【沖縄からの通信】

「アセス調査」強行を許すな!辺野古新基地阻止の戦略的課題について
「県」を動かすのは沖縄民衆か日本政府か


  3・23「米兵のよるあらゆる事件・事故に
           抗議する県民大会」に六千名

 三月二十三日、「米兵によるあらゆる事件・事故に抗議する県民大会」が同実行委員会の主催によって、北谷町の北谷公園野球場前広場で開かれ、大雨にもかかわらず約六〇〇〇人が参加した。会場への道が混雑し場外にいた人も含めれば、それ以上の参加者数であったともいえる。県民大会は宮古島市、石垣市でも同時開催されている。
 この県民大会は言うまでもなく、二月十日にまたもや引き起こされた米海兵隊員による少女暴行事件に超党派・県民ぐるみで抗議することを直接の契機として準備されてきたものである。しかし県議会自民党のボイコット、仲井真知事の不参加表明という県民の総意に背く対応があり、また被害者側が告訴取り下げを強いられるという状況もあった中で、婦人連合会や子ども会関係など県民団体の主導によって、よくやりきった集会だったということができる。
ただ残念なのは、主催実行委に「超党派」の集会として押し出す姿勢が弱かったのではないか。県内すべての自治体議会で、二月の少女暴行事件への抗議決議が採択されている。仲井真らが欠席しようとも、党派や政見の違いを超え、米軍事件への抗議とその根本的是正という県民の総意にもとづいて集会を実現するのであるから、超党派の県民大会である。
県民大会では、実行委員会を代表して玉寄哲永・県子ども会育成連絡協議会会長が、「今大会は人権を保障させる運動の大きな第一歩。日米両政府に沖縄の怒りをぶつけよう」と挨拶。また、〇二年神奈川県での米兵暴行事件の被害者である女性(オーストラリア出身)が登壇、黙っていては解決にならないとする被害者自身のアピールに会場は感銘を受けた。
大会決議では、九五年少女暴行事件の以降も事態が改善されていないことを批判しつつ、@日米地位協定の抜本改正、A米軍による県民の人権侵害を根絶するための日本政府の行動、B米軍人への厳しい綱紀粛正と実効性ある再発防止策、C基地の整理・縮小と兵力削減、の四項目を要求した。この大会決議にもとづき、大会実行委の要請団が四月十日予定で、日本政府と米大使館に要請行動を行なう。
また会場では、名護ヘリ基地反対協や平和市民連絡会が、辺野古の新基地建設反対、高江のヘリパッド基地建設反対を訴え、諸悪の根源であるすべての軍事基地撤去をアピールした。

