動揺深めるドル基軸世界体制
      サブプライム問題でドル安とインフレ
                            堀込 純一

 六月上旬、FRB(米連邦準備制度理事会)のバーナンキ議長は、ドル安に対して、「歓迎できない物価上昇を招いている」と、異例のけん制発言をした。六月十四日に閉幕した主要八カ国(G8)財務相会合は、世界的なインフレ懸念に協調して対応することで一致したほか、ドル安を阻止するアメリカの通貨政策に一定の理解を示した。六月二九〜七月三日にかけて、ロシア・ドイツ・イギリスを歴訪したポールソン米財務長官は、ロシアで「強いドルはよいことで、国益にかなう」とコメントした。さらに、七月二日、ブッシュ大統領は洞爺湖サミットを前にして記者会見し、「米国は常に強いドル政策を支持してきた」と強調した。
 これら一連の発言は、サブプライム問題が深刻化していらいドル基軸体制が動揺し、しかも果てしなく継続する原油高にドル安が明らかに連動している事態に対して、少しでも沈静化させようとアメリカ支配層が必死となっていることを示す。

  強まるドル不信

 昨年の米住宅バブルの崩壊―サブプライム危機の露呈により、FRBは昨年八月から今年の四月にかけて七回にわたり利下げを実施した。この結果、公定歩合は、年6・25%から年2・25%に引き下げられ、FF(フェデラルファンド)金利の誘導目標は、年5・25%から年2・0%に引き下げられた。FF金利とは、銀行が一時的な資金の過不足を調整するために、銀行相互で貸し借りする際の金利のことである。これに対して、公定歩合とは、中央銀行(米ではFRB)が金融機関に対して貸し出す際の金利のことである。公定歩合を適用した中央銀行の融資は、銀行間の資金融通に比べ、最後の貸出し手段としての性格が強く、銀行間金利よりも高くなっている。
 大規模な資金供給(皮肉にもこれが今回の世界的なインフレの一因にもなっている)とともに、急速な利下げに転換したのは、サブプライム危機により、住宅会社や関係ヘッジファンドはもとより、銀行、証券会社など金融機関の資金繰りが逼迫したため、信用収縮から一部の破綻が引き起こされ、これがさらに金融恐慌へ発展するのをおさえるためであった。
 しかし、この結果は、石油・鉱石・金・穀物などの急激な値上りであり、またドル安の進行である。サブプライム問題は、ドル危機をも再び促進したのである。図1は、ドルの実質実効レート(一九七三年三月=一〇〇とした)をやや長いスパンで示したものであるが、それによると、一九八〇年代後半から一九九〇年代前半にかけて続いたドル安は、一九九〇年代後半からドル安を克服しドル高に向った。ところが、二〇〇三年ごろからふたたびドル安に陥る。そのため、二〇〇二年二月の一一二・八から二〇〇七年十一月の八六・一にまで落ち込む。ブッシュ政権はドル安を放置してきたが、サブプライム問題により、ドル安はさらに進行している。
 ドル安に厳しく反応したのは、中国であった。全国人民常務委員会の成思危・副委員長は、昨年十一月七日の会見で、「我々は弱い通貨より強い通貨を好む」といって、ドルに見切りをつけるような発言をしている。会見に同席した中国人民銀行のある高官は、もっと露骨に、「ドルは国際通貨としての地位を失いつつある」と公言している。(『日経金融新聞』二〇〇七年十一月九日付け)
 中国の外貨準備は、世界一の規模である(約一・五兆ドル)が、そのかなりの部分がドルである。放置すると、ドル安によりますます目減りしてしまうのである。このため、中国は昨年三月、外貨準備の一部を元手に政府系ファンドを設立し、積極的な運用で収益を拡大することとした。また、中国は日本に次いで多くの米国債を保有しているが、やはりその圧縮に着手し、八月末には保有残高四〇〇二億ドルと、半年で五%減少させていたのである。「実はこうしたドル離れは世界中で着実に進んでいる」(同前)といわれる。
 急激な物価値上りは、アフリカ諸国などでは食糧暴動を惹起させているが、資源保有国には有利に作用している。その一つ、ロシアは資源の高騰をもとに経済を復調させただけでなく、資源保有を外交手段にも利用している。
 メドベージェフ大統領は、今年の七月一日、G8サミット各国の主要紙との会見で、米ドルを中心にした準備通貨制度の見直しを強調した。「金融システムを新たに作り直す必要がある。このシステムは1国だけ、1通貨だけのものではない。ルーブルは石油取引で広がりをみせており、準備通貨にする可能性についても検討している」(「会見要旨」―『朝日新聞』七月三日付け朝刊)と明言し、複数の準備通貨による多極的な通貨システムを構築することを提唱している。

