1・11新テロ特措法
  衆院「再議決」へ抗議
     9条改憲阻止の会などが国会前で

 一月十一日、インド洋上での給油活動という形で、アフガン侵略戦争への参戦を再開する新テロ特措法が成立した。テロ特措法の延長断念に追い込まれた政府は、新法に切り替えて、参院での実質上の否決を衆院「三分の二」の再議決で覆してまで強行した。それは、超大国アメリカのグローバルな軍事体系に深く組み込まれ事の中に自己の延命を託す支配階級の中枢部分が演出したアメリカへの忠誠表明劇だった。
 この日、9条改憲阻止の会が国会前で、早朝からのぼり旗・横断幕・机・椅子などを設置し座り込む。昨秋以来の再会の挨拶などもかわしながら、また九州・福岡から駆けつけた新顔の人もいたりして、約四十名が集う。午前十一時ごろから集会を始める。この会の座り込みではめずらしいことだが、やはり重要法案の強行採決に抗議の意思を表そうという訳だ。辻元清美衆院議員、山内徳信参院議員も発言してくれた。
 隣でも正午から、許すな!憲法改悪・市民連絡会、憲法を生かす会、宗教者平和ネット、キリスト者平和ネットなどによる新テロ特措法の成立に反対する緊急集会が百名くらいで行われた。
 昨秋以来の新テロ特措法をめぐる攻防は、ねじれ国会状況という事態の中で「大連立」「派兵恒久法」が浮上するなど、政界再編をにらんだ展開となった。超大国アメリカとの距離の取り方、市場原理主義に対する距離の取り方をめぐる支配階級内部の抗争が熾烈化する中で、労働者民衆自身の意思をしっかり立てていかねばならない。(東京M通信員)
 

道路特定財源を廃止せよ
   利権バラマキ政治に復帰した福田政権打倒しよう

 ガソリン税の暫定税率をめぐる与野党の激しい攻防は、一月三十日の両院議長斡旋で、一時的な妥協が成立し、「つなぎ法案」の撤回が、三十一日の衆院財務金融、総務両委員会で正式に決定された。これで、通常国会は、道路特定財源について、広い視野から全面的に論議できるようになった。
ガソリン税(揮発油税と地方道路税をあわせた通称)に暫定税率が導入されたのは、一九七四年である。以来、34年間、本則税率に上乗せする暫定税率は、およそ五年ごとに延長されてきた(その間、暫定税率そのもののアップも二回ある)。
だが、34年もの長期間、継続されているものが、果たして「暫定」と言えるのであろうか。日本の国会は、完全に日本語教育の阻害者になっている。
 実は、完全に名称を偽るような法律が継続されてきたところに、自民党政治のゴマカシと、道路特定財源に群がる政官業のエゴイズムがある。
 では、道路特定財源とは、そもそもどのようなものであろうか。端的にいえば、道路特定財源とは、自動車や、それを稼働させる燃料などに課せられる税金の使い道を、一般の税金(一般財源)とは区別して、道路事業の財源に特定することである。ガソリン税収も、もともとは一般財源であったが、一九五四年以来、使途が道路だけに限定されるようになった。それは、 “道路整備は緊急に必要だ”ということで、田中角栄氏ら保守系議員らの議員立法が、前年に成立したからである。
 この道路特定財源の対象となる税金は、揮発油税・石油ガス税・自動車重量税(以上、国税の分野)、軽油取引税・自動車取得税・地方道路譲与税・石油ガス譲与税・自動車重量譲与税(以上、地方税の分野)である。
 道路特定財源は、二〇〇六年度予算では、国税分三・五兆円、地方税分二・二兆円の計五・八兆円弱、二〇〇七年度予算では、国税分三・四兆円、地方税分二・二兆円の計五・六兆円である。
 道路特定財源は、高度成長期、クルマ社会を形成し発展させ、同時に自然破壊と地球温暖化を促進してきた。それはまた、歴代政府の経済政策の中軸をなす公共事業の基幹部分を占め、“土建国家ニッポン”を推進してきた。
 
