大江・岩波沖縄戦裁判に3・28勝利判決
  検定意見を今こそ撤回せよ

 三月二八日・大阪地裁、二年半の法廷闘争はついに判決の日が来た。午前九時半には傍聴を求め四五〇名の行列、そして十時半頃、「岩波裁判勝利」の旗が地裁から走ってきて、みんなの前に見せられた。この大江・岩波沖縄戦裁判は、名誉毀損の損賠等請求事件であるが、沖縄戦の真実、「集団自決」に日本軍の強制・軍の命令があったかどうか、それが主要な争点であった。
 深見敏正裁判長の判決は、「軍が深く関わった」であった。「関与」という表現では、このかんの教科書検定で「軍の強制」「軍によって」が抹消され、記述書き換え申請をへて結局「関与」等の記述に変えられたが、判決はそれを追認したのか、と見る人もいるだろう。しかし判決が言う「深い関与」は、誰もが否定しない抽象的な「関与」ではなく、具体的に沖縄戦認識に踏み込んだ内容となっており、文部科学省の「関与」との違いがはっきりしている中味といえる。
 判決は、まず、梅澤・赤松命令説は援護法の適用を受けるための捏造であるとする原告の主張を退けつつ、被告らが文献・取材などから軍命があったと信じる相当の理由があったとして、名誉毀損が成立しないことを確認するだけでなく、沖縄戦の史実認識に以下のように踏み込んでいる。
座間味島、渡嘉敷島では「多くの体験者が日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった際の自決用に手榴弾が交付されたと語っている」、「第32軍が防諜に意を用いており、渡嘉敷島では防衛隊員が通牒のおそれがあるとして処刑された」、「米軍に庇護された二少年、投降勧告に来た伊江島の男女六名も処刑された」、「第一、第三戦隊にとって手榴弾は極めて貴重な武器であり補給が困難であった」、「集団自決が発生したすべての場所には日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯していなかった渡嘉敷村の前島では集団自決が発生しなかったこと」等々から、「日本軍が深く関わったものと認められ」、また「それぞれの島では原告を頂点とする上意下達の組織であったことからすると、集団自決に原告梅澤及び赤松大尉が関与したことは十分に推認できる」と認定している。
 また判決は、「自決命令の伝達経路等が判然としないため、本件各書籍に記載された通りの自決命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じえない」としているが、原告側が自決命令書など狭義の軍命の有無を争点にしようとしたことを退け、沖縄戦の全体構造から軍の強制を「深い関与」との表現で認定したものといえるだろう。
 重要なことは判決が、教科書検定意見で記述改ざんの根拠とした原告梅澤陳述書、また裁判での梅澤本人証言、これらの信用性に疑問があるとしていることである。審理中のものを検定意見の根拠としたこと自体不当であるが、その根拠が判決で否定された。教科書検定意見は、まさに撤回されるしかない。(関西N)
 

イラク五周年、米軍・自衛隊の撤退求め各地で
  派兵恒久法阻止しよう

 二〇〇三年三月二十日の米ブッシュ政権などによるイラク全面侵攻から丸五年目を迎え、この二十日前後には世界各地で米英等のイラク即時撤退などを求める反戦行動が行なわれた。
 日本でも、東京ではワールドピースナウが三月二十二日、全労連など日共系が二十日に、大阪では十九日、京都では二十日など各地で取り組まれた。米ブッシュ政権に抗議するとともに、いぜん航空自衛隊のイラクでの軍事輸送を続けている日本政府に対し、イラクからの完全撤退を求めた。
 またここ一年、日本では、米国とEU諸国などによって二〇〇一年十一月以降続くアフガニスタンでの対「テロ」戦争への態度が、今一度大きく焦点化した年であった。このアフガン侵略戦争等への海上自衛隊による給油活動が、七月参院選での与党敗北によって一旦撤退を余儀なくされるという大きな事態が生じた。しかし福田連立政権は関連法案の衆院「再議決」を強行し、今年一月には自衛隊艦船のアラビア海派遣を再開した。こうして今年のイラク反戦では、アフガンからの再撤退を求める声が上げられた。
 また、この一時撤退という失態を「総括」しつつ、政府・自民党が自衛隊海外派兵の恒久法あるいは一般法の制定策動を進めている。イラク、アフガンから手を引けの声の中で、「派兵恒久法」反対の声も強められているのが情勢の特徴である。

