「後期高齢者i医療制度」を廃止せよ!
  国会終幕劇を突破し

 今年四月から実施が強行された「後期高齢者医療制度」ほど、国民全体から強く広範な不評を買った施策もめずらしい。七十五歳以上の高齢者(および六十五歳以上の認定障害者)を国民健康保険などから切り離し「後期高齢者」として差別的に囲い込んだこと、保険料が年金から容赦なく天引きされたこと、この二点を中心に老人などの怒りが高まった。
 政府・与党は現在、批判を懐柔するために負担軽減策を出しているが、超高齢化のなかでは「後期高齢者」を別保険化しなければ国民健康保険などが破綻する、老人医療費の増大で世代間対立を生む、などと言ってこの制度自体は撤回しないとしている。この言い分は保険システムの相互扶助という性格を否定するものでもあるが、「後期高齢者医療制度」導入の本音が老人医療費の抑制にあることは隠しようがない。福田連立政権は、社会保障費の毎年2200億円削減という硬直した福祉切捨て策を続行しているのである。終末医療に医療費を投じるのはムダ、というファシズム思想も垣間見える。
 この制度では低所得者ほど保険料負担が増えるということが、六月四日発表の厚生労働省調査でも明らかとなったが、次第に保険料は上がる仕組みになっており、現在の団塊世代が「後期高齢者」になる頃に制度の本領が発揮されるのではないか。団塊「後期高齢者」のゲットーでの絶滅政策という状況になるのではないか。
 野党四党が一致して五月二十三日、「後期高齢者医療制度」廃止法案を参院に提出した。現状ではとりあえず、この廃止法案の成立を実現し、国民医療費のあり方など根本的論議からやり直させるべきである。
 民主党はこの廃止法案の採決にからめて、今ごろになって首相問責決議案を六月第二週に出すとしている。また六月八日投開票の沖縄県議選では、五月二六日に沖縄老人クラブ連合会が「後期高齢者医療制度」廃止を求める声明を出すなど、この制度の是非が一大争点となった。沖縄県議選で野党が勝利するならば基地問題で県政を動かすことにつながる重要な勝利であるが、参院での首相問責決議案可決のほうは遅きに失する。長期国会空転の心配もない会期末での、民主党の格好付けに終わってしまう。
 福田首相と自民党は、七月G8サミットで成果があったと政治的にアピールし、総選挙態勢を作ろうとしている。民主党はそのサミットを翼賛しているのであるから、当面政治的ヘゲモニーを明渡しているに等しい。労働者人民の反サミット行動は、こうした自民・民主の二大ブルジョア勢力に反対し、第三極的勢力を示威する行動ともなるだろう。(F)


〔緊急アピール〕

成田空港強行開港30年
    一坪共有地を守り抜こう


               2008年5月28日      関西東峰団結小屋維持会

1978年5月20日に三里塚成田空港(現成田国際空港)が強行開港されて30年となりました。成田国際空港会社は「開港30周年」のキャンペーンを展開しています。発着回数の年間30万回への増回や羽田空港の拡充動向に対するけん制など、危機意識からのなりふりかまぬ動向です。
この中で、成田国際空港会社が空港未買収地の「一坪共有地」の所有権を持つ国内や海外居住者約1200人に、権利売却を求める手紙を6月から送りつけることが報道で明らかに成りました。一坪共有者からの強奪を図ろしているのです。これは30周年キャンペーンだけでなく、2010年のB滑走路の供用開始、滑走路の拡張と発着回数増のセットで成田を超過密の空港・軍事利用の空港へさらに強化するたくらみの要になっています。
私たち東峰団結小屋維持会は、共有運動に全力で取り組みました。共有者は現在も健在です。新誘導路建設に反対するとともに、会社の一坪共有地強奪キャンペーンを許さない取り組みを強化していかなければと考えています。
 反対同盟の柳川さんから、一坪共有者の皆さんに対するアピールが発せられました。共有者の方は一坪共有地を堅持しましょう。共有者でない方も、東峰現地での住民追い出し策動に反対し、環境破壊・軍事使用の空港拡大に反対していきましょう。一人でも多くの方が現地に再び結集を。

一坪共有者の皆さんへ 
  「ひき続き一坪共有地を守ってもらいたい」
                 柳川秀夫(三里塚芝山連合空港反対同盟・世話人)