 4全総にしがみつく時代錯誤

 今や、日本の道路舗装率は、97%に達するといわれる。また、国土面積あたりの道路延長(道路密度)は、世界のトップクラスで、フランス・イギリス・イタリアの約二倍、アメリカの四倍以上の水準である。だが、国・地方を合わせた長期債務は、二〇〇八年度末の見通しで七七六兆円、GDP(国内総生産)の一四七・二%となる。これは、OECD諸国で最も悪化した状況である。
にもかかわらず、政府・与党は未だに不要不急の道路事業を続けるというのである。これは、自民・公明の連立政権ならびに国土交通省の道路政策の基本が、中曽根内閣のもとで一九八七年に閣議決定された「第4次全国総合開発計画」に基づいていることで明らかである。この計画は、1万4千キロの高規格道路を全国に張り巡らせるものであるが、現在、この内、約65%が完成され、残りは約4689キロである。
この未完成部分のうちの約4割、1789キロは、一九九九年に決定された高速道路整備計画にすでに含まれている。政官業による不要不急の道路作りに揺さぶりをかけたと見えたのが、〇五年、小泉内閣の時の道路公団の民営化である。しかし、これは結局、腰砕けとなり、無駄な道路作りを阻止する決め手とはならなかった。そして、〇六年二月、国土交通省は、高速道路整備を決める国土開発幹線自動車道建設会議を開き、一九九九年に定めた整備計画のうち、事業主体が未定だった1276キロも、すべての事業主を決定し、建設することとなった。このうち、123キロは国と地方が建設を負担しあう「新直轄方式」なるものである。
結局、4全総の1万4千キロのうち計画が決まらなかったのは、採算性が疑問視された187区間・2900キロであった。
だが、福田内閣は、昨年の十二月、「道路整備中期計画」(〇八年度から10年間)」を決定し、この2900キロも計画に盛り込んだのである。これとの関連で、ガソリン税の暫定税率は更に十年間延長されることとなり、道路整備費もこの十年で59兆円規模となったのである。 
まさに、自公連立政権は昨年の参院選で歴史的な大敗を喫したために、それを挽回すべく、なりふり構わず高度成長期のバラマキ政治に全面復帰したわけである。
バブル期直前の一九八七年に作られた4全総を後生大事に抱えた道路計画という、そのひとことだけでも、時代錯誤も甚だしい。今や新車の販売台数も、人口も減少する時代であり、地球温暖化を阻止するために物流システムの抜本的改革が要求される時代なのである。そして、財政再建が厳しく問われる中で、医療・介護・子育てなどへの手厚い手当が必要なのにもかかわらず、不要不急の道路建設にあくまでも固執するという政治姿勢は、政官業の特権的な利権に依然としてしがみついているだけなのである。 

 環境問題を放置する受益者負担原則

 道路特定財源としてあるかぎり、不要不急の道路建設という無駄は決してなくならない。根本的な問題は、「特定財源」としての性格を廃止することである。
一月二十八日、衆院予算委員会で、民主党の菅直人代表代行が、発足から54年もたった今日、道路だけが特定財源で賄う理由がどこにあるか、と質問した。これに対して、福田首相は、「道路は、自動車ユーザーという特定の集団の受益と負担の関係が明確だ。……教育・医療は国民があまねく受益者になる分野で、道路とは違う。」と答えた。これに菅代表代行は、「道路によって、納税者、国民があまねく便宜を受けている……」と、切り替えした。
だが、このやり取りは、今日の日本政治の水準の低さを赤裸々に露呈させている。そもそも、受益者負担の原則は、金科玉条のように持ち上げるべき原則なのであろうか。果たして、道路事業は、そのすべてが人間社会に益だけをもたらすものなのか。自然や社会に害をもたらすことは、一〇〇%全くないのか。
二人の議論は、この点を少しも考慮せず、道路事業は益だけをもたらす、ということを前提にしている。ならば、地球温暖化や自然破壊がもたらす諸問題は、そもそも存在しないであろう。
今や、ほとんどの人々が、無原則な道路建設や自動車交通の増大が人間社会にとって、マイナス効果の面をもつことを理解してきている。ならば、もはや「受益者原則」を振り回すのは、間違いである。道路事業は、益の面だけでなく、不利益の面もあるのであり、「加害者負担」、「加害者責任」を放置しておくことは、決してできないのである。したがって、道路財源は、不可欠な道路事業だけでなく、その負の側面を解消あるいは緩和する事業、たとえば環境対策にも優先的に使われるべきである。何も特定財源にしておく根拠は、さらさらないのである。さらに言えば、財政難のおりから、医療・介護・子育てなど優先的に充実しなければならない分野にも使途を拡大することは、あまりにも当然のことなのである。そして、地方分権との関係で言えば、道路特定財源は一種のひも付き補助金であり、これもまた廃止すべきである。(T)


