア安保体制の構築を展望する六者協議は、アメリカの対朝鮮制裁解除で大きく動き出そうとしている。福田政権は、この流れに乗ろうとしているようではある。しかし福田は、拉致問題担当相として安倍の朝鮮敵視路線を体現してきた議員を入閣させており、拉致家族会を取り込む仕掛けがつまづきの石にもなるという構造を抱えている。それは、福田政権が東アジアで、なすすべもなく孤立を深めてゆく結果を予想させる。
 福田政権は、小泉・安倍改革路線に反発して離反する人々を包摂しようとするも、見捨てられていくことになるだろう。
 
  問われる大衆運動的基礎

 福田の内閣改造は、前記したように「転換」を鮮明に表現した。その限りでは中途半端なものではなかった。中途半端性は、民衆の求めるレベルからするものである。
 支配階級の立場からしても、広範な人々を包摂するには、今やもっと先に進まなければならなくなっている。日米同盟も東アジアとの共鳴関係も、ではだめで、アメリカとの一定の距離を置いた関係に転換する覚悟が求められているのである。構造改革も国民の生活も、ではだめで、「国民の生活が第一」に転換することが求められているのである。この転換は、政権交代によってのみ、一定のほど実現しうるものであるだろう。
 いま民衆が求め、実現が問われているのは、この変化である。福田・自公連立政権を打倒し政権交代を実現することである。
 同時に確認しておかねばならないのは、この変化・政権交代において形成される政権も現状では、本質的には新自由主義グローバリズムを推進するブルジョア政権でしかないということである。アメリカと一定距離を置き、国民の生活が第一を掲げようと、それは一定のほどであり、一時的なものである。それを活用することは極めて重要だが、対決もできなければならない。非正規・失業労働者の闘いと正規・非正規の階級的団結が、また社会の再建を模索する地域の運動の発展が、重要である。これらの横のつながりを広げ、「第三極」をなす政治勢力へと編み上げていかねばならない。