  「県」権限の最大限行使を

3・23県民大会が直接の課題としたのは、米軍犯罪根絶や地位協定改正であるが、それらの根本的解決は軍事基地を全面撤去させる以外にない。その意味で、日米両政府の普天間基地移設合意以降ここ十二年の沖縄の最大課題は、辺野古の新基地建設問題である。
那覇防衛施設局は昨年四月から、事前調査、現況調査(アセス手続きに入る前の違法行為である)などと称して辺野古での調査を強行していた。その後手続きに入り、アセスメント(環境影響評価)方法書の検討となったが、結局、三月十四日に沖縄防衛局(前・那覇防衛施設局)は方法書の追加修正とするものを県に提出し、翌十五日からアセス調査開始を強行した。今、県は、この調査強行にストップをかけ、「書き直し方法書」の公告・縦覧・意見書受付の手続きを開始しなければならない。その権限を放棄するならば、新基地建設を前提とした偽アセスを認めることになる。
沖縄県環境影響審査会は一月十六日の答申で、辺野古の沿岸域が、海藻食の哺乳動物ジュゴンが棲息しえるほど、沖縄の生物種が最も多様に生存できる地域、本来手をつけてはならない地域であることを人々に教えた。アメリカの裁判所が一月二四日、米国防総省に命じた「ジュゴン保護」の事項は当然、日本政府をも拘束し、それをクリアすることは簡単ではない。高等哺乳動物ジュゴンの複雑な生態への影響について、短期の年月で満足しうる調査を成すことは無理だろう。
そして、アセスの項目にはサンゴ類や海藻草類の採取など、県知事の許認可が必要となる項目が多い。今後、県が愚かにも防衛局の許認可申請を随時許可していったとしても、アセスの次には埋立て許認可という大きな山がある。
こうして運動は核心に近づく。辺野古新基地を阻止する闘いの核心点は、自らの県当局、知事との闘いであると断言しえるほど一点に集中してくるだろう。このかんアセス方法書への県の態度が論争の中心であった。この県の態度をせめぎ合う状況は、今後も続く。
広い視点では理屈上は、辺野古の事業者は防衛省=日本政府であるわけで、そことの闘いであるわけだが、日本政府は沖縄「県」を通じて目的を貫徹する。県民の日本政府との闘いは、「県」との闘いに収束していかざるをえない。県民・県(知事)・防衛省の三者の関係はどうなっているのか。「防衛省」は「県」を通じて沖縄県民を支配統治する。「県民」の多くは、「県」を通じてしか「防衛省」に作用できない。「県民」は、選挙、社会保障など憲法上の諸権利を「県」を通じて行使する。日常的に生活で最も接触度の強い「県」を使って運動が行なわれるとすれば、それが最も効率がよいとも言える。この関係を県民多数が明確に自覚しているとは言いがたい。
「防衛省、国が作るという以上、反対したところで実際には止める手立てはない」、「もう、おそい」、「仲井真が言うベターな方法でいくしかない」などの認識が少なからずある。このような状況認識が、仲井真知事らのペテン、簡単に容認しないふりをして徐々に受け入れていく策略を横行させてしまう。
このことには、七二年の日本復帰以降、復帰協の統一戦線から各党への分裂となり、民衆の課題を共有しようとしない革新政党にも責任がある。沖縄民衆は、長期の歴史的な「日本」との矛盾を残しつつも、無権利な恐怖状況からの解放、生存権の獲得を求めて、米軍占領支配を脱し日本の憲法体制に入ることを選択していった。それは同時に安保条約下に入ることも意味していたが、日本体制下で民主的権利を行使し、人間らしい生活を前進させるために「復帰」したはずである。
であるならば、県民自体が直接関わることができ、また獲得することも可能な「県」のもつ権限を最大限に行使しきらねばならない。それさえ全力で獲得しようとしないで、日本政府との闘いが前進すると言うならばムシがよすぎる。基地NO!を実現することに関わる、「県」のもつあらゆる権限を民衆の眼前に明瞭に示すことが必要だ。そうすれば、県民は自ら方法を見つけ出す。
アセス方法書の一件を取り上げてみると、反基地・環境保護の県民の願いがひろく存在し、それを反映する形で環境審査会が方法書の書き直しを答申し、知事はこの答申を蹴ることが政治的にできず、知事も防衛省に書き直しを求めた。防衛省もまた政治的にこれに従わざるを得なかった。県の持つ権限は、いろいろな段階にいろいろ存在する。沖縄県が民意を受け、新基地建設を防ごうと思えば、いぜんそれは可能だ。
しかし現在、稲嶺から仲井真に至る十年近くの間、この可能性はひた隠しにされ、「ベストは県外移設だが、ベターを選択せざるを得ない」という彼らの言によって、県民はマインド・コントロールをかけられてきた。日本政府の側からみると、沖縄民衆の反基地を変形させ崩すためには、県知事を使わざるを得なかったのである。反基地運動が、防衛省が事業者だから、あるいは米軍の基地だからとして各方面で闘うことは必要だが、戦略的思考をもって核心点をつかまなければ勝利はおぼつかない。核心は、「県民」が「県」を握ることだ。
辺野古新基地建設が進展するためには、日本政府が獲得しなければならない諸条件がある。沖縄での利権集団の形成、カネにものを言わせるための財政措置、いわゆる負担軽減策などであり、その上に仲井真知事と日本政府とが対立しているかのように偽装しつつ、結局沖縄県は拒否できないという虚構を作り上げることである。
これらの前提が崩れれば、辺野古は進まない。おそらく、米軍再編の中核は(琉球大学の我部政明教授が言うように)グアムへの集中であり、辺野古の計画はアメリカの純軍事的要請から産まれたものではないであろう。政治的所産であれば、政治的に動揺する。辺野古新基地計画は、決して強固なものではない。
辺野古、グアムにわたる事業は俗に3〜4兆円といわれるが、稲嶺、仲井真の出現はこの利権事業の背景なくしてありえない。十年にわたって沖縄を迷妄に追い込んでいるこの二人は、日本政府のカイライである。だから、彼らの仮面をはがし、カイライの正体を県民の前にさらけ出させることが戦略的にも重要だ。

  県民会議を早急に再確立せよ!

現在のところ、このバクロは十分には成しえていない。昨年、仲井真が、最初の方法書の受理・公告縦覧を「保留」としたときには、すべての者がだまされたと言ってよい。この時は、七月参院選で日本政府代表と県民代表・糸数慶子とが闘い、この実質的に「辺野古」を争点とする県民投票で糸数が圧勝した直後の時期であった。
糸数勝利を受け、基地の県内移設に反対する県民会議が、方法書をめぐって知事との会見を求めた。県側は副知事らが対応し、県民会議側は糸数さんをはじめ多くの国会・県会議員、構成諸団体のそうそうたる面々が揃っていた。この時、副知事は、「ブッシュ批判」「安倍内閣批判」を長々としゃべり、最高にへりくだり、会見の最後に「保留」を開帳したのである。
「保留」とはイエスにもノーにも転じることができる複雑怪奇な状態を表すが、その真意が追及されることはなかった。県民会議に責任ある中心があるやなしや、その面々が、ぬるま湯のような勝利ムードにひたっているかのようであった。その後、県民会議の動きは鈍い。山内徳信さんが参院議員となり代表を降りたが、三役もあやふやになっている。
辺野古NO!の糸数や山内に投じられた一票一票の価値が、値打ちどおりに政治的に使われているとは言いがたい。民衆のエネルギーを生かしきる方策を真剣に考えねばならない。沖縄民衆が「県」を動かす方策、これが戦略的に問われている。そのエネルギーの受け皿たるべき県民会議を、早急に再確立せよ。(T)