道路特定財源
 参院での妥協ねらう税制改定案の衆院強行採決
   ムダと天下りの特定財源

 二月二十九日の夜、〇八年度予算案とガソリン税の暫定税率延長などを含む税制改正関連法案が、野党の強い反対にもかかわらず、衆議院で強行採決された。
 イージス艦事故や守屋前次官の収賄事件など諸矛盾が蓄積する防衛省問題や日銀総裁国会承認などの懸案をかかえつつも、自公与党は強行突破を行うことにより、参議院段階での野党の軟化妥協を引き出そうと、強行採決に走ったのであった。しかし、一月末の衆参議長の斡旋以降、進められた国会論戦を通して、道路特定財源という制度の反人民性はより一層明らかになってきている。
 たとえば、国土交通省職員のリフレッシュと称して野球道具やカラオケセット購入への流用(社会保険庁の年金流用と全く同じ構造)、国交省所管の公益法人との随意契約による割高な発注、天下り法人「駐車場整備推進機構」が管理運営する駐車場のいくつかがガラガラで無駄になっていること、これら所管法人への国交省OBの天下り(天下り団体を渡り歩くある大物OBは、九つの団体役員を兼ね、その生涯賃金は約十億円にもなるといわれている)などである。
 近年、社会保障費は毎年、二二〇〇億円ずつ緊縮されているという苛酷な状況があるにもかかわらず、他方、道路特定財源では、このような浪費が未だなお継続されているのである。誰しも、矛盾を感じざるを得ない。これも一重に、道路財源だけは特定財源とする制度がもたらしているものである。
 また、「10年で59兆円」という「道路整備中期計画」(08年度から10年間)そのもののデタラメさも露呈されてきている。
 冬柴国交相は、高速道路の建設基準について、「投資額に対する経済効果などの便益の割合」が、ついこの間までは、「1・2を切れば着工しない」と言っていたのが、最近は「1・0を超えれば着工する」と言って、無原則にも変節している。
 「中期計画」の根拠そのものもまた、大きく揺らいでいる。計画では、交通量は二〇二〇〜二〇三〇年でピークを迎え、台数と年間の走行距離をかけた予測数値を八〇四〇億台キロとしていたのが、最新の予測数値では、七七〇〇億台キロと大きく落ちているのである(もっと低い数値を出しているところもある)。これは、計画が〇二年の古い予測数値に基づいているためである。(図は、『朝日新聞』三月一日付け)
 本紙前号でも指摘したように、そもそも『道路整備中期計画』が、バブル期の中曽根内閣で閣議決定された『第4次全国総合開発計画』に基づいて作成されたもので、時代錯誤もはなはだしいのである。それなのに強引にも採算を疑問視された路線を含めて、この4全総計画にしたがった1万4千キロすべてを完成させようというのが『道路整備中期計画』である。そのためにかなり無理なこじつけともいうべき計画「根拠」をひねりだすために古いデータを使用していたのである。
 こうした国交省の態度は、国と道路関係4公団が、本四架橋や東京湾アクアラインなど典型的な無駄な道路造りを含め、高速道路建設で約40兆円という厖大な借金を作り出したことをなんら教訓としていないのである。
 では何故に、かつての「土建国家ニッポン」をほうふつとさせる、このような政官業の癒着をもたらす利権政治が復活しているのであろうか。
 それは、いうまでもなく、昨年の参院選での自公の歴史的大敗の最大の要因として地方での敗北をあげ、その教訓として、「地方の活性化」をかかげ、そのために公共事業の復活すなわち道路建設に飛びついたからである。
 だがそれは、余りにも無能で学習能力のなさを露呈させた政策選択でしかない。それは、時代も、経済環境も異なるかつての問題含みの経済政策に、単によりかかるだけであり、さらに大きな借金と自然破壊を残すだけの代物である。
 このような悲惨な事態をもたらす最大の要因は、道路財源が特定財源としてあることによる。道路特定財源は廃止すべきである。また、受益者負担などと言う原則は、道路造りの負の側面(環境破壊)を全く無視した独りよがりの考え方であり、道路特定財源制度を維持する理由にもならないのである。
 この間の道路財源をめぐる論戦で注目すべきもう一つの点は、地方分権、地方自治と道路財源の関係である。この間、政府・与党などの直接間接の働きかけで、全国知事会や全国市長会に属す首長は、わずか六人の市長をのぞき軒並み、暫定税率の維持に賛成している。
 たしかに、小泉政権の下での「三位一体改革」で、わずかな地方自主財源の獲得と引き換えに、地方交付税などを大幅に切り縮められた痛い経験から、地方自治体の首長たちが、暫定税率の廃止→地方財源の縮小と理解する心情も理解できないわけではない。また、民主党の言う政策、すなわち暫定税率はなくすが、地方の道路を造れるようにするという点も、やはり説得力のあるものではない。
 しかし、だからといって、道路特定財源の制度は政官業の癒着した利権政治の温床だったのであり、これ自身に反対できないと言うのは驚きであり、情けない事態でしかない。地方六団体は、地方自治の見地からきっぱりと道路特定財源の廃止をかかげ、道路財源の一般財源化・地方自主財源の拡大の提案を具体的になすべきである。
 与党が〇八年度予算案と関連の改正税制法案を強行採決した二十九日、民主党は、参議院での論戦に備えて、道路特定財源の一般財源化と暫定税率の廃止を柱とする道路特定財源制度改革法案、租税特別措置法改正案、所得税法等改正案の三法案を参院に提出した。
 このうち、道路特定財源制度改革法案には、地方自治体首長たちの反対を考慮したのか、「地方自治体の減収分を確保するため、@ガソリン税の税収の一部を地方に配分する『地方道路整備臨時交付金』の配分割合を4分の1から2分の1に改めるA国直轄の公共事業で事業費の一部を地方が負担している制度(国直轄事業負担金)を廃止する」(『読売新聞』三月一日付け)措置が盛り込まれている、という。
 しかし、民主党も道路財源の一般財源化を推し進めると同時に、財政再建や社会保障制度の再建、さらには自然保護の強化など総合的見地から再検討すべきであろう。すなわち、34年間も継続された暫定措置は直ちに廃止されるべきだとしても、財政再建の見地からその暫定税率に相当する規模ないしは準ずる規模を、環境税(の一部)、社会保障費(の一部)、地方自治体の自主財源(の一部)など、にあてるべきであろう。そして同時に、強者をより強くする新自由主義的な財政構造を転換させ、格差を是正する財政の再配分機能を復権させるべきである。(T)