 まだ空港問題は終わっていない。空港会社は暫定滑走路を2180mから南側に延長し3500mに大きくしようとしている。国際競争の下、成田空港の巨大化は止まることがない。
 空港周辺の地域社会も巨大化の恩恵を期待して、それが地元の発展と考えている。そのことも国や空港会社にとっては、滑走路拡張の根拠ともなっている。
 周知のように今日、地球温暖化問題が世界的に深刻な問題となっているが、そのことに起因するのが大量消費の経済活動であることは、知ってのとおりだ。
 地球の許容範囲を越えてしまった経済活動が引き起こした事態をどう回復するのか命題となり、その取り組み方が問われている。経済の発展という社会的価値観は見直しを求められている。
 この観点からも、これ以上大きくする必要はないというのが反対同盟の立場だ。
 一坪共有者の皆さんも、共有地所有の意義をその視点より、御理解され、ひき続き一坪共有地を守ってもらいたい。 (08・5・20)


「9条世界会議」各地で成功、次は派兵恒久法阻止だ
   「世界は9条をえらび始めた」


 「9条世界会議」は五月四日、千葉・幕張メッセでの初日・全体会に一万五千人の参加という主催側の予想を超えた成功を収め、情勢の転換を印象づけた。二日目の分科会にも八千五百人が参加し、三日目には「戦争を廃絶するための9条世界宣言」「G8に対する9条世界会議声明」などが発せられた。海外からの参加者は三十一カ国から約百五十人であった。
これに続き、五月六日の9条世界会議・関西でも、大阪市・舞洲アリーナに八千人が参加して成功した。大阪と同日の仙台集会でも二千五百人の盛況で、五日の広島集会が千百人であった。
 大阪集会では、9条世界会議・関西共同代表の松浦悟郎さん(カトリック正義と平和協議会)が開会挨拶を述べ、海外ゲストからは、憲法24条(男女平等)の草案を起草したベアテ・シロタ・ゴードンさん、イラク開戦に抗議して米国務省を辞職した平和運動家メアリー・アン・ライトさんなどがスピーチを行なった。
 午前中から多くのブース出店、ワークショップが賑わい、内外の若い世代の発言、小山乃里子・香山リカ対談、ライブなどが行なわれ、最後に「第九で9条」やウィーシャルオーバーカムの大合唱で終わっていった。
 これら一連の「9条世界会議」は、その「世界は9条をえらび始めた」というキャッチフレーズにも示されるように、冷戦後の混迷する現代世界にこそ日本国憲法第9条の戦争放棄・戦力不保持の理念と政策が有効であること、それが良識ある国際世論となりつつあることを示すことに成功した。日本の革新勢力が護憲・平和擁護をとなえるという憲法闘争の古いイメージは、非暴力的社会変革などのための国際的な民衆の連帯という新しいイメージに塗り変えられつつある。
 9条世界会議の成功とともに、四月十七日名古屋高裁での航空自衛隊イラク派兵違憲の確定判決は、9条が生きていることを鮮明にした。こうして五月、たしかに「9条実現」の側が優位に立ったという感覚がある。しかし、この優位を持続・拡大し当面の憲法闘争に勝利していくためには、まだ課題は多く道は遠いというべきだ。当面の要点は、政界再編成の突破口にもなりつつある派兵恒久法の制定策動を阻止することだ。
 当面の行動の一つとしては、「9条改憲阻止の会」の元全学連の人々などによって準備されている「9条改憲を許さない!6・14フェスタ」がある。(東京・日比谷小音楽堂、六月十四日・午後一時半開会、四時デモ行進出発)。
この6・14行動は、昨年の安保闘争・樺さん虐殺記念日での「9条改憲を許さない6・15共同行動」の成果をひきつぎつつ、現在の改憲国民投票法、派兵恒久法策動などに反対して、新たな運動の出発点とするもの。ライブ演奏をはじめ、桑江テル子さん一人芝居、「第九で9条」合唱、またイラク派兵差し止め訴訟、反貧困、「日の丸・君が代」強制反対など各分野からスピーチが予定されている。(A)


