編集部だより

★願わくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月のころ 平安末期から鎌倉初期の漂白の歌人・西行法師の歌である。★西行は、若かりし頃、北面の武士として、平清盛と同輩だった。だが、わずか二十三歳で妻子と別れ、出家した。「花(桜)の下にて」と「きさらぎの望月のころ(釈迦入滅の時)」は、西行が深く心を寄せた歌道と仏道を象徴しているようである。★この歌は、死より七年以上前に謡われたものであるが、西行はその歌の通り、文治六(一一九〇)年二月十六日(太陽暦に直すと三月三十日)に寂滅する。まことに稀有な様に、かの歌を知る当時の人々は、大いに驚かされたという。★実際には、このような死に様は、普通はほとんどありえない。誰しも、自己の寿命がいつ途切れるか、そんなことは推し量れないからである。凡人の常で、いつまでも寿命があると思い込んで、のんべんだらりとしたり、あるいは逆に残り時間の迫る中で生き急ぎ、晩節を汚したりすることもある。★晩年の生き様は難しいことだが、やはり一期一会の心ばえが肝心なことなのであろう。茶会の心得から生まれたこの言葉は、一日を惜しみ、一日をいつくしむ身にこの上なく符合する。★今年も隣の公園の桜が、はや散る頃となった。昔の人は、桜の散る様をこそ愛でたという。(竹中)