韓国政治情勢
  李政権 総選挙制したが米国牛肉問題で窮地へ
    民主労働党は健闘

 4月9日に行なわれた韓国総選挙と、それ以降の韓国情勢を記すこととする。
 総選挙は、大統領選以降イ・ミョンバク政権の閣僚内定者の倫理問題が噴出し、与党ハンナラ党の苦戦も予想されたが、ノ・ムヒョン前政権の新自由主義政策による、韓国社会における社会的格差の拡大に対する怒りは、前政権与党系統合民主党には向かいこそすれ、与党ハンナラ党はこれを利用することができた。
 選挙結果は総定員二百九十九議席に対し、ハンナラ党は過半数を制する百五十三を獲得し、統合民主党は八十一にとどまった。保守の元ハンナラ党代表で大統領候補であったイ・フェチャン氏の自由先進党は十八。そしてイ・ミョンバク氏とハンナラ党で大統領候補を争ったパク・グネ氏の支持派が、ハンナラ党の公認から漏れたことに反発し、親朴連帯を結成して十四議席を獲得し、無所属当選者とハンナラ党内の親パク勢力を加えると七十議席になると言われている。以上、保守派総数では百八十五にも達し、議会の安定的運営が可能に見えるが、保守派相互の対立と駆け引きが生まれるのが、韓国社会の歴史経過である。
 一番の期待と不安要因を抱えた進歩勢力は、総選挙期間中、民主労働党の分裂の事態に充分な対応ができず、惨敗さえ考えられたが、民主労働党は地方での保守の地盤を食い破り、小選挙区で労働者と農民の候補二氏の当選を含め、五議席を確保した。一方民主労働党の平等派が離党を宣言し立ち上げた進歩新党は、ソウル首都圏を中心に前民主労働党のスター候補を前面に立て、議席獲得をめざしたが僅差で実現できなかった。
われわれは、韓国労働運動・統一民主化民衆運動にこの二十年ほどにわたりNL派、PD派の分岐のあることを承知してきた。その上にたって、運動における統一を前提に論争の発展的な前進を期待しつつ、われわれの一定の評価を行なうとすれば次のように言えるだろう。韓国の歴史性からも分断と米軍支配に対する闘いは、労働者階級解放闘争と同時的に進められるべき課題であり、一般的人権問題を上位におくべきとは到底考えられない。民主労働党においても、従北派と揶揄されている主流NL派のほうが組織の統一を主張し、幅の広さを見せている。
 以上のような選挙結果を踏まえつつも、イ・ミョンバク政権は新米政権としての色合いを押し出した途端に、韓国民から厳しい指弾を受けることとなった。米国牛の無制限の輸入を米ブッシュに確約したイ・ミョンバク大統領に対し、ソウルをはじめ各地でキャンドルデモがおこなわれ、5月24日にはソウルで五万人が参加するキャンドルデモとなった。
このデモには、公共部門の民営化を目指すイ・ミョンバク政権に対し、この撤回を求める民主労総の労働者が加わり、最大級のデモとなった。いまやイ・ミョンバク政権は、支持率が福田政権なみ、ハンナラ党も自民党なみへと急降下している。
 いまこそ日韓民衆連帯の力で、新自由主義政策の愚策を放逐し、北東アジアに民衆主体の平和を構築しよう。(Ku)


済州島4・3事件60周年記念事業が済州島・東京・大阪で
   平和実現へ歴史検証を

 韓国済州島四・三事件60周年の記念事業は、4月3日済州島平和公園で一万名が参加し慰霊祭が行なわれた。日本からは、四・三事件実体験者を含む済州島出身の在日韓国人と日本人の総勢百五十名が招待を受け、この記念事業に参加した。就任当初参加を表明していたイ・ミョンバク大統領は、マスコミ等の右翼論調に圧され、総選挙での悪影響を考慮し参加してこなかった。
 済州島四・三事件は、48年当時朝鮮半島南半分を軍事占領していた米軍の全面的支援を受けたイ・スマンが強行しようとした5月10日の南半分だけの単独選挙に反対して、島内民衆が4月3日に蜂起したことに端を発し、朝鮮戦争をはさみ三万人以上の犠牲者を出した事件であるが、四代続いた独裁政権下ではタブーとされ、韓国の歴史からも抹殺されてきた。しかし2000年のキム・デジュン政権時代に、「済州島四・三事件真相究明及び犠牲者名誉回復に関する特別法」が制定され、2003年にノ・ムヒョン前大統領は、済州島民の前で国家犯罪であると直接謝罪した。
 日本においても、4月19日大阪、4月21日東京で「済州島四・三事件60周年事業実行委員会 東京・大阪・済州島」の主催によって慰霊の集会がもたれた。東京・日暮里サニーホールで行なわれた集会では、四百人そこそこ収容のホールに七百人以上が参加し、通路も埋め尽くされ熱気あふれる集いとなった。19日の大阪でも、済州島出身者を中心に在日朝鮮・韓国人など一千人が結集した。
 東京の集会では、「済州四・三」のビデオ上映に続き黙祷が行なわれた。このあと朴慶南さんを聞き手に、済州島出身の作家・金石範さんから「済州島四・三事件の『今』」という題で講演が行なわれた。金石範さんは、「悲しみの自由の喜び」との独自の命題について語った。今までは悲しくても泣くことが出来なかった、やっと泣くことが出来る世の中となった、と済州島民が独裁と監視の中でおかれてきた状況を表現した。そして、いまだにこの事件の責任の所在は明らかにされていない、島ばかりではなく心を破壊したと、東西対立を起源とする米軍支配の問題点もえぐった。
 この後休憩を挟んで、韓国民族芸術人総連合(民芸総)済州島支会や李政美さん、それと参加実行委員会メンバーも加わった、被災島民慰霊の「民俗クッ」が演じられた。済州島の民俗クッ(巫俗儀礼)はシャーマニズムにもとづき、独自のものとしての歴史を有している(半島では朝鮮王朝の儒教推進政策により衰えた)。済州島のシャーマンは「神房(シンバン)」と呼ばれ、民俗クッではシャーマンが半島文化をあざ笑う内容となっている。この民俗クッは、済州島での四・三慰霊祭でも民芸総済州島支会が公演している。
 済州島四・三事件は、朝鮮・韓国の現代史の中で闇の部分として封印されてきたが、この日本も含めて北東アジアの平和実現のためには、その歴史的検証を問い続けなければならない。とりわけ、イ・ミョンバク現韓国政権がこのかんの過去清算に逆行し、再び「済州島四・三」を歴史から葬り去ろうとしている現状をふまえ、これらに日韓民衆連帯の力で反撃をくわえよう。(東京Ku通信員)