海自イージス艦の漁船衝突事故糾弾!
  頭もたげる軍事優先の傲慢

 二月十九日未明、ハワイ沖での訓練からの帰途にあったイージス艦「あたご」七七〇〇トンが、仲間の漁船と船団を組んで漁場に向かっていたマグロはえ縄漁船・清徳丸七トンに衝突し沈没させた。清徳丸に乗っていた漁師親子は、二月末日現在、いまだ行方不明のままである。
 この事件は、事件解明の過程を通して、防衛省・自衛隊をむしばむ傲慢と責任回避体質の一端を衆目の前に晒した。状況は、相当深刻のようである。
 衝突事件は、イージス艦が少なくとも十二分前に右前方から接近してくる漁船団を認識しながら、回避義務を実行ぜず、自動航行のまま漁船団のただなかに突入したことによって起こった。海自OBから見ても、常識では考えられないことのようだが、当直士官が漁船団の方で回避すると判断していたというから、民に対するそこのけそこのけお馬が通る式の態度だったということである。この間、アメリカのイラク・アフガン侵略戦争への参戦、防衛庁の防衛省への昇格、対北敵視政策などによって脚光を浴びてきたことと無関係ではないだろう。その上「あたご」が、アメリカの世界戦略と直結するミサイル防衛網の最前線を担うエリート艦であり、訓練の成果を米軍に褒められて帰ってきたことを考えれば、さもありなんということである。民衆を侮る傲慢な精神が自衛隊の中に根を張ってきているのではないだろうか。
 衝突事件後の対処においても、組織の問題性が噴出した。
 そもそも被害者の救助に全力を挙げているはずの事件直後の十九日午前中に、乗組員の事情聴取に大きな精力を割いている。そして、衝突十二分前には漁船団の存在を認識していたという事実は石破防衛相自身が隠蔽し、衝突二分前になって見張りが清徳丸の緑の灯(実は別の漁船のものだった)に気付いたという海自側に都合のよい不確か情報だけを公表した。防衛省・自衛隊側は、自己の責任回避のために活発に動いていたのであった。石破は即刻辞任せよ。
 人々は、防衛省・自衛隊が組織として責任回避的で、軍隊特有の閉鎖体質だという点に不信を募らせているだけではない。防衛省上層部・幕僚集団がボロボロだということに呆れているのである。毅然と責任を取る態度が見られない、組織掌握力が弱い、事が起こって慌てふためいている、等々の姿を晒してしまったからである。
国家にとって、軍事の指令組織に対する不信は、国民統合と戦争遂行に極めて都合の悪いことである。政府は、禍を転じて福となすで、この事件を利用し、タガの緩んだ防衛省・自衛隊の引き締めを策そうとしている。だがそれは、第二・第三の清徳丸事件への道、侵略戦争の遂行のために自国民にも平気で死を強いる軍隊をめざす道である。われわれは、このような問題のすり替えを許さず、この間の右傾的流れの挫折を確かなものにしていかねばならない。(M)