3・22東京
  ワールドピースナウに1500人
  横須賀住民投票署名に連帯

 東京では三月二十二日の午後一時半から、東京タワー近くの芝公園23号地で、「イラク占領まる五年・武力で平和はつくれないワールドピースナウ3・22」が開催された。参加者は約一五〇〇人、近年はおよそこの規模でイラク反戦が持続されている。このワールドピースナウ実行委員会主催の枠組みでは、市民団体・個人と平和・人権・環境フォーラム参加の労働組合とがおよそ半々であるが、今年は平和フォーラム系の動員が多めであった。
 集会では、主催者あいさつがピースボートから行なわれたあと、一月までヨルダンに駐在していた原文次郎さん(元JVCスタッフ)がイラクの現状と支援活動について、また最近までイラク北部を取材していた志葉玲さん(フリーランス・ジャーナリスト)が現地報告を行なった。でたらめな口実でアメリカが開始した戦争から五年間、その結果はイラクの国と国民の虐殺・破壊・分裂である、ブッシュ大統領が増派によって治安改善などと言っているのは許しがたいペテンだと報告した。つづいて、一昨日にアフガンから帰ってきたばかりの山本英里さん(シャンティ・ボランティア・アソシエーション)が、アフガン現地報告を行なった。
また、呉東正彦さん(弁護士)が、横須賀の原子力空母母港化反対運動の報告を行なった。今月から、米原子力空母母港化の是非を問う住民投票条例を求める署名運動を再度開始した。この第二次の住民投票直接請求では、横須賀市民の底流の変化をさらに感じている。前回は署名三万八千人、今回は六万人を目指している。今年八月に原子力空母ジョージ・ワシントンが配備されようとしているが、署名運動の成果の上にこれを許さず、七月には配備反対の大集会を行なうと報告した。
集会は最後に、イラクとアフガンからの即時撤退を求める米国大統領への要請文を確認し、パレードに出発した。
パレードは、東京都の大使館安全条例なるものを口実とした警察当局の不当規制により米大使館前を通るコースを取れなかったが、米大使館を廻る形で抗議の声を上げつつ三河台公園まで行進した。(東京W通信員)

3・19大阪
市民、労組の共催で3500人

在日米軍再編・強化反対!

大阪では三月十九日、「イラク開戦五周年抗議!3・19大阪集会」が大阪平和人権センター並びにしないさせない戦争協力関西ネットワークの共催で、午後六時半から大阪市・扇町公園でもたれた。当日は強風と雨の空模様であったが、約三五〇〇名の結集で抗議の意思を確認した。
この集会ではイラク反戦とともに、在日米軍再編・強化反対!をメインスローガンに掲げている。まず議長団・主催者あいさつがあり、その中では、この二月に米兵により繰り返された沖縄女性、フィリピン女性に対する性暴行に断固として抗議する発言がなされた。
そして、今集会のメインゲストとして参院議員の山内徳信氏が紹介されると、ひときわ大きな拍手・歓声が上がった。氏は、国会を昼過ぎ抜けて飛行機に飛び乗ったが、今集会にこれだけの労働者・市民が結集していることは心より喜ばしいときり出した。参院では外交防衛委員会に所属し、辺野古移設の新基地の暴挙をはじめとする諸問題に立ち向かっている。また、何百万という人々の生活権が宙に浮いた年金問題では、怒りを行動に結実し、国会を幾重にも取り巻く大衆行動になりえていないが、一方、勇気をもらったのは、あきらめずに国を追いつめ勝利してきた薬害肝炎原告の女性たちの闘いであった、問題を解決していくのは民衆の意志力の結集であると、ゆっくりと熱をこめて語った。
デモは、市役所前・中崎町の二コースに分かれ、アメリカと日本の軍隊は即時イラクから撤退せよ!のシュプレヒコールを上げデモを貫徹した。
このかん日本の運動は、自衛隊をイラクから完全に撤退させることが未だにできず、また新テロ特別措置法の成立を阻止できず海上自衛隊艦船の再派遣を許してしまっている。世界の民衆に対して加害者の立場であり続ける日本側での運動の弱さを直視し、それを克服する中で、労働者を中心とした人民大衆の闘う共同戦線を幾重にも形成し、大きな統一戦線をめざす必要があるだろう。
なお、集会には平和人権センターの呼びかけに応えて、大阪府・市の自治体職員や教職員の労組部隊も多く参加した。大阪府は二月知事選挙で橋下知事になって、職員削減・外部委託・民営化の攻撃が激化するとみられるが、府職・各市職の労働者にはこれに屈服せず、がんばってほしいところである。その際、同じ公共サービス労働に従事する非正規や下請の働く仲間と連帯することができ、また野宿労働者など下層の民衆にも理解されうるような組合運動の方向性が問われていると言えるだろう。