ジュゴン訴訟―米連邦地裁が環境アセスを命令
  ゼロ・オプションの選択肢を

 一月二四日、サンフランシスコ連邦地裁はいわゆる「ジュゴン裁判」において、米国防総省が沖縄普天間基地の移設先とされる名護市辺野古沖のジュゴンへの影響調査を実施していないことは、米国の文化財保護法(NHPA)に違反するとし、ペンタゴンにその環境影響評価を行なうための計画書を九十日以内に提出するよう命令する判決を出した。(「ジュゴン裁判」は、日本のジュゴン保護基金などがアメリカの環境団体と共に〇三年に提訴していたもの)。
 折りしも沖縄では、辺野古新基地建設のための一方的な「環境影響評価(アセスメント)方法書」が大問題となり、にもかかわらず政府・那覇防衛施設局は二月から辺野古でのアセス調査を強行しようとしているときの、画期的な判決である。米国政府のみならず日本政府も、米裁判所のこの判断を尊重し、アセス調査着手を中止してアセス手続きのやり直しを直ちに表明すべきである。
 政府の「アセス方法書」は、そもそも対象事業の内容が、沿岸埋立V字型滑走路という以外どのような基地建設なのか不明点が多く、また影響調査の記載が不備であるとして、広く批判されてきたものである。つまり、ジュゴンなど自然環境のみならず、人間生活への影響評価もできない代物であった。
沖縄県の環境影響評価審査会は一月十六日、アセス方法書の「書き直し」を答申し、それを受けて仲井真知事も一月二十一日、「書き直し」を求める意見書を防衛施設局に提出した。知事によると、方法書が書き直されても、このかん施設局が強行してきた「公告・縦覧」などアセス手続きのやり直しは必要ないとしているが、それはどういうことか。今や、日本政府はペンタゴンと共に、アセスの計画と手続きを最初からやりなおして当然ではないのか。
今回のジュゴン裁判判決に沿って、米日政府がアセスメントを環境保護の観点から真面目に、また住民意見を尊重して行なったならばどうなるのか。重要な点は、「ゼロ・オプション」の選択肢(辺野古の場合、それは基地建設中止を意味する)を含めたアセスメントでなければ、アセスの名に値しないということだ。日本の大規模「公共」工事でのアワセメントは、もうたくさんだ。そして辺野古の新基地建設は、根本から論議のやりなおしだ。(A)
 

1・26世界社会フォーラムあらかわ
  希望と連帯の全球化を

 一月二六日、「WSF(世界社会フォーラム)あらかわ1・26グローバルアクション」が東京都荒川区で行なわれた。
 「もうひとつの世界は可能だ」を合言葉に、二〇〇一年からポルトアレグレ(ブラジル)で始まった世界社会フォーラムは、一月の同時期に行なわれる帝国主義諸政府による世界経済フォーラムの年次総会(ダボス会議)に対抗して、毎年世界中から市民運動を合流させてきた。昨年一月のWSFはナイロビで開かれたが、今年一月は世界分散行動とすることとなり、日本では昨秋に1・26グローバルアクション実行委員会が作られた。「戦争や搾取のグローバリゼイションではなく、希望と連帯のグローバリゼイションを」、こうした基調で実行委員会には、ピープルズ・プラン研究所、アタック・ジャパンなどを始め多くの市民団体・労働組合・個人が参加・賛同した。
 この日、荒川区の五か所などに分かれ各ワークショップが行なわれた。「資本と国家の東アジア共同体構想への否!とオルタナティブ」、「非正規労働者の未来と労働組合の役割」、「夕張フォーラムに向けたキックオフ集会」を始め、累積債務、遺伝子組み替え、気候変動、反貧困、家父長主義反対などなどのテーマである。
 夕方六時からは全体会が、町屋文化センター多目的ホールでひらかれ約二百人が参加した。みんなが板敷きの会場に座り込んで、パフォーマンスを楽しみ、またパネル討論に参加した。地元の東京朝鮮第一初中級学校の生徒さんらによる民族舞踊、ノレの会による韓国民衆歌謡も披露された。
 1・26グローバルアクションは大きな規模とはいえないが、同日の福田首相参加のダボス会議に対抗し、日本での市民・労働者の意思を示したものであった。また、地域(変貌しつつある東京下町の一つ「あらかわ」)から世界を考え、グローバルに行動しようという近年の運動傾向を示すものでもあった。
なお同日、札幌市では市内の市民団体などによって、「戦争・貧困・抑圧・不平等のグローバリゼイションにNO!」を掲げたデモ行進が行なわれ、また韓国ソウルでもWSF同時行動の一つが行なわれた。(東京W通信員)
 

