B滑走路供用反対4・13三理塚東峰現地行動
 成田空港未完の30年を現地で問い直そう

 四月十三日、「2010年3月B滑走路供用開始策動を許さない!『東峰の森』伐採糾弾!東峰住民の生活を守ろう!」を掲げて、4・13三里塚東峰現地行動が三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会の主催で取り組まれた。
 集会に先立って、横堀地区現地調査が行なわれた。「数日前に道路が突如トンネルに切り替えられ、そこを通らないと横堀に近づけない」と説明があり、また横堀団結小屋の周囲には今年からコンクリート柱が十八本据え付けられ、いかにも周囲と隔離しているという物々しさを感じさせた。その後、管制塔占拠三十周年の集いに参加した人々とともに、横堀大鉄塔横の原勲さんの碑へ、墓参と献杯が行なわれた。
 東峰共同出荷場での集会では、まず石井紀子さんが発言。「三月末、まず鶏舎、次に出荷場の引っ越しが行なわれ、移転しました。土間というものがいかに良かったか、というのを感じています。土間ならばゴミも泥も一緒でよかったが、リノリウムの床は大変に汚れる。新しい出荷場は密閉されていて、今まで聞こえていた騒音が聞こえず、落ち着かないくらい」と、いかに東峰の騒音がひどいか実感できる発言であった。また「いろんな形で元の出荷場を使いたいし、自分自身にとっての拠点です」とも述べた。
 関西三里塚闘争に連帯する会のメッセージ紹介のあと、らっきょう工場の平野靖識さんが発言。「らっきょう工場は三十年たった。当時、空港に反対する青年たちが、新しい有機農法に取り組んだ。当時の新しい農業は、都市の人に呼びかけられてやったが、ここは、農民自身が始めたさきがけであった。三里塚物産も、自分自身も、農民と共に生きてきたと思う」と感慨を述べ、やはり「この場所は、使い続け守り続けたい」と締め括った。
 管制塔元被告団の前田道彦さんからは、「原さんの墓参に仲間とやってきた。闘い続ける仲間のみなさん、自分たちも心は変わっていない。現在56歳になったが、56歳なりの闘いをと思っている」との発言があった。
 集会前半の後、開拓道路を通るデモを行なった。現地・山崎さんの発言によると、「発着枠1・5倍という空港会社の方針について、芝山町長が十二月の説明会で抗議の退席をした。芝山町では、すでに八割が騒音区域であり、当然受け入れられない。開拓道路の存在が空港完成を阻んでいる。暫定滑走路は短いのでアジアへの就航のみで、かつ延長したとしても燃料の問題もあり、アジア中心だろう。すでにオーバーランなども発生している」。
 デモ後の集会後半では、田んぼくらぶ、しいたけ運動、横堀団結小屋維持会などがアピールし、終了した。
 僭越ながら、ここで改めて本紙読者・諸先輩・旧友のみなさんへ、呼びかけをおこないたいと思う。筆者が初めて三里塚へ行ったのは、すでに八〇年を過ぎ、開港阻止決戦の七八年を知らない世代である。その頃から見ても、三里塚の変貌は、眼を見張るものがある。
 三里塚の現状を、明らかに「未完成」であり「暫定」であるものとして、また航空安全会議のパイロットが言う「住民・農民に人々になんと失礼なことをしているかと思う」空港であることを、ともに現地に集まり、理解したいと願う。
 関西三里塚闘争に連帯する会の今年の旗開きでは、「現地を訪れよう」という提起があったそうだ。長く現地を訪れていない方々は、ぜひその変貌――開港三十年を改めて問い直し、株式上場へあせる空港会社による攻撃を体感してほしいと願う。
 全国の反空港の仲間とともに、闘い続けよう!(関西東峰団結小屋維持会会員N)


4・20関西新空港反対!泉州現地行動
  地元自治体は財政破綻

 四月二十日、大阪府泉南市の岡田浦浜で、「4・20関西新空港反対!泉州現地集会」が泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会の主催で取り組まれた。釜ヶ崎日雇労働組合の労働者を中心に七十名程が結集。
 暑い位の日差しの中、住民連絡会代表の若野正太郎さんが主催者あいさつ、「〇七年度十二万九千回との発着回数の発表は、千五百回のヘリコプター分を加えたインチキなものだ。連絡橋の国有化問題は、地元自治体の財政破綻を促進させ、さらに関空の軍事利用を容易にさせるためのものだ」と批判した。
 参加した支援からは、釜日労の山中俊秀さんが、「橋下府知事の財政カットで特別清掃事業が縮小・廃止される危機を迎えている。最大の無駄使いの関空に反対していく」と連帯あいさつ。関西三里塚闘争に連帯する会より渡邉があいさつし、続いて関西共同行動から五月六日・大阪舞洲での「憲法9条世界会議」への呼びかけがあり、また神戸の恩田怜さん、石垣島白保に空港をつくらせない大阪の会からのメッセージが読み上げられた。
 また泉大津市の市議会議員・高橋登さんより、関空による地元自治体の財政破綻の実態報告があった。会事務局長の根本博さんより基調報告が提案され、一同で確認した後、樽井を廻っての地域デモを行なった。
 集会参加者はその後、バス『勝利号』で関空へ移動、昨年供用開始となった二期の様子を見学すると共に、代表団が空港会社を訪問し、@関西空港の二期供用を撤回すること、A空連道(空港連絡橋道路)の国への売却を断念すること、B軍事利用は絶対させないこと、これら三項目を中心とする要求書を関空・村山敦社長宛に提出した。(関西東峰団結小屋維持会 渡邉)