〔沖縄からの通信〕

  6・8県議会選挙−司令塔なき野党逆転勝利
    議会多数派をどう活かすか

 日本政府は窮地に陥った。六月八日の県議会選挙が、野党26対与党22という大逆転の結果となったからだ。自民党など県政与党が過半数を割ったのは十六年ぶりである。

仲井真「沖合移動案」は県民に否定された

 仲井真知事は、選挙前は多数派維持を信じ、「私の仕事への評価となろう」などと政治的無知をさらけ出していたが、選挙敗北後は失意に打ちのめされ、「私への批判票である」などと不覚にも真意をもらした。
 日本政府側は、「普天間移設政策に変わりはない」、「県議会に権限はない」などとし、沖縄の自治に高慢に介入して、大逆転に水をかけている。仲井真もその命を受け、「辺野古基地建設の沖合移動の政策を続けていく」などなど、連日、失点をとり返そうと宣伝を続けている。
 自民・公明与党がここ十年間、日本政府じきじきのバックで、その「アメとムチ」の政策に頼って、知事も県議会多数派も手中に収めてきた。その下でも、辺野古の現地闘争は堅持され、当初の「SACO案」を破産させてきた。しかし巨大な金力、権力の前に、小さな島の人々の反戦・反基地の地域感情は、ここ十数年間、辺野古や北部の町村では押さえつけられてきたかのようであった。だが、それは、「アメとムチ」の中でも生き続け、今「辺野古NO!」多数派となって出てきたのだから驚きである。
県議選の争点は、国政的には「後期高齢者医療制度」反対を野党側が強調したが、県政の争点としては、知事・与党による辺野古新基地容認を認めるのか、認めないのか、これが最大のものであった。投票前の五月末に琉球新報が行なった県民世論調査によると、知事の「沖合移動」案への支持は13・7%にすぎず、「県外・国外に移すべき」が59・3%であった。仲井真県政の「沖合移動」案は、今回の選挙で明確に否定されたのである。
 これまで、「知事」獲得というのは、政治的な一般世間の「戦略」としてあったのであるが、「県議会多数派」獲得というのは、戦略として語られてきたことはない。なぜなら、政党間にそれを達成するほどの強い連帯感はないからだ。だから今回の結果は、まさに司令塔なき大逆転勝利と言えるのである。
 仲井真はこのかん沖縄戦歴史改ざん問題では、昨年9・29の十一万県民大会の核心点「検定意見の撤回」を、「記述の回復」「訂正申請」にねじ曲げた。また、米兵による少女暴行事件などに抗議する今年3・23の県民大会については、それへの出席を「拒絶」し、「少女が静に暮らせるように」などと言ってセカンド・レイプを行なった。
 さらに基地問題では、公約である「普天間基地の三年以内の閉鎖」を知事就任後は一度も口に出さず、公約でもない辺野古への移設について「早く建設しセイセイしたい」「事前調査に問題ない」「(環境影響評価の)方法書は確定している、住民意見は聞く必要がない」など、ことある度に県民感情を逆なでにしてきた。
 彼が、日本政府と米軍権力の前に卑屈な姿をさらけ出したことも幾度かある。あるときは、米兵犯罪の謝罪に来た司令官を階下まで「見送り」、「飼い犬のようだ」と冷笑されたこともある。「万国津梁」を象徴とする全沖縄人の尊厳をバックに日本政府や米軍に毅然たる態度を取った大田知事とは、人間の程度が違っている。
 「沖合移動」にむらがる利権屋としての、ただの政治ゴロとしての地がねが、これほど短期間に見破られるとは彼自身も思っていなかっただろう。だから「私への批判」と開き直ったのだ。彼は、知事の権威など捨てている。県民の総意が明確な形で「辺野古基地NO!」を出す前に、火事場泥棒のように自らの利権=「沖合移動」の落とし所を、日本政府の官房長官町村との間で決めようとあわてふためいている。仲井真と町村の協議は、県議選の前には非公然に、選挙後には公然と行なわれた。
開会する県議会も操れなくなる。町村も内閣改造でいなくなる、いや福田政権もろともいなくなるかもしれない。だから彼は、県民を犠牲にしての利権行為を隠すために、政府・町村との「事務協議」をあわてて行ない、この協議を辺野古基地建設の問題と言わずに「通常の業務」と言っているのである。半永久的に米軍基地に生活を犯されていく沖縄県民などは、仲井真の眼中にない。

