〔映評〕
  
  『光州5・18』 キム・ジフン監督 07年
  蜂起の全過程が感動的に

 「光州5・18」(2007年キム・ジフン監督)は、韓国内で大ヒット作品である。80年の光州を描いた映画は、これまで数多く作られてきたが、五月十八日からの民衆蜂起の全期間を青春映画の形であれ扱ったのは初めてだそうである。
 ストーリーは、タクシー運転手のカン・ミヌと高校生の弟カン・シヌ、教会にともに通いミヌが恋心を抱く看護師のパク・シネとタクシー会社の社長で父親のパク・フンス、この二家族とそこに織り成す一般市民の生活を描いている。
そこは、たまたま五月の光州であった。チョン・ドファンの政権奪取に反対し、韓国全土の大学で学生が決起した。光州でも全南大(チョンナム大)に空挺特別部隊が送り込まれ、弾圧が行なわれる。学生のデモに市民も合流する。道庁舎を制圧した部隊と市民が対峙する。二十一日、軍の無差別攻撃で多くの市民が倒れる。シヌも銃弾に倒れる。元空挺部隊大佐のパク・フンスを中心に、市民軍が組織される。道庁舎に立てこもる市民軍への空挺特別部隊の容赦の無い攻撃に、市民軍は瓦解していく。エピローグでは、ミヌとシネの架空の結婚式が、イムの行進曲(光州蜂起とその後の民衆の中でうたわれた歌)の流れる中でおこなわれる。
 大変感動的な作品であり、韓国で大ヒットしたことが頷ける。いまの韓国では、光州民衆蜂起の名誉回復がなされ、チョン・ドファンとノ・テウ(戒厳司令官としてちょっとだけ出ている)は断罪されている。それでも光州市民の中では、今でも暴徒呼ばわりされたことに大変なおののきが見られる。済州島でもそうであったように、左翼・北朝鮮との関係を指摘する言葉こそが「暴徒」なのだ。
この映画に一つだけ注文をつけるならば、市民軍の編成ばかりではなく、最も進んだ市民自治たる「自由光州」をストーリーに、入れていただきたかった。(Ku)


『実録・連合赤軍
     あさま山荘への道程

              若松孝二監督 08年
   政治総括は不在

「実録」と名を冠するとおり、時系列順にストーリーの展開がなされ、当時の運動を体験したもの、または考察しようとするものには大変判りやすい内容となっており、若松の思いが確実に表現されている大変優れた作品と言える。
しかしながら私にとっては、当時の七回大会ブンドには参加せず「党派闘争」の最大の対象と考えていたため、ブントのその後の道程はよく記憶しているのだが、映画では、ブンドそのものがもつ連赤にいたる蓋然性と敗北の必然は一切描かれていない。その点を、現代から連赤を捕らえ返そうとする若松への注文としたい。
 国際根拠地にしても山岳ゲリラにしても、当初赤軍派の主張した「高次の自然発生性」への拝き→菩薩の敗北(佐藤訪米阻止闘争)からの転換としての視点の抜け落ち、政治=軍事、軍事=政治という革命運動上最大の誤りに対する考察が不在であること。それ故に山岳ゲリラにおける官僚主義支配、個人支配そして連赤諸個人の共産主義化という観念主義に行き着くことへナレーションを含めて、一切の言及が無いこと。加藤元久(役)に「あさま山荘」で一言「勇気がなかったんだよ!」と言わせることで、感覚的にしかとらえ返していないことなど、私のように外部でありながら内部にいた人間には不充分性を拭いきれない。
しかしこの注文も、内部にいたメンバーでしか捕らえ返しが出来ない痛苦の問題である。この映画の案内本(朝日新聞出版)における塩見氏のように過去の贖罪をこの映像に求めるような、ハレンチな発言は厳に慎むべきである。ましてや外部のものによる一揆主義、唯武器主義、冒険主義などの右翼日和見主義の主張は論外と言える。
 われわれ労働者共産党は結党時に、ブンドの歴史の終了を公表した。これはブンドの歴史に対する、痛苦の総括上に立っての清算の事業がそこにあることを明らかとする。その上で連赤問題は、直接係わらなかった私にとってもこのことと切り離すことの出来ない問題である。
 これらの上で、この若松の作品は高く評価することが出来る。「実録」と言うとおり、深作欣二の「仁義なき闘い」と比較しうる、いやそれ以上の作品として仕上がっている。(K)