7・19横須賀

 「原子力空母の横須賀母港化を許さない全国集会」に一万五千
   今秋配備阻止に勝利を

 七月十九日、神奈川県横須賀市で「7・19原子力空母の横須賀母港化を許さない全国集会」が平和フォーラムや三浦半島地区労などで作る実行委員会の主催で開催され、軍港脇のヴェルニー公園をいっぱいとする一万五千人が結集、熱気あふれた集会・デモが貫徹された。九月以降とされる原子力空母の強行配備に対し、これを許さない闘いを勢いづけるものであった。
 在日米軍再編の日米合意に伴い、その重要な一環として原子力空母ジョージ・ワシントンを横須賀米海軍基地に母港化することが具体化され、このかん八月十九日の横須賀入港が予定されていた。しかし五月二二日頃、南米沖で訓練中のジョージ・ワシントンに大規模な火災が発生した。これによって米国防総省は結局、艦内修理後、横須賀入港は一ヵ月ほど遅れると日本政府に通告してきた。火災は艦内数箇所に及び負傷者も出たとの米軍当局の発表はあるものの、事故原因や損壊状況の詳細に関しては軍事機密を盾として明らかにしていない。したがって、動力源である原子炉については火災と関係なしと米軍当局は述べているが、そのまま信用することはできない。
 原子炉の危険性のみが問題となっているのではない。横須賀を母港としてきたこれまでの通常動力の各空母、ミッドウェー、インディペンデンス、キティホークはそれぞれ、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争に出撃し侵略戦争の主役となってきたし、朝鮮半島をはじめ北東アジアの緊張を醸成する主役としても機能してきた。また日本国内的にも、艦載機の離発着訓練などで厚木や横須賀の基地周辺住民の安全と平穏な生活を脅かし、墜落事故や乗組員の犯罪によって住民を殺害してきたのである。このような空母母港化の継続強化、まして原子力空母の母港化など許されるはずがない。
 このような怒りをもって全国集会はかちとられた。梅雨明けのうだるような暑さの中、自治労、日教組など神奈川県下をはじめ全国からの参加、東交や東水労、中小単産、各ユニオンなどの労働者、各地の反戦団体や地域市民グループが結集し、主催側の一万人の掛け声を上回る規模となった。
 集会では、主催者あいさつを平和フォーラムの福山真劫さんが行ない、「日米両政府は、原子力空母の横須賀配備を強行しようとしている。これは安全確認も情報公開もない原発を、東京湾に作るのと同じだ」と指摘し、まだまだ配備阻止の闘いの勝利は可能だとの強い決意を述べて参加者の共感を得た。
この後、神奈川平和運動センター代表の宇野峰雪さん、地元の「原子力空母母港化の是非を問う住民投票を成功させる会」共同代表の呉東正彦弁護士、沖縄平和運動センターの山城博治さんなどからアピールが行なわれた。世界各地からの連帯のメッセージが紹介され、また「寿」のコンサートや風刺コントなども演じられた。
デモは、米軍基地ゲート前を通り抗議するコースで行なわれたが、参加者が多数のためたいへん長時間に渡って行なわれた。この日の行動を通じて参加者は、ジョージ・ワシントン配備阻止の闘いを、横須賀現地と全国で改めて強化していくことを確認し合ったのである。
原子力空母の横須賀配備は、沖縄普天間基地移設・名護新基地建設とともに、日米軍事再編合意の中心をなすものである。ジョージ・ワシントン配備を撤回させれば、岩国への艦載機移転も白紙となる。そして、空母を始め核戦力でもある第七艦隊の日本からの縮小・撤退は、北東アジアの非核化と平和実現のための大きなテコとなる。
横須賀市民は昨年、今年と二回にわたって署名運動を展開し、母港化の是非を問う住民投票条例案を提出し、地元世論を塗り変えてきた。この地元の闘いと、遅ればせながら全国の世論とがつながり始めているのではないか。7・19全国集会に先立ち、七月十三日に同公園で行なわれた全労連など日共系の母港化反対集会も三万人(主催者発表)の大結集となっている。今のところ革新系の組織動員が主力とはいえ、母港化反対が、イラク戦争以降の流れを変えよう、9条やっぱり大事、アメリカべったりもいい加減にせい、という大きな底流と結びついたとき、力関係は決定的に変わるのではないか。(東京K通信員)

