第38回釜ヶ崎越冬闘争12・28〜1・6
  公的就労の拡充要求を軸に

 去る十二月二八日から一月六日まで、西成・三角公園を拠点として第38回釜ヶ崎越冬闘争がたたかわれた。
 このかんブッシュの戦争・新自由主義路線に引きづられた日本帝国主義支配層は、「構造改革」の名のもとに民衆の生活を破壊してきた。「まあ、なんとかなるやろ」という憶測はふっとび、「格差」「ワーキングプア」は全人民的な共通語になっている。こんな中でも、最下層に位置する日雇・野宿労働者は厳寒の時節の中、体をはってがんばっている。
 「まともに暮らせる仕事をよこせ」、「安心して住める寝場所つくれ」の声は、ますます真に迫ったものとなっている。今冬、釜ヶ崎越冬のたたかいは実に三十八回目を迎え、餓死・凍死者を一人も出さないを胸に、多くの当該・支援ボランティアの団結力で打ち抜かれた。
 十二月三十日、当初二八日の予定であったが雨で延びた越冬突入集会が三角公園で開催。廃材を燃やし暖を取りながら、実行委員長の山田実氏のあいさつに耳を傾ける労働者たち。駆けつけた野宿者ネットワーク、釜ヶ崎講座などの支援団体からの発言を受けて、越冬闘争は幕をあけた。
 釜ヶ崎越冬はまた、「祭り」でもある。正月を身よりなく一人で過ごす労働者は多い。通天閣の歌姫こと曽野恵子さんは、三十一日にステージに立つとともに、今年も米百キロをカンパ持参した。年越そば、もちつき、エイサー・歌謡ショーなど、年に何度もない娯楽を労働者は楽しみにし、仕事への再起を期して体を休めているのだ。この年末年始はことさら寒かった。南港臨泊は1210人。人数は下げ止まり。労働者たちはきっちりと体のことを考え、自分の将来のことを考えているのか。
 人民パトロールは三十日に西成地区内、三十一日は戎橋(この地で橋から投げ殺された故藤本さんの冥福を祈る)、一日・梅田、二日・天王寺、三日・日本橋へ。ふとん敷き、医療パトロールなど、各地から訪れたボランティアと共に進められた。
 一月四日は、これも越冬闘争期間恒例の大阪市庁・府庁への要望書を持っての、新春「御礼参り」だ。朝七時過ぎ医療センター下で、元気に今日一月四日の行動へのあいさつが始まった。釜ヶ崎日雇労組の役員によって団結のハチマキが一人ひとりに手渡される。
 山田実行委員長から挨拶、「公的就労を中心とした仕事の継続的な確保、それを土台とした野宿から抜け出せる様々な仕組みの確立、これらが解決されるまでこうした交渉をたたかい続ける」と決意表明がなされた。赤旗を先頭に三角公園までシュプレヒコール・デモ。炊き出しで腹ごしらえをした後、バス勝利号にて釜日労組合員・支援者約五十名が市庁へ向かった。
 市庁では四項目からなる要望書を読み上げ、野宿労働者の引くに引けぬ要求として突きつけた。これに対する市側の態度を、釜ヶ崎『日刊えっとう』第八号はこう紹介している。「自分には関係がないとばかりに、お預かりしました、検討させてもらいます、の一点張り。まったく旧来の役人らしいふざけたやつだった。民間企業であれば会社を背負ってお客さんの応対に出て、こんなふざけた態度をとったら即刻首じゃあ。よかったなぁ。公務員様々で! こんな役人たちが大阪市を食いつぶしてだめにしていくのだ。まじめなやつもいるのに」とバッサリ。交渉に参加した労働者からは、市側の不誠実な発言に、「ワシらに死ねというのか」「おまえらの生活さえよかったらそれでええのんか」と怒りの声が自然と出る。
 最後にシュプレヒコールを飛ばして、次の府庁前へと移動した。府側は「今年度並の予算は用意した」と述べたが、要求内容にはほど遠いと言わねばならない。御礼参り帰途のバス中では、要望書にもある「あいりん特別清掃事業」を始め継続して仕事ができる施策の拡充を、当面の要求の軸として再確認した。
 第38回釜ヶ崎越冬闘争は、シェルター閉鎖期間の短期決戦ではあったが、仲間の総団結で成功した。「自立支援法」中間見直し年にあたって、闘う側はなお一層心をひきしめて仕事づくりの施策を求めていく必要があろう。そういう意味では、近年、医療や法律の専門家たちが直接路上へ出て調査・診療・各種相談を行なう動き(兵庫・大阪・京都など)の積み重ねや交流会の立ち上げなど、協同の闘いの動きが芽ばえているが、こうした多角的支援体制の中で、野宿労働者自らが職を求めて立ち上がっていく体勢づくりが必要だ。さらに団結ガンバロー。