5・3松戸憲法集会
  地域から共同戦線

 首都圏の千葉県松戸市で毎年行なわれている憲法集会は、首都圏の各地域での憲法記念日の行動のなかでも、大衆的に成功している一例である。今年の五月は「9条世界会議」の成功が話題を呼んだが、各地域における憲法共同行動の地道な努力もひきつづき問われている。
2008年松戸憲法記念日の集いは、「ひろげよう!憲法9条 不戦の誓い」との表題をかかげて、おりしも都心の日比谷公会堂でも憲法集会が行なわれている同時刻、松戸市民会館ホールにおいて、例年どおりほぼ満員の千百人を超える人々が参加して行なわれた。
主催の松戸憲法記念日の集い実行委員会には、市内六十を越える団体が結集し、一年近い月日を費やし集会成功のため協力してきた。
 主催者あいさつに始まり、市内の東葛合唱団・はるかぜによる創作憲法ミュージカル「君に会いたい」が上演された。この後、講談師の神田香織さんの講演「はだしのゲンと憲法9条」と、神田さんの十八番の創作講談「はだしのゲン」が演じられ、参加者の共感をえた。
 憲法集会終了後、「活かせ9条松戸ネット」の主催による反戦パレードが取り組まれた。百二十名を超える人々が中央公園での集会後、憲法改悪反対、自衛隊はインド洋、イラクから撤退せよとのシュプレヒコールをあげてパレードを行なった。
両主催団体によるこれらの行動は、市内の政党政派、宗教の違いを超えて実現してきたものである。(千葉S通信員)


5・23狭山事件の再審を求める市民集会
   再審決定なくして司法改革なし

 五月二十三日の「狭山デー」、東京・日比谷野外大音楽堂で「狭山事件の再審を求める市民集会」が同集会実行委員会の主催で開かれ、部落解放同盟員、市民、労組など約三千名が参加した。
 別件逮捕から四十五年、裁判員制度の是非をふくめ司法のありかたが大きく問われる中での、狭山再審要求の集会である。石川一雄さんと狭山弁護団は、一昨年五月二十三日に第三次再審請求を東京高裁に申し立てたが、いぜん狭山事件では無期懲役判決を出した控訴審以来三十四年に渡って事実調べが行なわれていない。この長期の期間、新しく出された証拠や鑑定人尋問などの事実調べが行なわれることなく、最高裁での上告棄却等、高裁での一次・二次再審棄却が強行されているのである。そして検察が隠し持つ証拠の開示が拒否され続けている。
 この日の午前中、狭山弁護団はあらたに四点の新証拠を東京高裁(門野裁判長)に提出した。今回の新証拠は、殺害現場などでの石川さん自白がでっち上げられたものあることを示すものである。刑事訴訟法では「無実を言い渡すべき明らかな証拠」が出されれば、再審が決定されねばならない。
 集会では、松岡徹・部落解放同盟中央本部書記長の基調提案をはじめ、民主党・松野信夫参院議員、社民党・福島みずほ参院議員らの挨拶、狭山弁護団(主任弁護人は中山武敏)からの新証拠提出の報告、そして石川一雄・石川早智子さんの「今度こそ再審を」の訴えが行なわれた。
 また、袴田事件・第二次再審闘争からの訴え、庭山英雄弁護士による刑事訴訟法改定案(取調べ可視化法案)の説明、そして鎌田慧さん(狭山事件の再審を求める市民の会事務局長)のまとめ発言などが行なわれた。集会アピール採択後、石川さんのお面などを付けた参加者は国会請願デモを行なった。
 この集会では、「無実の叫び45年〜いまこそ冤罪なくす司法民主化を!」との副題が付けられているように、狭山事件と志布志事件・袴田事件・足利事件などとを冤罪事件としての共通性において捉え、冤罪をなくすためには民主党提出の「取調べ可視化法案」の成立が必要だとする基調であった。集会アピールで「狭山事件は部落差別が生んだ冤罪です」と一言述べられてはいるものの、部落差別を利用した権力犯罪に対する糾弾、差別糾弾を通じた反差別の国民的共同というこれまでの狭山闘争の地平はどうなったのか、疑問とせざるをえない。
 また、再審請求には新証拠の提出が必要なため、新証拠に眼が行きがちであるが、筆跡・足跡・万年筆など旧証拠だけでも石川無実は明らかだ。石川さんは「5・23アピール」文で、「国家権力が証拠を隠蔽し続けることは、国家に因る人権侵害であり、重大な権力犯罪なのですから、証拠開示にも力を注いで頂きたい」と訴えている。5・23集会でも、裁判所は検察に証拠開示勧告を出せ、など証拠不開示という権力犯罪と闘う姿勢をより明確にすべきであった。
 現在の司法改革の論議との関連では、狭山闘争はこの証拠開示問題一つを取ってみても、来年実施予定の裁判員制度の前提条件が日本ではまったく欠いていること如実に示している。現状では、冤罪裁判に国民を動員することになるだろう。司法改革と言うならば、狭山再審を決定すること、それが第一歩だ。(東京W通信員)