改めて問われる日本軍「慰安婦」問題
  日本は忘れても世界は知っている

 最近、日本では強制軍隊「慰安婦」問題が語られなくなっているが、国際的にはここ一年で、第二次世界大戦中のこの日本軍の重大人権侵害と、それを日本政府がいまだに解決させていないことへの批判が大きく語られるようになっている。まさに「日本は忘れても、世界は知っている」という状況なのである。
 昨年七月、アメリカ下院が日本に軍隊「慰安婦」問題の早期解決を求める決議を可決し、同様の決議が十一月にはカナダ議会で、つづいてオランダ議会、EU議会で可決された。また今年五月には国連人権理事会が、日本の人権状況報告書の中でこの問題の完全な解決を日本政府に勧告している。
 こうした状況を受け、今夏日本の市民運動は、これら各議会の決議に携わった人々や被害者をゲストとして、東京では「『慰安婦』問題の解決を求める8・8平和のための証言集会」を開き、大阪では八月十日に「『慰安婦』決議に応え、今こそ真の解決を!」関西フォーラムを開く。
 軍隊「慰安婦」問題の経過としては、一九九一年の被害者・金学順さんの東京地裁提訴に始まって、日本政府に謝罪と賠償をもとめる運動が日本の市民運動としても活発となり、これに押されて九四年八月、当時の河野洋平官房長官が「強制性」を認める談話を発表。この河野談話に基づき九五年に「アジア女性基金」が設けられた。しかし、民間募金を建て前とし、政府・議会の公式謝罪を欠いたこの「基金」は当然ながら不評を買い、被害者の多くからは拒否され、適用地域も限られたまま、昨年三月には終了となっている。また河野談話以降、教科書に記述されるようになったこの問題も、安倍政権成立など右派の台頭とともに急速に教科書から消されていった。
 各議会の「慰安婦」決議の原型となっている米下院決議では、あいまいなまま「アジア女性基金」が終わったこと、また、日本で河野談話を否定しようとする逆流が出てきたこと等の新しい情勢をふまえつつ、日本政府に対し、「日本帝国軍隊が若い女性に性的奴隷となるよう強制したことを、明瞭であいまいさのないやり方で、公式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきである」と要求している。また、「日本国首相が公的な資格での公的声明として、このような謝罪をするなら、その誠実さと、河野談話の地位をめぐる疑問を解くことに貢献するだろう」とも述べている。
 各議会での決議は、朝鮮半島やフィリッピンなど出身の市民による各国での運動の成果でもあり、また背景には冷戦終結後の傾向として、組織的レイプなど重大人権侵害に対し国境を越えた解決を重視する国際法の流れなどがあると考えられるが、六十年以上前の日本国家の犯罪がいぜん今日的問題であること、その完全な解決の必要を突きつけるものである。
 「慰安婦」問題は、本来裁判で争ったりする問題ではなく、政治的決断によって解決すべき問題、解決できる問題である。日本の法廷で争っている内、多くの被害女性が死去してしまった。生存者が生きているうちに、国会の公式謝罪決議とそれに基づく政府の措置が執られれるべきだ。また戦争犯罪と重大人権侵害の被害者の個々の救済を、講和条約とは別枠で可能とする立法が必要だ。諸野党の女性議員を中心に、「慰安婦」問題解決の法案が作られているが状況は動いていない。
近々、政権交代が行なわれるならば、この問題の解決は、自民党政治からの転換として筆頭で取られるべき課題のひとつである。(W)