 釜ヶ崎の源流を訪ねて
   1・3釜ヶ崎講座「越冬ツァー」

 また一月三日には、釜ヶ崎講座が恒例の「新春ツアー」を十六名の参加で催行した。案内人は、これまで幾度となくお世話になった水野阿修羅さん。
 今年は、浪速・天王寺区の一部をめぐり、旧釜ヶ崎の移転と、下層の人々を支えてきた建物・人を知る旅となった。一心寺の「慈泉処」は、野宿労働者の医療相談を提供し、また引き取り手のない無縁仏(年間二千人強もある)をまつっている。愛染橋病院は、福祉事業の先駆者・石井十次氏の遺志を受け継ぎ、困窮者の出産・医療に対処しているとのこと。多くの外国人労働者なども住むこの地域、常に下層労働者・民衆の寄る場として推移してきたことが伺える。
 野宿を強いられる労働者、派遣法下で仕事と家を追われる若年労働者。釜ヶ崎は一層多くの解決すべき問題を抱えて動いている。「釜ヶ崎講座」もなお一層、市民と釜ヶ崎とを結びつける話題と行動力をもったものに成長していく一年となるために、汗を流す必要があるだろう。(関西I通信員)


1・14日雇全協反失業全国総決起集会
  新たな日雇層の闘いと共に

 一月十四日、東京・山谷の玉姫公園にて、日雇労組全国協議会の主催による「佐藤さん虐殺23カ年・山岡さん虐殺22カ年弾劾!反失業全国総決起集会」が開催された。
 集会は、日雇全協の各支部の仲間、支援の仲間、さらにはこのかん野宿労働者の闘いを共に担った仲間たちなど約二百五十名が結集し、黙祷をもって始められた。対金町戦を戦ったメンバーはもうわずかになっている。司会の荒木さんがそんなことにも触れながら、今年一年がんばろうと呼びかけ、参加諸団体が発言し、日雇全協各支部が締めくくった。
集会後デモに出発。国家権力による三名の仲間に対する不当逮捕攻撃を打ち破り、山谷地区を席巻するデモを貫徹した。この三名の逮捕がいかにデタラメなものかは、三名の仲間がその数時間後には釈放されたことをみても明らかである。
さて、「階級的労働運動の下層からの推進翼」を目指して一九八一年に結成された日雇全協は、八十年代には山谷において、佐藤さん・山岡さんの虐殺に抗して「対金町戦」を日雇全協の総力を結集して闘い抜いてきた。
その後「大失業時代」に入ってからは、反失業闘争を大規模に展開して特別就労事業や宿泊施設を闘い取り、NPOを結成し、「野宿者自立支援法」を勝ち取り、NPOの全国的ネットワークを形成するなど各地での野宿者支援の闘いをつなげ、また公園等からの排除を許さない闘いなどが拡大してきた。また野宿者の居住や健康などのサポートを目的としたセーフティネット組織の立ち上げ(東京での「反貧困たすけあいネットワーク」など)などもある。
最近では、ネットカフェ難民と呼ばれる人々に代表される新たな日雇層の出現が明確になってきた。こんにち、「非正規労働者」が今や全労働者の三分の一を超え、「格差社会」の中でより格差が拡大していく時代にあって、これを打ち破る新たな質を持った労働運動の創出が求められている。
 とくに注目しておかなければならないのは、こうした闘いの先頭に若者が立っていることである。今こそ、こうした闘いと結びつきつつ、共に闘う労働運動を力強くつくり出していかねばならない。(東京S通信員)