障害者が人として生きることを否定する
                 自立支援法


  障害者は政争の道具となることを拒否し、新しい生き方を模索しよう
                              
                       赤松 明夫


「ねじれ国会」という政局の中で、昨年本格施行された障害者自立支援法の、見直しが与党・野党それぞれから叫ばれている。
 民主党は十一月二八日、同法改正案を参院に提出。前後して与党も見直し案を明らかにした。これらが出揃い、与野党は「協議に入る」と報じられている。
 障害者自立支援法は、新自由主義的財政緊縮、社会保障切り捨ての典型として、人民、とりわけ障害者自身の「このままでは生きられない」という切実な声を圧殺する形で強行された。年金にせよ、医療にせよ、社会保障の切り捨ては、みな、「採算」や「健全な財政」のために人権、とりわけ生存権を犠牲にするものである。このような「生かさぬように殺さぬように」には、当然当事者の命がけの闘いが盛り上がり、また、行政の要求する生きかたを批判的に超える新たな民としてのありかたが、生まれるのが常である。
 それを多かれ少なかれ反映するとはいえ、議会政治の世界では、なかなかそうはいかない。
 いうまでもなく、与党が今回障害者自立支援法の見直しを言い出したのは、第一には、参院の民主大躍進にともなう政局の混迷の中で、この法の見直しを民主の専売特許とさせないためである。あくまでもそのためのポーズとして、いくつか「譲歩」したにすぎない。だから、与党が見直そうとしているのは、この法律が障害者に強いた自己負担の合計額の上限の設定と、経営が立ち行かなくなった社会福祉法人などの経営基盤強化、それだけである。
 では民主党はどうか。民主党の考えは、簡単に言えば自立支援法以前にもどす、ということであり、そこから、自己負担の廃止をうたっている。
 しかし、これらの議会での論議が共通しているのは、負担をどのくらいにすれば、予算をどのくらい充てねばならないか、という論理であり、障害者自立支援法による損害をもろに受け、そのなかで、自立支援法反対を編み出してきた障害者の論理とはすれ違うということである。
 障害者自立支援法は、障害者の生き方を、ある意味転換させようとしている。このことが、障害者の反撃の根拠なのであり、たしかに大変な負担増になることへの怒りはあるが、どのような負担増なのか、に気づかなければ、いままでこのような粘り強い闘いは続かなかっただろう。
 障害者は、社会保障に多くを頼らなければ生きていくことが出来ず、逆に、社会保障を自分たち(=人間)が生きる当然の権利、と位置付けることにより、障害をもって地域で生きることは誇りとなった。人間が人間らしく、自分らしく生きることは、あたりまえの、大事な権利、と考えるとき、障害者にとって必要な、生きる場、介助、教育の機会、就労、医療、移動手段、文化、などなどは、みな、障害者の立場から、読み返されねばならず、そういう闘いが築かれてきた。
 自立支援法は、そうしたことに、根本から道を閉ざすものである。この法律は、社会保障を、カネに換算すべき、「サービス」として、定率化(応「益」負担)し、その負担を、財政難に苦しむ行政と分け合おう、というのである。障害者にとっての生存権を、「サービス」として切り売りする、その負担の比率をどう見直すか、と問題を立てたところで、根本的批判にならないのは言うまでもない。