沖縄戦裁判勝利・検定意見撤回要求1・18大阪集会
  文科省の居直りを糾弾

 一月十八日の夜、大阪市・上六の府教育会館にて、「1・18沖縄戦裁判勝利・教科書検定意見撤回要求大阪集会」が約六十名の参加で開かれた。主催は、大江・岩波沖縄戦裁判支援連絡会などによる集会実行委員会。
 この集会の主旨はひとつには、作家・大江健三郎さんらが被告とされた沖縄戦「集団自決」裁判(大阪地裁)の勝利をかちとることである(昨年十二月二十一日には原告・被告が最終準備書面を提出して結審し、三月二八日に判決が迫っている)。
また、この裁判での原告側主張を検定意見の根拠の一つとした教科書書き換え問題において、十二月二六日に文部科学省がその検定意見を撤回しないまま、出版社の訂正申請に対する検定審議会の検定結果を発表したが、それは日本軍による「命令」「強制」を認めず「関与」だけを認めるという記述訂正で居直るものであった。集会のもうひとつの主旨は、文科省のこの居直りを糾弾し、更なる共同した取り組みを強めていこうというものであった。
 集会ではまず、「沖縄出身者の立場から沖縄戦を語る」と題して、吹田市在住の真栄田義且さんのお話しを受けた。
 真栄田氏は幼少時の疎開体験を語る中で、「私どもは32軍(当時十万人)を受け入れる口減らしとして沖縄を追い出された。対馬丸撃沈事件など多くの疎開児が殺されたが、当時は緘口令が敷かれた。そして今日、記念碑には『小桜の塔』と記されて美化されている。今も沖縄の多くの地には戦争を美しく仕立て上げる記念碑の類があり、皆さん方は実際に見学された方がいい」、また近代・維新以降、沖縄民衆は愚鈍とされ、歴代支配層は皇国思想を何としても注入していくことを至上命令として実行してきたが、沖縄民衆はこれを心の中では拒んでいたと語った。氏のお話しは、今日もこの皇国観といかに対峙していくのか、このことの重要性を強調するものであったと思う。
 続いて教科書問題では、実際の執筆者であり、歴史教育者協議会委員長でもある石山久男さんが報告した。「本土と沖縄の、今回の検定結果の新聞報道の見出しを比べても認識度の差がうかがえる。まあ関与を認めているのだからいいんじゃないかなどという認識では、これからの運動は進めていかれない。軍の責任という点で極めてあいまいな形で記述される結果となり、検定審議の密室性と記述の強制という体質が一層明らかとなった」と指摘した。
また石山さんは、今の教科書検定と採択の制度そのものの是非を今後も広く国民に提起し、将来的には検定制度を廃止に追い込むべきであり、専門家のみならず父母も含めた意見審議の場づくり(社会科教科書懇談会など)が必要と語り、運動面では、歴史認識の問題は相手側(文科省、つくる会など右派団体)もかなり神経質になっているが、わが方は沖縄戦裁判の勝利と検定意見撤回を一つのものとして、四月頃には大きな集会をもち、広く国民に理解を訴えていきたいと結んだ。
 集会には、多くの現場の教育労働者も参加し、沖縄戦を始めとした歴史教育の実践報告や、改悪教育基本法に沿った新しい中教審答申(一月十七日)・学習指導要領での締め付けを許さず闘っていくとの発言がなされた。
 なお一月二十二日には東京でも、同じ主旨の集会(1・22教科書検定意見撤回を求める集会)が開かれ、沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会などの主催で約百五十名が参加した。
 判決の3・28が注目されるが、今後も各団体の連携で、皇国史観・天皇制思想の廃絶に向けて運動の発展をかちとっていこう。(関西I通信員)