3・20京都
ピースアクションに450人

なくせ!戦争と貧困

また京都では三月二十日、「イラク侵略戦争開始5年 なくせ!戦争と貧困3・20ピースアクション」が三条鴨川河川敷において約四五〇名の結集でもたれた。主催は、STOP!イラク派兵・京都。
オープニングの「スッテンコローリングストーンズ」の歌と演奏で気合を入れたあと、主催者あいさつ。続いて、守ろう憲法と平和きょうとネットの小笠原さん、真宗大谷派9条の会の工藤さんのアピール、また、このかん現地イラクのルポルタージュをしてきた西谷文和氏のメッセージが紹介された。
続いて「3分間スピーチ」では、アジア共同行動京都の池田さんが、G8サミット京都外相会談(六月〜日)に反対する実行委員会への参加を呼びかけ、また京都沖縄県人会の代表は、基地問題に意志表示できる県人会をめざすと語り、弁護士の岩佐英夫さんは、アーミテージ報告での米日共同戦略をばくろし、それに沿った派兵恒久法を許さず闘おうと訴えた。
集会は市民へのアピールを採択し、参加者は派兵恒久法反対!憲法9条改悪を許すな!生活と教育・福祉に軍事費をまわせ!の声高らかに、円山公園までデモを貫徹した。
この日の行動には、憲法、部落解放、在日外国人・朝鮮人問題など多くの戦線からそれらの担い手が広範に参加し、労働組合員や年金生活者もこれに加わっていた。京都での反改憲統一戦線の成熟への、このかんの地道な取り組みが感じられる行動であった。(関西I通信員)


「石綿健康被害救済法」の見直し求め3・20シンポ
  救済制度確立と裁判闘争の両輪で

三月二十日、東京・全水道会館で「石綿健康被害救済法の見直しを求めるシンポジウム」が石綿対策全国連絡会議の主催で行なわれ、全国から約200名が参加した。
クボタ旧神崎工場の周辺住民が悪性胸膜中皮腫になり、クボタがその補償を行なうと公表した二〇〇五年六月二九日以降、石綿問題は国民的問題として取り上げられた。石綿対策全国連絡会議は「アスベスト対策基本法制定」を要求して、短期間のうちに187万筆を越える署名を集めたが、政府は「石綿健康被害救済法」という社会的責任も被災者に対する責任もあいまいにした法律を提案し、自民公明多数派の国会はこれを可決した。
ところが、二〇〇六年三月二七日の制定直後からすぐに、この法律には沢山の問題があることが明らかとなった。この法律は制定前に死亡した人は補償対象となるが、それ以降は死亡する以前に申請をしないと救済の資格を失うというものであった。しかし、石綿による悪性胸膜中皮腫は診断も難しく特効薬もないので、被災者の家族が看病に追い回される中、申請も行なうなど非常に困難なことなのである。また病気も中皮腫と肺がんに限定され、その補償額も労災保険による給付額との間には大きな開きがあった。
「石綿健康被害救済法」は国民の要望とは大きくかけ離れた法律であり、政府は「5年以内に検討を加え見直す」といっているが、一向にその動きがなかった。救済法で定められている救済給付調整金が本年三月二六日で打ち切られることもあり、「5年を待たずに早急に見直しを求めるべきだ」という声が、患者、市民、労働組合、研究者の中からあがり、本シンポジウム開催にいたったのである。
シンポジウムでは、アスベスト被害補償のありかたを巡って、除本(よけもと)理史さん(東京経済大学准教授)、山下英俊さん(一橋大学講師)、南慎二郎(立命館大学アスベスト問題研究会)、片岡明彦さん(関西労働者安全センター)が提起を行ない、その後討論を行なった。シンポジストの提起では、「アスベスト被害は社会災害なので、企業責任に留まらず国や自治体の責任も明らかにする」、「公害健康被害補償などに匹敵する額を補償金として設定する」、「その際フランスやオランダなど災害補償制度が確立しているヨーロッパの制度が参考になる」など、興味深い提案が行なわれた。
また大阪泉南、奈良、岐阜など地域の被災者とその家族が発言し、国鉄清算事業団、ニチアス、エタニットパイプ、国に対する訴訟が始まっていることが報告され、裁判闘争と救済制度確立のための闘いを両輪にして国と企業の責任を追及していくことが確認された。特に東京土建や埼玉土建などを中心に原告200名以上に及ぶ国と企業に対する訴訟が、五月に開始される。
最近、一九七〇年代にニチアス傘下の竜田工業が生産を停止したアスベスト紡織が韓国釜山に持ち込まれ、アスベスト被害者が発生していること、その工場は次にインドネシアにアスベストを持ち込んでいることが関西労働者安全センター片岡さんから報告され、資本の海外移転の責任を追及し、アジアへの被害拡大を防ぐことも大きな課題であると確認された。すでにアスベスト根絶の日韓ネットワークが始動しており、アスベスト企業のグローバルな展開を許さず、民衆の国際連帯を強めていくことも強調された。(東京H通信員)