8・3第13回「統一マダン東京」、例年以上の賑わい
  半島の統一、平和なアジアへ

 猛暑の続く東京の荒川区で八月三日、第十三回「統一マダン東京」が例年以上の賑わいの中で開催された。主催は同実行委員会。
 オープニングは在日韓国青年同盟などによるキノルリで、マダンが賑やかに楽しく始まった。開会あいさつを韓統連東京本部の梁ビョンヨン代表が行ない、「韓国のキャンドルデモがイ・ミョンバク政権を追い詰めており」、反民衆的政権運営は行き詰まり、統一を阻止することはできないし、6・15共同宣言、10・4共同宣言に沿って進めるのが民族的合意であると表明した。
 会場の旧真土小学校校庭には、韓国進歩連帯や民主労働党、民主労総などから寄せられたメッセージの横断幕がウリマルで書かれたままに張り出され、また、例年通りの出店ばかりではなく、韓国シチズン労働組合の労働者がトッポッキなどを作った店も出ており、例年以上の賑わいを見せていた。
 舞台では、東京朝鮮第一初中級学校の生徒さんたちの朝鮮民族舞踊や、地元荒川の道場によるテコンドー演武などが例年通りに行なわれた。今年はスペシャルゲストとして李政美(イ・ジョンミ)さんのミニコンサートと、韓流スターのクォン・ヘヒョさん(「冬のソナタ」の金次長)のトークと歌(イムジン河を歌った)、それとサイン会を行なった。
 ただしクォン・ヘヒョさんは、北の子どもたちに栄養パンを送るパン工場事業広報大使としての参加で、サイン会もパン工場賛同金を集めるのが目的であった。韓国の映画スターは、日本やアメリカとは違い民衆の社会運動に参加する人もクォンさんばかりではなく多いと聞く。
 また、マダンの後半においては、参加者にキャンドルが配られ、日が落ちた会場がまるでソウルのキャンドルデモの広場のようであり、日韓民衆連帯の明かりが灯されるようであった。
 楽しくも心に染み渡る、すばらしいマダンの一日であった。(東京Ku通信員)


雑感*8・8北京オリンピック開会式
  「和」を演出は、時代の逆説表現か

* オリンピックは、近頃ほとんど観なくなった。記憶にあるのは、高橋尚子が金メダルを取ったシドニーのマラソンくらいである。しかし今回は、開会式を観てしまった。たぶん開会式なるものを観たのは、初めてだと思う。ウイグル方面から、何かやるとの『予告』があったとのことで、観た訳である。
* もともとオリンピックは、「平和の祭典」と言われながら、実際は「大国の祭典」であり、最近では「金持ちの祭典」の色彩も濃厚になっている。今回の開会式は、中国が軍事、政治、経済のすべてにわたって「大国」「金持ち」の仲間入りをした姿を誇示する場となった。それにしても驚いたのは、金のかけようである。国威発揚に金の糸目をつけぬ、という国家意志が明け透けに表現されていた。
* 国威発揚演出のポイントは、中国四千年の「歴史」と十三億人を背景とした「マンパワー」の押し出しだった。「万余の出演者」が、「孔子」「紙」「印刷」「羅針盤」「伝統芸能」「シルクロード」「太極拳」の壮大な歴史絵巻を、一糸乱れず演じた。「孔子」がこれを観ることができたなら、絶賛したに違いない。
* 演出を通してアピールしたのは、「和」であった。中国支配層の不安を正直に表現しただけなのだろうが、ケンカ売ってんのか、と反発する人々も多いに違いない。しかし中国だけのことと考えたら大間違いだ。世界全体が、「山雨来らんと欲して、風楼に満つ」状態に入っている。日本でも戦後の「和の政治」が崩壊した。「和」は、裏返し的にこの時代を象徴する「字」と受け止めることができよう。(M)