反空港闘争各地で新出発
    三理塚―B滑走路30万回計画を打ち破ろう

 年が明け、反空港の諸団体の運動が始まった。

1・6白保旗開き
1・26大阪「説明会」

 一月六日、「石垣島・白保に空港をつくらせない大阪の会」の旗開きが開かれた。
正月前に、沖縄県より届いた「新石垣空港整備事業に係わる用地補償説明会」の、東京と大阪での開催に対しての態度をめぐり議論が交わされた。これまでも、説明に来た県の職員の対応は「仕事でやらざるを得なくて来ました」というもので、説明会はポーズだけにすぎないので拒否するとの意見から、白保の反対の運動が現実的に後退し、マスコミでも推進ばかりが報じられる中で、「問題あり」という声を一つでも伝えていく場にしようとの意見も出て、活発な討論となった。
 十二月に東京での開催を経て、一月二六日午後、大阪市中央区の大阪社会福祉指導センターで、沖縄県による共有地権者への「用地補償説明会」が開催された。県からは、土木建築部新石垣空港課長以下二十名程が並ぶ中、共有地権者等二十数名が参加した。
 開始のあいさつも簡単に、直ちに事業説明に入ろうとする県に対し、共有地権者からは、まず〇二年より説明会を何回も求め、さらに工事着工以前に、との要求をも無視しつづけ、強制収用手続に入っている段階での開催ということ、しかも用地補償の説明とされている事に対しての、抗議や説明を求める声がつぎつぎと出た。東京では、時間の大半を使って県が説明を長々としたとの事もあり、参加者は、県の一方的な態度を追及した。全国に六百七十九名の共有地権者がいるので、との言い訳に終始する県に、参加者からさらに追及があり、不十分でしたとのお詫びの発言が出された。
 県の説明を短くさせ、現在、既に工事が進んでいる事態の中で起きている諸問題にしぼって、参加者から更に質問や抗議がつづいた。特に絶滅危惧種のコウモリについて、激減状態や新洞窟の可能性など、次々に現われてきた自然破壊の状態と無対策に追及が集中し、担当官が答弁できない事態が起こった。追及中、終了時間が来て、説明会を別の会場に移しての継続や、再開の約束をとの参加者からの声を押し切り、「出来ません」と言い残し、県は会場より逃げ出した。県は自らのアセス書に違反した事を次々と続け、「説明会」をアリバイ的にやろうとしたが、県は説明、答弁もせずに逃げ出したのである。工事の強行、強制収用手続の強行は断じて許されないことが、はっきりした「用地補償説明会」だった。
 白保では、村を分断される恐れで、現地の農漁民の苦悩の同意が過半を越す中で、かつての強固な反対運動は表には出なくなっているのが現実である。しかし、今回の「説明会」で明らかになった事は、県自らがアセス書に違反して工事を進めていることである。白保・新石垣空港に問題ありの声を続けていこう。

1・19泉州旗開き

 一月十九日には、「泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会」の総会と旗開きが開かれた。
八月の二期供用開始に対し、有効な反撃が出来なかった事を反省し、今年度は、昨年十一月大阪での反空港全国大会でも明らかになった空港が現在かかえる問題、グローバリゼーションの中での空港問題の捉え返しを深め、行動を進めていくことを確認した。二十九日には、全国大会での「空の問題」の講演趣旨を提出しながら、大阪航空局に対して関西三空港でのトラブル発生状況と対応状況への追及が、神戸空港の団体と合同で取り組まれた。

1・13三理塚旗開きと、スタディーツァー

 三里塚では一月十三日、三里塚芝山連合空港反対同盟の旗開きが、横堀研修センターに五十名が参加して行なわれた。昨年十二月に、空港会社がB滑走路離着陸容量を現行二十万回から三十万回に大幅に引き上げる計画を打ち出し、また東峰の森破壊を強行し続ける状況の中で行なわれた。
 まず世話人の柳川秀夫さんがあいさつ。柳川さんは、「反対同盟は少数になった事は現実です。六六年より反対運動が始まり、〇八年になっても大きな問題、根本問題は解決していない。組織が小さくなろうが、前向きに取組んで行く。昨年、上坂さんが亡くなり、十二月の偲ぶ会に参加した。上坂さんは、全人生を三里塚の闘いにかけた。上坂さんに恥じないよう頑張っていく。三里塚では、空港を作る側は更に大きく増大させようとしている。他方、農民側は、高齢化や環境変化で、従来の経験だけでは作物を作ることが困難になってきている。経済が発展し、空港も大きくなる。そして、便利になるという考え方に対し、反対運動の原点だった社会のあり方を変えていく事を、今改めて追及する時代になったと考えている。今年も頑張る」と述べた。
 東峰のらっきょう工場の平野靖識さんは、「二十万回の離着陸を一気に三十万回に引上げる暴挙だ。暫定滑走路の供用にあたっても二十二万回ラインで騒音地域の線引きをして、その上で二十万回に限定するやりとりがあり、その三年かけて作った合意事項がいとも簡単に反故にされる。このような空港会社を追いつめていく新たな決意をしている」と述べた。労学評の山崎努さんが東峰地区の追い出し攻撃や横堀地区の現状などを報告した。
 続いて、参加者からの発言に移り、関西三里塚相談会より渡邊が、二十六日の大阪での白保・新石垣空港「用地補償説明会」への結集を呼びかけ、今年、焦点化する白保・静岡空港への全国連の取組みについて訴えた。つづいて、空港はいらない静岡県民の会、関西三里塚闘争に連帯する会、たんぼクラブ、しいたけ運動、三里塚スタディーツァー、WSFあらかわグローバルアクション、高見圭司さんなどから発言がつづいた。
 旗開き後、「グローバリゼーションと成田空港を考える」と題する三里塚スタディーツァーに参加した。横堀大鉄塔の周囲に、沖縄米軍通信アンテナの「象のオリ」を想いおこすような十八本の巨大な鉄筋林が立っていた。東峰地区では平野さんの案内で、ワンパックの養鶏所や堆肥場を見学、らっきょう工場も内部を見学させていただいた。木の根ペンションに移動する。入り口にガードマンの立ち番小屋があり、車の出入りをチェックする。ペンションで大野和興さん、平野さんの「三里塚と農業」「入会権」をテーマに学習会が行なわれた。