県議会は辺野古新基地NO!を決議せよ

今や仲井真を、どのようにして「縛る」か、これが県議会の最大の課題となっている。六月二六日に開会した県議会は、議長に高嶺善伸(社民)、副議長に玉城義和(社民)を選出した。与野党逆転を印象づける人事である。
この野党多数派県議会の開会に合わせ、沖縄民衆の動きも活発になっている。「沖縄から基地をなくし世界の平和を求める市民連絡会」、「辺野古新基地建設を許さない市民共同行動」は連名で六月二六日、仲井真知事に要請書を付きつけた。その「政府V字形案の『沖合移動』要求を取り下げ『辺野古新基地反対』を求める要請」は、次のように述べる。

「沖縄県議選において、辺野古新基地建設反対派が過半数を制しました。この結果は、沖縄県民が辺野古新基地建設に圧倒的に反対してきていることを反映したものです。」
「日米両政府は、沖縄県民の『新基地反対』の意思を『パッケージ論』で潰そう躍起になってきました。アメリカは普天間基地の『危険性』を質草にしてグァムの膨大な基地建設費と辺野古新基地を手に入れようとしています。ところで、普天間基地はアメリカが沖縄県民の土地を奪い取り建設したものです。その盗品を質草にして、膨大な金品を要求するとは言語道断です。自ら『世界一危険な基地』と認めている普天間基地は、無条件に即刻閉鎖し返還すべきであり、これまでの不法行為に対しては完全に補償をして返還すべきです。」
「報道によると仲井真県政は、『沖合移動』をもって『V字形案』を認める『事務協議』を開始し、そのことを『通常の業務』と強調しました。ここであらためて確認されねばならないことは、『沖合移動』は仲井真知事の選挙公約でもなかったということです。」「知事は、この間、島袋名護市長の意向をも受けて、『沖合移動』を日本政府に要求してきましたが、今回の県議選の結果を踏まえて、『沖合移動』を撤回し、あらためて『辺野古新基地反対』を申し入れることのできる絶好のチャンスがきたものと私たちは考えています。」
「以上のことを踏まえて、下記のことを要請します。
1、 仲井真知事は、日本政府との『沖合移動』での『事務協議』を即刻取り止め、『辺野古建設反対』を申し入れること。
2、世界一危険な普天間飛行場の即時閉鎖を日米両政府に申し入れること。
3、現在進められているアセス法違反の『調査』の即時中止と、及び、あらゆる法規を無視して、県民に挑戦するかの如く進められているキャンプ・シュワブ内での『普天間移設に向けての造成工事』を即時中断させること。」

以上の知事要請を行なうとともに、平和市民連絡会、市民共同行動などは、県議会開会初日の二六日から、県庁・県議会場の前の県民広場で「テント小屋闘争」を始めた。広場で「大浦湾写真展」を開き、仲井真知事に辺野古基地拒否を迫るビラ配り等を展開している。議場からは、県議たちがテントに駆けつけて来た。そして「辺野古基地反対の議会でのまとまりを大切にして、民意に応えていきたい」等々、決意を表明していた。
また両者は、自公を除く各会派に対し、「辺野古新基地建設反対」決議の採択要請を行なっている。その要請文にあるように、「日米両政府に対抗して辺野古新基地建設を止めさせるために県議会としての意思決定がどうしても必要」である。県議会が「辺野古新基地NO!」を決議するならば、情勢の転換点になりうるものである。

民衆こそ県を動かす

辺野古、大浦湾の現地では名護ヘリ基地反対協議会などが、違法な調査を阻止すべく、海上・海中での非暴力実力闘争を、多くの困難を克服しながら今や1500日を越えて闘い続けている。県都ナハでの政治的運動は、現地での苦闘があって初めて成立する。また現地の運動も、全県民のいろいろな形、または形なき支えによって成り立つ。
県議会内外でのたたかいは、長期的には、十一万人県民大会にも示された沖縄人独自の課題との連結を遂げるだろう。日本政府に対決する沖縄民衆の独自の統一戦線を形成し、軍事基地を全面撤去させて、東アジアの平和と連帯の島、新しい沖縄を登場させるだろう。
そのために、現時点での核心点は何か。県議会の内外において、仲井真をコテンパに叩きのめし、知事を県議会と県民の意思に屈服させること、沖縄民衆が県政を反基地へ転換させること、これである。要するにそれが、「辺野古NO!」の勝利への最短距離である!(T)