  米欧金利差の逆転と拡大

 七月三日、欧州中央銀行(ECB)は定例理事会で、ユーロ圏十五カ国に適用する政策金利を0・25%引き上げ、年4・25%とすることを決定した。利上げは、昨年六月いらい十三ヶ月ぶりである。
今回の利上げは、昨年のサブプライム問題以降、激しくなるインフレ高進を抑制することが最大の目的である。物価抑制を最重視するECBは、かねてから消費者物価上昇率を「2%未満」にすることを政策目標としてきたが、すでに昨年九月からこのレベルを上回っていた。しかし、昨年の夏のサブプライム問題がヨーロッパにも飛び火し、仏銀BNPバリバの三つのファンドが凍結されたことを筆頭に金融危機が継続し、利上げができなかった。だが、ヨーロッパでも、石油や食料などの物価が暴騰し、労働者、漁民、農民などの激しい闘いが展開されている。今年、六月には、消費者物価上昇率はついに四%(前年同月比)になり、一九九九年の通貨統合以来の最高水準にまで至った。こうして、フランス、スペイン、イタリアなど一部の不満を抑えて、ついに利上げに踏み切ったのである。
この結果、すでに逆転しているユーロ圏とアメリカの金利差は、図2にみられるように、さらに拡大した。
 アメリカは、前述したように、この間、急速に利下げをした。しかし、アメリカもまた激しい物価高騰で、昨年十一月以来、消費者物価上昇率はほぼ四%台を継続するようになる。この状況をまえにすると、FRBはインフレ抑制のため利上げをしたいのである。
しかし、政府による所得税減税などのテコ入れにもかかわらず、住宅・金融関連の景気悪化は継続し、六月の新車販売は十六年ぶりの低水準となり、非農業部門の就業者数は六ヶ月連続で減少する(失業率は5・5%)など、経済状況は依然として悪い。したがって、FRBは、インフレと不景気の狭間にたって、身動きができず、今年六月二十五日の米連邦公開市場委員会(FOMC)で、これまで続けていた連続利下げをやめて、金利据え置きを決定するのが、精一杯の対応なのであった。
ユーロ圏とアメリカの金利差拡大は、一九八七年のブラックマンデー(米欧の政策対立が引き金となった世界同時株安)再来の可能性もあるが、そうでなくとも、少なくとも、ドル安の国際的条件が強まることを意味する。(この間のユーロ相場は図2参照)
二〇〇六年十二月二十二日時点で、ユーロ紙幣の流通量は、ドルのそれを凌駕している。この時点で、中央銀行保管分を除くと、ユーロ紙幣流通量は六一八〇億ユーロで、公表為替相場(一ユーロ=一・三一七ドル)で換算すると約八二七〇億ドルに相当する。これは二十七日時点のドル紙幣の流通量七八二七億ドルよりも約四四〇億ドル上回っているのである。世界の外貨準備に占めるユーロの比率も、約四分の一になっている。一九九九年に十一カ国で発足したユーロ圏は、現在、十五カ国に拡大し、自国通貨をユーロに連動した諸国を含めると、「ユーロ圏」は実に四十カ国に拡大している。
ユーロの成長は、前述のドル離れの一つの背景ともなっている。すなわち、ユーロは「脱ドル」の重要な受け皿となっているのである。論者によると、今や、「ドル・ユーロ双軸時代」へ、確実に進行していると言われる。
ドル離れは、中東諸国にまで波及している。六産油国で構成される湾岸協力会議(GCC,サウジアラビア、クウェート、UAE、オマーン、バーレーン、カタール)は、域内通貨統合を二〇一〇年から始める予定であった。たしかに、これは昨年のサブプライム問題で先送りせざるをえなくなった。だが、GCCもまた、いずれそう遠くない将来に、共通市場と独自の共通通貨を発足させるのは確実である。 
サブプライム問題は、国際金融システムを動揺させ、石油・食料などの価格暴騰を生み出しただけでなく、ドル基軸体制そのものを大いに揺さぶっているのである。                                               (終)