 自立支援法の批判の中で、問われていることは、障害者のあたりまえの生存を保障するということである。そのためには、なにが必要か。
 まず、地域で自立して生きること。そのための具体的な援助は、介助、補そう具の確保、医療などである。
 介助の支給については、自立支援法で、それまでの支援費制度に変わり、障害程度区分を第三者的な審査会で認定し、支給量審査を経て決定するというものになった。これは、障害者の必要に応じて支給される、というありかたから、できる・できないという、第三者の認定にもとづいて、介助の時間と内容が決められるのであり、自立生活を大きく阻むものである。また、認定のための一次調査(認定調査)の項目は、介護保険の要介護認定の項目に基づいたものであり、将来の統一が下敷きにある。そして、この調査は、とくにいままで福祉がとどいていなかった、知的障害者、精神障害者には不利なものである。
 この問題は、障害のありかた・特性がもりこまれていず、身体的な麻痺によりできないかどうか、ということが基準として偏重されている、と言い換えられる。必要な介助とは、障害者が人として生きていくために必要な、いわば質的な充実をカバーするものともいえよう。
 こうした、地域生活実現のための援助を障害者は長らく要求してきた。かつては、保護を目的とした措置制度として、施策が行われていたのが、支援費制度(2004年)で利用契約となった。そして、自立支援法には、自立がうたわれているが、逆に病院や施設へと障害者を追いやる側面も強い。こうしたことを指摘し、病院・地域への囲い込みを許してはならない。
 法の一環として、精神障害者の退院支援施設というものの制度化がめざされている。これは、七万数千人といわれる精神障害者の社会的入院の解消のために、精神病院の敷地内に病院に準じた施設を建てる、というものである。医療機関の収入を維持し入院患者の減少を数字の上だけ「実現」させるための、見え見えの施設である。そもそも、精神障害者には、中間施設という社会復帰施設が存在し、それが地域での自立の妨げとなっていた。その延長として、こうしたものが強行されたのである。まさに、病院・施設への囲い込みである。
 このような施設のありかたは、居住の場、生きる場の施設化というかたちでもあらわれている。グループ・ホーム、ケア・ホームといった、障害者の共同居住スペースも、評価によるが、多かれ少なかれ施設化している。法律がらみでは、グループホームでの介助には、地域で暮らす人と同等に、個人として事業所と契約が出来ない、といった制約が加えられた。
 介護報酬の切り下げは、事業所・介助者・障害者のそれぞれに、悪影響をおよぼす。事業所は経営基盤が悪化し、人員不足を慢性的にかかえる。介助者はただでさえ、肉体的・精神的に負担が大きく、低賃金の労働に拍車がかかる。その結果、別の職種に移り、介助者はなり手がいない。そして、当の障害者は、質量ともに満足のいく介助がうけられない。こういう悪循環が、自立支援法下の介助の実態である。とくに、自立支援法で再編された重度訪問介護、重度包括支援といった、重度、長時間、多種にわたる介助は単価が安く、重度の障害者にしわよせされている。
 この問題の解決のためには、報酬単価の引き上げをぜひとも要求しなければいけないが、そのなかで、障害者の介助支給時間の問題、介助要員の労働条件の問題、事業所の経営と、それぞれを改善要求・解決していかなければならないだろう。
 障害者の自立ということを言うとき、もっとも重視されねばならないのは、障害者が社会的に自立するということである。障害者が自立するというのは、なにかができる、ということではないことは、述べた。では、どんな生活をすることが、自立なのか。最低限の衣食住の確保だけに終わってしまう生活ではなく、生活の質の向上が目指されなければならないことも述べた。そのうえで、では衣食住がある程度満足されれば、それでいいかというとそうではない。障害者が社会の中で暮らし、社会的意味をもって活動することが、社会的自立という、最終的なありかたである。これこそが、「障害者が地域であたりまえに暮らす」中身である。
 障害をもって、このような暮らしを送るには、課題が多い。移動の問題は大きい。自立支援法下では、移動介護がとりづらく、実質制限されている。街はバリアフリーではなく、どこへ行っても段差がある。いきる場、暮らす場は、従来ある程度そのような役割を果たしてきた小規模共同作業所が、補助金をへらされ、再編され、社会復帰施設へと純化しようとしていることによって脅かされている。その上そのような場は、個人による負担が自立支援法によって課せられ、おカネを払ってまでいかれない、という障害者は多い。障害者による生きる場づくりの試みもあるが、運営・資金などの面で、困難を抱えているのが現状だろう。
 自立支援法の中で、就労支援は、大変重視されている。そして、ここでいう就労とは、一般企業への就職ということであり、いわば労働者並に働け、ということである。実際に障害ゆえ働けない人にとっては、これは障害者としてのありかたの否定にもつながる。障害者はながい闘いの中で、障害をなくすのではなく、差別をなくす、ということをかかげてきた。そこから、障害は個性である、という自分たちの肯定というところへとすすんだ。こうした自覚こそ、行政や政治のおそれるところであり、就労の問題は、一面で、障害者のありかたに、いつも問いを投げかけている。
 いまのべた、就労の問題もそうであるが、障害者の所得保障(障害者として生きることの出来る収入の保障)があれば、解決する問題は多い。障害者のおおくは、貧困層であり、公的な年金、手当て、生活保護などに頼らなければ、生活できないのが現状である。
 しかし、障害者の貧困は、障害と差別により就労が制限されている、という独自性があり、それに沿った所得保障はきわめて不十分である。障害者をめぐるさまざまな困難を解決する、経済的基盤の確保はぜひとも必要である。

 以上のように、自立支援法の批判のなかから、新しい障害者のありかたをどう打ち立てるか、を述べてきたが、自立支援法をめぐる国会での動きにともなって、わたしたちにできることは何だろうか。もちろん、介助の認定や、介助時間の延長など、多くの問題を引き続き地域でとりくむ、地域行政にものを言っていくということが重要である。そのうえでいま、地域的な自立支援法廃止の闘いのまさに好機をむかえようとしている。地方自治体に見直し要請決議をあげさせるなどの動きはすでに始まっている。地域の諸団体・諸勢力と連携して、自立支援法撤廃の障害者自身の闘いをはじめよう。(了)