1・27関西旗開き

 反対同盟の柳川秀夫さんを迎えて、一月二十七日、尼崎市で、関西三里塚闘争に連帯する会、相談会の旗開きが三十名の参加で行なわれた。
 柳川さんは、「三十万回の大幅拡大の計画の中で、東峰の島村さんとも話すことがあり、一生、生活し住みつづける、そう簡単にギブアップしないと話した所だ。横堀の鉄柱は、新しい誘導路から横堀大鉄塔をかくすため。木の根ペンション監視は『国際テロ』対策と警察が言っている。問題を完全にまちがえている。空港反対の闘いを、新たな社会を考えていく原点として更に続けていこう」とあいさつした。「泉州沖に空港をつくらせない住民連絡会」、「石垣島、白保に空港をつくらせない大阪の会」、関西共同行動の和田喜太郎さんのあいさつの後、宴が始まった。
 十二月の上坂さんを偲ぶ会の様子のビデオが上映されたり、参加者全員が三里塚闘争との出会いと新たな決意を語ったりした。最後に、主催者として渡邊より「B滑走路三十万回計画を打ち破ること、今年は是非、現地を関西から訪ねよう。一坪共有地の再確認を行なおう。静岡、白保に取組もう」の提起を行ない、終了した。
 空港反対の闘いは、新春より始まっている。(東峰団結小屋維持会 渡邊)


12・9三理塚東峰現地行動
  東峰地区の囲い込みを許さない!

 昨年十二月九日午後、成田市東峰の「共同出荷場」において、「『東峰の森』破壊糾弾!暫定滑走路北伸阻止!東峰地区の囲い込みを許さない!12・9三里塚・東峰現地行動」が、三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会の主催で取り組まれ、約六十名が参加した。
 集会は冒頭、七月十七日に亡くなった「連帯する会」代表だった上坂喜美さんの十二月二日の偲ぶ会の報告が渡邉より行なわれ、参加者一同で黙祷を行ない、上坂さんの遺志を継ぎ新しい闘いに進んでいくことを確認した。
 続いて、東峰の石井紀子さんが次のように挨拶した。「三月十五日に『基本合意書』として、ワンパックの出荷場・鶏舎・宿泊場の『一時的』移転問題の合意が空港会社との間で成立しました。暫定滑走路が供用され、騒音と落下物の危険に曝される日々となり、ワンパックの営農が大きく阻害される中での『緊急避難』として提案され、様々な議論の中でワンパックの組合員総会で決定されました。私としてはここを動くことには反対で、ジレンマの中での苦汁の選択をしました。すでに今日のデモの途中からでも見える位置に建物が建ち始め、来年二月ごろには引っ越しします。出荷場は築三十年になります。ワンパックが始まったときに建てたもので当時は『微生物農法の会』があり、十五人で分筆登記しました。現在残っているのは、柳川・小川・小泉・島村・石井の五軒です。この五軒が健在なら、移転は土地買収の手段に使わない、空港会社が負わなければならない補償ということですので、建物は残ります。しかし今でもこのようにボロボロの状態ですので、日常使わなければ更に古くなります。私が『死なない』ように見守りますが、今後は建物としては残る『共同出荷場』を、皆さんが様々な形で活用して、堅持してほしいと思います。申し訳ない気持ちでいっぱいですが、よろしくお願いします」。
 次に、らっきょう工場の平野靖識さんから、東峰の森裁判の報告があり、また「東峰の銀座通りからワンパックが移ると寂しくなりますが、らっきょう工場は続けますので、皆さんも銀座通りをにぎわせるように来て下さい」と挨拶があった。
 参加者は、「開拓組合道路」までのデモ行進に移った。開拓道路の周囲もこの半年で、すぐ近くまで工事が進んでいて、空港会社が東峰地区を抹殺しようとしていることが実感される。が、開拓道路はその中で新誘導路のコースに楔として食い込んでおり、現地での東峰地区の闘いの重要性も実感できる。集会・デモの最中にも頭上スレスレを飛行機が飛び、発言が聞き取りにくくなる現実があり、東峰住民の危機意識も改めて実感した。
 デモ後再度、共同出荷場で集会。横堀の山崎さんが現地報告、渡邉が十一月の反空港全国連関西大会の報告、石井紀子さんと共に取り組みを継続している「田んぼクラブ」がさつま芋運動を、「じゃがいも運動」がシイタケ栽培の取り組みを報告するなどして集会を終えた。
 成田国際空港会社は、暫定滑走路の北側延伸に伴い、新誘導路建設のため「東峰の森」の破壊に昨年二月二六日着手した。東峰住民による「現状変更禁止」の仮処分申請は千葉地裁で一月二十三日、東京高裁で六月十二日に何れも著しい事実誤認を前提とした却下判決を下した。会社は国内外で地位低下の危機にある成田の挽回のため、北伸だけでなく南側にも延長し四千m級の滑走路をつくるとまで公言している。〇九年北側延伸供用にむけた政府・空港会社の東峰住民追い出し策動に、いっそう反対していこう。(関西東峰団結小屋維持会 渡邉)